2024/02/16
r.y6
大竹しのぶさんが芸能界に入ったきっかけは、1973年、フォーリーブスの北公次さん主演のテレビドラマ『ボクは女学生』にて、北公次さんの相手役が一般公募され、それに応募し合格したことでした。
実は、大竹しのぶさんは学校では常に委員長だったそうで、何でも自分でできてしまう自信家で小学校時代から女優を目指していたそうです。
そして、「フォーリーブス」の北公次さんのファンだったそうで、北公次さん会えるかもしれないという思いから、このオーディションに参加したといいます。
そして見事に合格し、次の日から「撮影に来い」と言われ現場に行ったものの、相手役ではなく、その他大勢だったそうです。このオーディションは5300人も集まっていたそといいます。
その後、1975年、映画『青春の門』で本格的に女優デビューを果たし、同年、NHK連続テレビ小説『水色の時』のヒロイン役でテレビドラマ初出演にして初主演を務め、一気に知名度が上がりました。
フジテレビの子供向けのテレビ番組『ひらけ!ポンキッキ』の中で挿入歌として用いられた楽曲「かまっておんど」は、大竹しのぶが振りをつけながらコミカルな歌詞を歌い、子どもから大人まで幅広く支持されるヒット曲となりました。
大竹しのぶさんは俳優だけでなく歌手としても活動しており、今までに11枚のシングルを発表していますが、「かまっておんど」は6枚目のシングルとなり、大竹しのぶさんの最大のヒット曲と言われています。
また、大竹しのぶさん主演の舞台「ピアフ」で披露され話題を呼んでいたが「愛の讃歌」を2016年の紅白歌合戦にて歌唱し大反響を呼ぶなど、歌手としても高い評価を得ています。
デビュー以来、映画・ドラマ・舞台と数々の作品に出演している大竹しのぶさんですが、主な出演作に
◆ドラマ
◆映画
◆舞台
などがあります。
また、バラエティへの出演、声優などもつとめており、2021年には明石家さんまさんプロデュースアニメ映画『漁港の肉子ちゃん』で、主人公の声を担当しました。
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今までに2回結婚をしている大竹しのぶさんですが、一人目の結婚相手はどんな人だったのでしょうか。詳しく見ていこうと思います。
大竹しのぶさんは、1982年にTBSのドラマディレクターの服部晴治さんと結婚しました。服部晴治さんは、大竹しのぶさんの17歳年上で、大竹しのぶさんとの結婚は3回目でした。
この時、大竹しのぶさんは25歳で服部晴治さんは42歳でした。
2人は服部晴治さんがディレクターを務め、大竹しのぶさんが出演していた、1980年に放送されたTBSのテレビドラマ「恋人たち」がきっかけで知り合ったそうです。
服部晴治さんのプロフィールは、一般人ということもあって詳細は分かりませんでした。
ドラマで出会い交際に至った二人でしたが、当時、服部晴治さんには、同棲中で婚約をしていた彼女がいました。その彼女というのは歌手で女優の中村晃子さんです。
2人は結婚寸前だったとも言われており、中村晃子さんが服部晴治さんの浮気を疑い仕事終わりの服部晴治さんの車を尾行したところ、助手席には大竹しのぶさんが乗っており、信号待ちの間に2人が何度もキスをしている所を目撃し、同棲を解消し破局したと言われています。
この事から、大竹しのぶさんの「略奪婚」として連日報道され、泥棒猫、魔性の女などと呼ばれて批判を浴びましたが、大竹しのぶさんはそれに怯むことはありませんでした。
服部晴治さんの一度目の結婚相手は英語の教師をしていた女性で、その女性との間に子供が2人、2度目の結婚相手は宝石デザイナーと言われており、彼女との間には子供が1人ました。
そして、大竹しのぶさんとの間には、二千翔(にちか)さんが誕生していますので、二千翔(にちか)さんには異母兄弟が3人いることになります。
バッシングを乗り越えて結婚した二人でしたが、結婚翌年の1983年に服部晴治さんが胃ガンであることが発覚しました。
その時点で余命1年と言われたそうですが、大竹しのぶさんはその事を本人には告知しなかったそうです。そして、1985年に長男の二千翔さんを出産しています。
服部晴治さんは、1987年に47歳という若さで亡くなりました。
続いては、2度目の結婚相手、明石家さんまさんとの出会いや馴れ初めなどについて見ていこうと思います。
大竹しのぶさんは、1988年に明石家さんまさんと再婚しました。
2人は、1986年のテレビドラマ「男女7人夏物語」で共演し、さんまと大竹しのぶの掛け合いの面白さが人気となり、最高視聴率は31%を越える大ヒットドラマでした。
続編『男女7人秋物語』も制作されるほどでした。
2人は、このドラマで出会いましたが、交際がスタートしたのは服部晴治さんが闘病中のことで、大竹しのぶさんは服部晴治さんを看病しながらも、明石家さんまさんと何度もデートを重ねていたそうです。
また、明石家さんまさんにも当時付き合っていた人がいたそうです。
またしても大竹しのぶさんは略奪愛で明石家さんまさんを射止め、さらに自身は結婚していた為、二人の交際は不倫から始まっていたと考えられるでしょう。
2人は、服部晴治さんが亡くなって1年後に結婚しています。大竹しのぶさんは明石家さんまさんとの交際について、服部晴治さんが亡くなって辛い時期を支えてくれたのが明石家さんまさんで、交際期間がほとんどなく、早期に結婚した理由については明石家さんまさんの人気が凄く、外でデートしたりするのは結婚しかないという、明石家さんまさんの意思が大きかったと語っています。
大竹しのぶさんは、明石家さんまさんとは交際期間がほとんどない状態で結婚したと話しています。服部晴治さんと明石家さんまさんは、もともと遊び仲間だったそうです。
