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2023/11/27
r.y6
西田佐知子は、1939年に大阪府大阪市城東区に生まれています。帝国女子高等学校に進学しますが、卒業はせずに中退しています。帝国女子高校は、現在大阪国際滝井高等学校と名前を変えています。韓国人という噂もありますが、西田佐知子さんは日本生まれで国籍も日本です。
特に韓国と縁があるわけでもないので、西田佐知子さんがなぜ韓国人と言われるかはよくわかっていません。ただ、夫の関口宏さんがテレビで韓国寄りの発言をしたことで、西田佐知子さんが韓国人という噂が出たとも言われています。
西田佐知子さんは、1956年に歌手としてデビューします。高校時代の情報はほとんどないので、在学中にデビューしたのか、中退後にデビューしたのかはわかっていません。デビュー曲は1956年10月の「伊那の恋唄」です。
「伊那の恋唄」はB面に収録された曲で、A面には藤島桓夫さんの「勘太郎天龍唄」が収録されていました。60年代には多くのヒット曲を発表し、1961年から1970年まで連続でNHKの紅白に出場しています。
人気歌手だった西田佐知子ですが、最後に紅白歌合戦に出場した翌1971年に結婚します。結婚後は歌手活動を大幅に縮小するようになり、レコーディングを中心に活動していました。1982年に最後のシングル曲となる「テレビを見ている女」を発売してからは、歌手活動を行っていません。
ただし、正式に引退したという発表はないので、あくまで歌手活動を休止している状態のようです。1990年には作詞家として、平井菜水さんのデビュー曲「めざめ」の作詞を行いました。「めざめ」は夫の関口宏さんが、司会を務めたテレビ番組のエンディング曲となっています。
西田佐知子さんの旦那は、司会者やタレントとして有名な関口宏さんです。2人はどのようにして出会ったのでしょうか?実は2人の出会いは、テレビ番組だったようです。2人の馴れ初めや結婚した経緯などをまとめました
本名(ふりがな):関口 宏(せきぐち ひろし)
所属事務所: 三桂
生年月日:1943年7月13日
現在年齢:78歳
出身地:東京都港区
血液型:A型
身長:170cm
体重:68kg
活動内容:俳優、タレント、司会者、作詞家
西田佐知子さん、1971年に関口宏さんと結婚しています。西田佐知子の方が5歳年上で、32歳の時に結婚しています。結婚後は歌手活動がかなり少なくなり、82年に最後のシングル「テレビを見ている女」を発売後に事実上の引退をして専業主婦になっています。
西田佐知子さんと関口宏さんが出会ったのは、1970年の「ラブラブショー」という番組での共演でした。「ラブラブショー」は、若手俳優や若手歌手などを招いてデートをさせるという番組でした。「ラブラブショー」のプロデューサーは、関口宏さんに好きな芸能人を呼ぶと約束したそうです。
関口宏さんは、以前から好きだった西田佐知子さんのことを呼んでもらったと言われています。番組の共演がきっかけで、2人は交際するようになりました。この番組に出演したことで西田佐知子さんと関口宏さん以外に、7組のカップルが結婚しています。
2人は共演してから、1年未満の交際期間で婚約・結婚しています。出会ってから、結婚するまでの期間が非常に短いことがわかります。短期間で結婚したことや結婚後に専業主婦になっていることから、関口宏さんは西田佐知子さんに芸能界から引退して欲しかったのではとも言われています。
歌手として事実上引退し、テレビでも見かけなくなった西田佐知子さんですが、現在はどうしているのでしょうか?西田佐知子さんの現在の情報についてまとめました。
テレビで見かけることはほとんどなくなった西田佐知子さんですが、現在は病気で闘病中という噂があります。西田佐知子さんが病気になったという話題は、女性誌で報道されました。
元々は関口御殿と呼ばれる豪邸に夫婦で住んでいましたが、現在は病院近くのタワーマンションに引っ越したと言われています。
西田佐知子さんが体調を崩したと言われているのは、2017年のことです。関口宏さんがインタビューを受けた際に、病気のことを否定していないので西田佐知子さんが病気なのは確かなようです。近所では、西田佐知子さんが外出する姿は目撃されていないようです。
そのため、現在でも病状はよくならず、外出は難しいと考えられています。西田佐知子さんの病気に関しては、詳しい情報は明かされておらず病名は不明です。
外出は難しいと考えられている西田佐知子さんですが、ある程度回復しているとも言われています。2018年に記者が関口宏さんにインタビューした際に、体調を崩していたことを認めた上で「今は元気ですよ」と発言しています。
