2023/12/15
take79
本田みずほさんは、高校1年の時に演劇部の友人と「吉本興業/バッタモンクラブ・オーディション」を受け、ぱぁぷるずとして初舞台を経験します。その後、1人で間寛平さんに弟子入りします。アイドル風のルックスだったために、西のキョンキョンと呼ばれたこともあったようです。
その後、1993年に深夜枠で放送されていたバラエティ番組「とぶくすり」に美人枠で、レギュラー出演が決まります。とぶくすりは人気番組になり、本田みずほさんも人気を博しました。
共演者はナインティナイン、よゐこ、極楽とんぼ、光浦靖子さんと豪華に思えますが、当時はほとんどのタレントが無名でした。
本田みずほさんは1994年に「SPOON PERM」というパンクバンドを結成しており、ボーカルと作詞を担当しています。間寛平さんがアースマラソンを行ったときは、師匠の成功を祈って応援歌も作成していました。
本田みずほさんが音楽をしたいと衝動的に作ったバンドで、曲作りで奇抜な提案してメンバーを困らせたと言われています。他にはないユニークな曲を作っていたため、当時はかなり話題だったようです。
ミラクル・レコードからアルバム「BEST?」がリリースされています。新品はまず手に入りませんが、アマゾンなどで中古CDを購入可能です。
とぶくすり以降の活動がほとんど知られていない本田みずほさんですが、お笑い以外の世界で大成功しているとも言われています。本田みずほさんのキャンドル作家としての活動などをまとめました。
テレビではあまり見かけることはなくなった本田みずほさんですが、現在はキャンドル作家として活動しています。元々、キャンドル作りは昔からしていたそうですが、「COWCOW」の善しさんに本格的にやった方がいいと勧められたそうです。
善しさんのギャラリーで個展を開くなどして、キャンドル作家としての活動が少しずつ本格化していきました。2011年からは、Em Zed Eych(エムゼットエイチ)という名前でキャンドル作家をしています。
すでにかなりファンを獲得しており東京の雑貨屋にキャンドルを出品しているだけでなく、ネット通販でも購入可能です。
本田みずほさんの作品展は、2019年の12月に大阪、2021年2月に渋谷PARCOなどで何回も開催されています。2019年12月に行われた「みずほ万博」は19人の作家とコラボして行われ、大好評だったようです。
手芸作家でもあるオアシズの光浦靖子が作ったタコをキャンドルで装飾した作品も、公開されていました。渋谷PARCOで行われたのは、複数人の作家とコラボした作品展の第2弾で27人のクリエイターと共同で作ったコラボキャンドルも展示されました。
本田みずほさんのキャンドルは、マリアやヴィーナスなど豪華な雰囲気のものから、白鳥や猫などの動物、寿司やメリケンサック型のものなど様々です。依頼を受けて作るものもあり、ユニークな作品も多いです。
デザインが同じでも色が全て異なるなど、一点ものキャンドルも少なくありません。海外まで原型となるモチーフを買い出しに行くなど、非常に作品作りに時間をかけているようです。灯すのがもったいないと感じる人の多い作品に仕上がっています。
本田みずほさんの作品は、販売サイトの「Creema」などで確認できます。
テレビに出なくなってから、本田みずほさんは8年ほど芸人の仕事はしてこなかったそうです。しかし、現在では芸人としての仕事も再開しており、吉本新喜劇の女優としても活動しています。「めちゃイケ」の企画で本田みずほさんを探したことが、きっかけでした。
仕事関係の知り合いと再会し、光浦靖子さんの助けで仕事を再開することができたといいます。仕事を再開するため、連絡できていなかった師匠の間寛平さんにも挨拶をしたそうです。
間寛平さんには、弟子入りしてから一度も怒られたことはなかった本田みずほさん。間寛平さんは本田みずほさんのことをとても心配しており、この時初めて怒られたそうです。
