ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
2021/01/12 更新
ニューハーフタレントのカルーセル麻紀さんは70代後半になった現在も様々な場面で活躍しています。しかし、その一方で病気に襲われたことがあり、複数回の手術を経験していました。今回は、そんなカルーセル麻紀さんの現在や、壮絶な過去について紹介します。
オネエキャラとして強烈なキャラクターと共に、長年芸能界の第一線で活躍するカルーセル麻紀さん。
ゴージャスなイメージの裏には、若かりし頃はかなり苦労に支えられているのだとか。
まだ世間から性別と心が合致しないという状況に対して、理解が少なかった時代をどのように乗り越えたのでしょうか。
現在は、身体に不調を訴えているという噂も浮上しています。過去のエピソードから、現在のカルーセル麻紀さんの現在について見てみましょう。
日本の芸能界には、数多のオネエタレントがいます。IKKOさんや、はるな愛さんが「道を切り開いてくれた」と尊敬の念が止まないタレントがカルーセル麻紀さん。
カルーセル麻紀さんは、女性への性転換、戸籍の性別変更等をいち早く行い、その度胸が注目を集めたオネエ界のパイオニアと呼ばれる存在です。
多才な趣味で知られるカルーセル麻紀さん。その中でもヨーロッパ好きとして芸能界では知られています。
何しろ年に一度はヨーロッパに旅行をし、自宅の家具は、アンティーク調で、ドレスなどの装飾品もヨーロッパ産。
友人関係にある、黒柳徹子さんとヨーロッパ旅行に出かける事もあるのだとか。
カルーセル麻紀さんは、2020年12月時点において78歳を迎えました。とても70第後半には見えないアクティブなイメージがありますね。
現在の活動内容や、以前より噂されている病気について見てきましょう。
この年代であれば、悠々自適な生活をおくることも可能ですがカルーセル麻紀さんは、まだまだ現役で各種メディアに登場しています。
出演している番組は、バラエティ番組「いろいろダンディ」、「いい朝 8時」、ラジオ番組は「カルーセル麻紀のちょっと聞いてよ」、さらにCMも。
パンチの効いた毒舌が、カルーセル麻紀さんの魅力を際立たせていますね。
2020年4月29日に脳梗塞で救急搬送されたことがニュースとして飛び込んできました。
カルーセル麻紀さんによると、庭で草むしりを終えてコーヒーを飲もうとしたのですが、口の端からこぼれてしまい上手く飲めないことに気が付いたそう。
何か異変が起きているとピンと来たので看護師をしている妹に連絡すると、すぐに救急車が手配されました。
搬送された病院では、顔が曲がっていると麻痺を指摘されたのだそう。処置が早かったおかげで後遺症も無く、数日で退院しています。
さらに2020年12月には、閉塞性動脈硬化症という病気を引き起こし、手の手術を行ったことを発表しました。退院後の12月14日に囲み取材を受けています。
この病気は、手足の血管が動脈硬化によって、細くなったり詰まったりすることで血行障害が起こり、ふくらはぎの痛みやくるぶしの血種へと繋がってしまいます。
主にや徒歩による運動療法が取り入れられています。2020年はコロナウイルスの蔓延で、外出を避けていたことが、悪化した原因になっているようです。
カルーセル麻紀さんは、2011年に閉塞性動脈硬化の手術を皮切りに、何回か手術を受けています。
初めて手術を受けた際には、かなり状態が悪く危うく右足を切断するところだったと、バラエティ番組に出演した際に明かしました。
ここからは、カルーセル麻紀さんが、芸能界に入るまでの過去について振り返って見ましょう。
カルーセル麻紀さんの青春時期は、現在のような戸籍上の性別と心の性別との差について、理解がない時代。
カルーセル麻紀さんは、15歳で家を飛び出し、壮絶な苦難を乗り越えてきました。