また、大竹しのぶさん曰く、服部晴治さんが亡くなる二カ月前に明石家さんまさんに「僕が遊べない分、しのぶのことをどうぞよろしくお願いします」といった内容の手紙を送っていたと明かしています。
この手紙の話が本当であれば、闘病中の服部晴治さんは2人の関係に気が付いており、自分の命が長くないこともあり、このような内容の手紙を送ったと考えられるでしょう。
大竹しのぶさんと明石家さんまさんの結婚生活は長くは続かず、1992年に離婚しました。
当時、離婚理由は語られませんでしたが、のちに明石家さんまさんは大竹しのぶさんが仕事を辞めることが条件で結婚したと話しています。
明石家さんまさんは、幼いころに母親を亡くし継母とは上手くいかず、寂しい思いをして育っており、大竹しのぶさんにはIMALUさんが3歳くらいになるまでは家に居て欲しかったようです。
結婚する前、大竹しのぶさんに意思を確認すると「辞める」とキッパリ答えたそうで、この言葉に「これは責任重大だ」と結婚を決断したのだそうです。
しかし、大竹しのぶさんは結婚しても出産しても仕事を辞める気配はなく、揉め事が起こって離婚につながっていったのだそうです。
離婚後も、共演も多くお互いをネタにしたり、度々「再婚は?」という話題も出ますが、それは絶対ないとお互いが話しています。
続いては、大竹しのぶさんの子供について見ていきましょう。
長男の二千翔さんは服部晴治さんとの子供で、服部晴治さんが癌だとわかり彼の子供を残したいとして授かりました。
二千翔さんは、慶応大学卒業後にアメリカに留学して、その後大竹しのぶさんの事務所で働いていましたが、現在は芸能マッチングサービスの運営会社に務めています。
現在でも、明石家さんまさんとの関係は良好のようで、「今まで出会った人間の中で、一番カッコいい、素晴らしい最高の父親です」と明石家さんまさんの事を語っています。
二千翔さんの高校の友人たちとの卒業旅行に明石家さんまさんが付いて行ったという話もあります。
明石家さんまさんは離婚協議の際に「離婚条件」として、二千翔さんとIMARUさんの親権を大竹しのぶさんが持つと同意したうえで、子どもとの面会交流の「回数」を「月30回」としたのだそうです。
それだけ、二人の子供の事をとても大切に思っていたことが分かるでしょう。だからこそ、離婚した後も家族で集まったりする関係を続けられているようです。
1989年には、明石家さんまさんとの間に長女のIMALUさんが生まれました。
名前の『いまる』は、明石家さんまさんは「いきてるだけでまるもうけ(生きてるだけで丸儲け)」から、一方の大竹しのぶさんは「いまをいきる(今を生きる)」から命名したとコメントしています。
IMALUさんは歌手を強く志して芸能界入りを決意し、2009年頃から芸能活動を始めています。
ファッション誌『Zipper』2009年6月号でファッションモデルとしてデビューし、同年にはテレビドラマ『リアル・クローズ』で女優デビューも果たしました。
更に、2010年1月13日にはシングル『Mashed potato』で歌手デビューも果たしました。
現在は、タレントとしての印象が強いIMALUさん。現在、ハーフの音楽プロデューサーと交際しているIMALUさんですが、明石家さんまさんには紹介済みなのだそうです。
続いては、大竹しのぶさんのそのほかの熱愛報道について見ていきましょう。
明石家さんまさんと離婚直後の1992年に舞台「真夏の夜の夢」にて、演出家の野田秀樹さんと出会い交際が始まったとされていますが、実は大竹しのぶさんが野田秀樹さんのファンで観劇を重ねるうちに親密となり、舞台の稽古中の時にはすでに交際していたという噂です。
そして、野田秀樹さんはこの時、自身の劇団の看板女優と結婚しており既婚者でした。またしても、不倫略奪だったのです。二人の交際は大きく取り上げられ、大竹しのぶさんはまたしても、「悪女」「魔性の女」とバッシングを浴びました。
しかし、野田秀樹さんが離婚すると2人は同棲を始めたといいます。同棲期間は5年間にも及び、事実婚状態でした。
その後、破局しましたが、現在でも仕事で一緒になるので憎み合って別れたわけではないようです。
野田秀樹さんは、2005年12月20日、50歳の誕生日に歌手・女優の藤田陽子さんと結婚し4人のお子さんに恵まれています。
2011年に紫綬褒章を受章した際の会見で「いろんな男の人たちが支えてきてくれた」とコメントした大竹しのぶさん。
2017年の雑誌「婦人公論」の特集で、脚本家の三谷幸喜さんとタレントの清水ミチコさんとの対談を行った際は、大竹しのぶさんは30人以上と経験したことを告白して話題になりました。
2019年には、22歳年下のボーカルグループ「LE VELVETS」に所属し、俳優としても活動する宮原浩暢さんとの深夜デートの報道がありました。これに関しては交際を否定していますが、他にも表沙汰になっていないだけで短い恋を沢山してきているようです。
女優として長年活躍している大竹しのぶさんについてご紹介してきました。
大竹しのぶさんは若い頃からモテモテで経験人数も30人以上と明かしており、恋多き女優であることが分かります。
服部晴治さん、明石家さんまさん、野田秀樹さんとの恋愛、すべてが略奪と言われており、そこから悪女であったり魔性であったりと呼ばれる所以のようです。
女優としてだけではなく、バラエティなどでも活躍を続ける大竹しのぶさん。今後も、素敵な恋をし続けていかれるのではないでしょうか。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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