本田みずほさんは、よゐこの濱口優さんの元カノとして知られています。そのことがスキャンダルになったせいで仕事が激減したとも言われていますが、その後はかなり大変だったようです。本田みずほさんと濱口優さんのスキャンダルなどの話題をまとめました。
よゐこの濱口優さんと本田みずほさんの交際が発覚したのは、バラエティ番組の「めちゃいけ」がスタートしたころでした。二人が付き合いようになったのは、とぶくすりでの共演がきっかけと言われています。
付き合い始めた正確な時期は不明ですが、2人はとても仲が良かったので共演者の光浦靖子さんから付き合ってるだろとネタにされていました。めちゃいけが始まるころには、2人は同棲していたと言われています。
とぶくすりが始まった頃は本田みずほさんの方が有名でしたが、番組終了時にはよゐこの人気は本田みずほさんより完全に上でした。
熱愛が発覚したことで、本田みずほさんは仕事が激減したと言われています。様々な噂がありますが、当時は共演者同士の恋愛はタブーだったようです。2人が所属していた吉本工業と松竹芸能の関係が悪かったことも、問題になったと言われています。
実際のところはわかりませんが、人気芸人だったよゐこの濱田優さんを守るために松竹芸能が手を回したという噂もあります。熱愛発覚が原因だったのかはわかりませんが、2人は破局し同棲していた本田みずほさんは住むところも無くなってしまいます。
その後、本田みずほさんは下北沢の駅前で1ヶ月半生活していたそうです。
本田みずほさんは、2006年に東大卒の一般男性と結婚しています。一般人なので、結婚相手の男性の情報はほとんどわかっていません。しかし、キャンドル作りに関しても理解のある優しい男性のようです。
本田みずほさんは、バナナマンの日村勇紀との意外な関係や病気の噂などがあります。本田みずほさんと日村勇紀さん、伊集院光さんのエピソード、病気の噂などをご紹介します。
バナナマンの日村勇紀さんは、「ヒムケン」の愛称で親しまれています。このヒムケンという名前を付けたのは、本田みずほさんです。日村勇紀さんは、バナナマンを結成する前は高校時代の同級生原田健さんと陸上部というコンビを組んでいました。
本田みずほさんは原田健さんのことを「ハラケン」と呼んでいたそうで、相方の日村勇紀さんもヒムケンと呼ぶようになりました。このことが、お笑いコンビ「X-GUN」を通して一般の人にまで広まったといわれています。
伊集院光さんは高校在学中に三遊亭楽太郎さんに弟子入りし、高校を中退しています。有名な話ではありませんが、伊集院光さんは元引きこもりです。深夜ラジオでは、この時のトラウマを自虐ネタとして話していました。
伊集院光さんの引きこもり時代のエピソードはかなりヘビー内容が多いです。友人の本田みずほさんは、伊集院光さんの実家に行った際に引きこもり時代の話を知って泣いてしまったといいます。本田みずほさんの優しい性格がわかるエピソードになっています。
本田みずほさんには、バセドウ病だという噂があります。バセドウ病は甲状腺ホルモンが過剰に分泌されることで、代謝が異常に活発になる病気です。代謝が異常に活発になることで、心身ともに様々な症状が出ます。
エネルギー消費が非常に激しくなるので、どんどん痩せてしまう人も多いようです。なぜ、本田みずほさんがバセドウ病という噂があるのでしょうか?バセドウ病にはが突出するという症状があり、本田みずほさんの目が少し突出して見えることからこの噂が出たと言われています。
ただし、本田みずほさんがバセドウ病というはっきりした根拠はなく、ただの噂にすぎません。ただし、体を壊して仕事ができなかったと言っているので、何らかの病気だったのは事実のようです。
本田みずほさんの現在の活動や過去の恋愛、結婚などの情報についてご紹介しました。熱愛スキャンダルの後はかなり大変な経験をしたようですが、現在は結婚し、キャンドル作家としても活動していることがわかっています。
お笑い芸人としても活動は続けているようで、今後のテレビ出演もあるかもしれません。
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