関口宏さんの事務所も、西田佐知子さんが寝込んでいることを否定しているので寝たきりにはなっていないようです。
西田佐知子さんには、俳優やタレントとして活動する息子さんがいます。また、娘さんがいるという噂もありますが、本当なのでしょうか?西田佐知子さんの子供に関する情報をまとめました。
西田佐知子さんの息子さんは、俳優でタレントをしている関口知宏さんです。1972年生まれで、1996年にドラマ『MMR未確認飛行物体』で俳優としてデビューしました。音楽に関しては英才教育を受けていたそうで、TV番組では即興で曲を作る姿も見せています。
バンド活動も行っており、演奏・歌唱・プロデュースを全て1人で行ったCDも制作しています。
西田佐知子さんには、娘さんもいるという噂もあります。Googleでは、「西田佐知子 娘」などのキーワードで検索されることもあるようです。しかし、関口知宏さんは一人息子で、西田佐知子さんに娘さんはいません。You tubeには、「西田佐知子の娘」というタイトルで投稿された動画があります。
この動画が西田佐知子さんに娘がいるという噂の原因のようです。この動画は関口知宏さんが女装して、パロディー動画として制作したものです。ちなみに関口知宏さんは妹がいるという設定で、女装した動画を作成しています。
西田佐知子さんが病名のため、息子の関口知宏さんが同居して看病しているという噂もありました。しかし、関口宏さんがインタビューを受けた際に、同居を否定しているので両親と一緒に住んではいないようです。
人気歌手だった西田佐知子さんは、数多くのヒット曲を世に送り出しています。西田佐知子さんの代表曲4選をご紹介します。
「アカシアの雨が止む時」は、西田佐知子の代表作として有名な曲です。曲自体が発表されたのは1960年ですが、1962年に第13回紅白歌合戦で披露しています。同じく1962年の第4回日本レコード大賞では、ロングセールスが評価されて特別賞を受賞しました。
「アカシアの雨が止む時」は「日米安保闘争」が行われた時代にヒットしたこともあり、安保闘争と関連づけて語られることが多くなっています。安保闘争映像のBGMとして使われることも多いですが、西田佐知子さんはパリの街を風景をイメージして歌っていたようです。
コーヒールンバは、アルパ奏者のウーゴ・ブランコの演奏で世界的にヒットした曲を西田佐知子さんがカバーしたものです。1961年にコーヒールンバがヒットしたことで、西田佐知子さんは第12回紅白歌合戦に出場し一気に有名になりました。
同時期にザ・ピーナッツが異なる歌詞のコーヒールンバをカバーしていますが、こちらはあまり知られてはいません。コーヒールンバはその後もさまざまな歌手がカバーしていますが、日本語版の歌詞は基本的に西田佐知子さんのバージョンになっています。
「東京ブルース」は、東京オリンピックが開催された1964年のシングルです。ミリオンセラーを記録する大ヒット曲で、西田佐知子さんは4回連続の紅白出場をこの曲で達成しました。西田佐知子さんは、「アカシアの雨がやむとき」の退廃的なイメージが強かったそうです。
しかし、ポピュラー調の「東京ブルース」がヒットしたことにより、西田佐知子さんのイメージは変化しその人気を盤石なものにしました。「東京ブルース」はアニメ映画の『おもひでぽろぽろ』やNHK連続テレビ小説『てるてる家族』の劇中でも使用されています。
「裏町酒場」は1966に発表された曲で、西田佐知子の作品の中ではカラオケの人気曲として知られています。美空ひばりさんが同名のヒット曲を歌っているため、カバー曲と勘違いされることもあります。ただし、西田佐知子の「裏町酒場」は、歌詞の全く違う別の曲です。
西田佐知子さんの夫や子供、現在の情報などについてご紹介しました。西田佐知子さんは歌手活動を休止してからほとんど情報がなく、現在は闘病中とも言われています。外出する姿が目撃されていないので、あまり病状は良くなさそうです。
ただ、元気になったという関口宏さんの発言もあるので、以前よりは体調が良いのかもしれません。年齢的に歌手として復帰する可能性は低いでしょうが、早く病気が良くなってほしいですね。
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本名(ふりがな/愛称):関口 佐智子(せきぐち さちこ/さっちん)
生年月日:1939年1月9日
現在年齢:82歳
出身地:大阪府大阪市城東区
血液型:B型
身長:不明
体重:不明
活動内容:歌手・作詞家