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2023/11/27
r.y6
スペイン語圏やアメリカにおいて大人気だった、プエルトリコ出身のアイドルグループの、『メヌード』があります。リッキーマーティンは、その追加メンバーとして1984年にデビューしました。これが、リッキーマーティンの芸能人生の原点といえるでしょう。
『メヌード』時代には、ロッテのお菓子『カントリーバー』のCMや、NHKのスペイン語講座にも出演経験があります。少年時代から、日本とも関わりがあったということです。
リッキーマーティンは、1989年に『メヌード』を脱退しています。その後はメキシコに拠点を移して、舞台などで俳優として活躍し1991年にソロシンガーとしてデビューをしました。そして、1997年に『マリア』がフランスでヒットしたのです。
このことから、1998年のFIFAワールドカップのテーマソング『ザ・カップ・オブ・ライフ』を歌っています。
1999年には、全米で『リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ』において英語アルバムとしてデビューを飾りました。それからは、アメリカに活動拠点を移しています。同年に発売した『Ricky Martin Here I am』というアルバムは、全世界で1700万枚以上を売り上げ、日本でも100万枚以上を売り上げました。
リッキーマーティンが結婚しているのか気になるところですが、彼には夫がいるという話があります。一体どういったことなのでしょうか。
リッキーマーティンは、メキシコ出身の司会者であるレベッカ・デ・アルバど過去に14年間交際していたことがあります。彼女とは別れたりよりを戻すというのを繰り返していたとの話もありました。しかし彼女のおかげで、リッキーマーティンは5カ国語を操れるくらいに知性を身に着けられたとされています。
リッキーマーティンは、2018年1月に入籍しました。相手は芸術家であるジュワン・ヨセフという男性であり、彼は現在36歳なのでリッキーマーティンより13歳ほど年下であると考えられます。2人は2016年11月に婚約していました。
リッキーマーティンは、夫との初対面で『この人と結婚する』のだと確信したと語っています。リッキーマーティンからジュワン・ヨセフにSNSを通じ連絡をして、6か月間ずっとただメッセージのやり取りをして、人生のことなど色々と話しをしていたのです。
その間には、セクシーなこともなにもなかったとしています。そして、初対面でジュワン・ヨセフに直に『僕はこの人と結婚する』と告げると、相手も同じことを言ったということです。
リッキーマーティンとジュワン・ヨセフは、プエルトリコ出身のアーティスト・レシデンテの『Antes Que El Mundo Se Acabe』という楽曲のMVに、2人揃って出演しています。このMVは、世界各国のカップルが登場しキスをするという趣向になっていて、2人も濃厚キスを披露しているのです。
リッキーマーティンは、同性婚をしているはずですが、子どもがいるという話があります。一体それはどういうことなのでしょうか。リッキーマーティンの子どもについて見ていきましょう。
リッキーマーティンには、2008年に代理出産により双子の兄弟マテオとバレンチノを授かっています。この頃はまだジュワン・ヨセフとも出会ってはいません。また双子の代理母について明らかにはなっていないでしょう。
ソロデビュー後より、リッキーマーティンはゲイではないかと幾度となく囁かれてきましたが、自分自身や子供たちそしてファンに嘘は吐きたくないという思いから、ゲイであることをカミングアウトしました。2010年に発売された自叙伝でも、カミングアウトについて綴られています。
リッキーマーティンの子どもは2008年に生まれた双子だけではありません。2018年には長女のルシアが生まれていて、2019年にも体外受精で4人目の子どもとなる男児・レンを授かっています。リッキーマーティンとジュワン・ヨセフは、4人の子どもの子育てをしているのです。
日本では誰もが知る歌手である郷ひろみ。そんな彼がリッキーマーティンの楽曲をカバーしていたのです。さて、どういった楽曲になっているのでしょうか。リッキーマーティンの曲とカバーの両方を聞いてみてください。
リッキーマーティンを一躍スターへと押し上げた楽曲が、『Livin’ La Vida Loca(リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ)』でした。この楽曲自体もトイドールズのカバー曲です。そして、リッキーマーティン最大のヒット曲であり、映画『シュレック2』のエンディングテーマにも起用されています。
アップテンポでダンサブルな楽曲となっていて、週刊ヒットチャートでは全米や全英のみでなくカナダなどでも1位となりました。それほどに売れたということです。
郷ひろみが『Livin’ La Vida Loca』をカバーした楽曲が、1999年に発売された『GOLDFINGER ’99』です。1990年代に発売された郷ひろみの楽曲の中では、『言えないよ』などを凌ぐ売り上げで、40万枚のセールスとなりました。また、郷ひろみの全ての楽曲を合わせても3番目のヒット曲となっています。
リッキーマーティンの楽曲は、もちろん『Livin’ La Vida Loca』だけではありません。では、他にはどういった楽曲があるのでしょうか。厳選してご紹介したいと思います。
ソロデビューを果たした後の、1997年に発表された楽曲『Maria』は、スペイン語圏だけでなくフランスなどでもヒットしたことにより、リッキーマーティンは一気に知名度をアップされました。
少しだけ先述している『The Cup Of Life』も忘れてはいけません。1998年にFIFAワールドカップのテーマ曲である『The Cup Of Life』を歌ったことにより、ヨーロッパを主として人気が高まりました。また、各国の週刊シングルチャートにおいて、1位を記録しています。
『SheBangs』は、6枚目のスタジオアルバム『Sound Loaded』のために録音された楽曲です。2000年9月22日に、アルバムのリードシングルとしてリリースされました。日本では、知念里奈が“R.I.N.A”名義で『CLUB ZIPANGU』としてカバーしています。
歌手として成功し、家庭も持っているリッキーマーティンですが、自宅がアーティスティックだと話題になっています。それは、芸術家である夫と結婚したのも理由なのでしょうか。どういった自宅なのか、少し覗いてみましょう。
VOGUE JAPANのYouTubeチャンネルに、リッキーマーティンとジュワン・ヨセフが子どもたちと共に暮らす自宅の紹介する様子の動画が、アップされています。ファンの方にとっては、興味を惹かれる内容となっているかもしれません。
自宅のあらゆる場所に気に入ったアートが飾られていて、例えばシリア系スウェーデン人アーティストの作品もあります。
主寝室には白のベッドが置かれていて、好きなもののみ集めたとされる空間となっています。茶色のブランケットがあるのですが、こちらはファンの手編みとなっていて、寝室のインテリアの一部となっているのです。
バスルームが広くなっていて、リッキーマーティンの家の中における最もお気に入りとするスポットとなっています。
『Livin’ La Vida Loca』が世界的にヒットし、日本でも郷ひろみのカバーにより知名度を増したリッキーマーティン。歌手として成功をしたと考えられる彼ですが、プライベートでも人生の伴侶を見つけて子どもも授かり幸せな日々を歩んでいます。
パートナーを得たリッキーマーティンの今後にも、注目していきましょう。
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