初めて、自身の性別に違和感を持ったのは、小学生の頃のこと。将来の夢が、芸者か女郎だったのだとか。一人称も僕や俺ではなく「私」でした。
理解のない時代だったことから、周囲から「女のなりかけ」と呼ばれて育ったそうです。男性が好きだとはとても言えずに人知れず悩んでいたのだとか。
モヤモヤとした気持ちを抱え続けてきました。テレビで美輪明宏さんを見て、こんな生き方があるのかと雷に打たれたような気持になったそう。
15歳の時で高校を中退し、家出しています。札幌のゲイバーに応募し、初日から舞台で踊っていたそうです。
その後は、北海道だけでも帯広、根室、室蘭、旭川を転々とし、さらに青森や銀座などゲイバーを渡り歩いてきました。
熱海のゲイバーで働いていた時代に、店のバーテンダーと恋仲になり駆け落ちして夜逃げして、喧嘩別れをしたこともあったのだとか。
19歳で大阪の「カルーゼル」に落ち着くまでに家を16回転居したのだとか。かなりドラマチックな人生ですね。
19歳で睾丸摘出手術を受け、30歳の頃にモロッコで性転換手術を受けています。
手術費用は、現在で換算すると1000万円相当になるのだとか。当時のカルーセル麻紀さんは、フランスでゲイバーを経営していました。
モロッコで手術をしたという非常に美しい女性と出会い、モロッコに渡ることを決意したと語っています。
手術後に傷口が上手く癒えなかったので、40℃を越える高熱がおさまらず、死を覚悟した瞬間も。
まさに壮絶な手術を乗り越えたものの、戸籍上で女性と認められるまでにかなりの長い年月が必要だったのです。
性転換手術をして身体は女性にカテゴライズされるようになりましたが、戸籍を女性に変更ができたのは、2004年10月のこと。
当時61歳だったカルーセル麻紀さんは、性同一障害を理由として、戸籍を変更する裁判を起こしていました。
東京地裁が認めたことで、やっと本名の「平原徹男」から「平原麻紀」へと変更が受理されています。
恋愛に関しては、かなり奔放だったカルーセル麻紀さん。最大6人の男性と交際してきたこともあったと明かしています。
30歳の頃にパリのディスコバーで出会ったフランス人男性からプロポーズされたことをきっかけに、交際期間を経て結婚に至ったそうです。
実際に入籍していなかったので、事実婚だったようですね。ただし、結婚生活は長くは続きませんでした。カルーセル麻紀さんの多忙さから、いつしか喧嘩ばかりするようになり、破局したのだとか。
この一件で苦い経験が尾を引いてしまったのか、その後カルーセル麻紀さんは、交際男性はいたのですが、結婚に対して躊躇するようになり、独身を続けています。
15歳で家出して、自身の思うように生きる道を選んだカルーセル麻紀さんの、兄弟について紹介します。
カルーセル麻紀さんの家族は、両親と8人の兄弟とカルーセル麻紀さんです。9人兄弟の次男として誕生しましました。
カルーセル麻紀さんが、オネエであることが分かると兄弟からは「家に帰ってこないで欲しい」と、勘当されていました。
一番下の妹が結婚する時に、母親が思い切って妹の旦那の親族に紹介すると、暖かく出迎えて貰えたのだとか。
この頃になると、少しずつ「性同一性障害」に対する理解も深くなってきたことも追い風になったようです。
現在では、親族と打ち解けています。自身のブログを見ると、母親の7回忌で里帰りをして、皆で写真を撮影したり楽しそうに姪や甥と会話している写真がアップされています。
カルーセル麻紀さんは、実業家のマダム信子と似ていると言われるそうです。日頃の交流も深く、2018年には、2人の「姉妹対談」も実現しました。
マダム信子さんも、カルーセル麻紀さんにソックリだと言われてきたそうです。
お互いにテレビで見かけたことがありましたが、実際に対面したのは共通の知り合いのパーティーに参加した時のこと。
目が合うと、2人も何も言わずに歩みよりハグによる挨拶を交わしたと明かしています。何も言わなくても、通じ合う何かが、あったということなのでしょう。
マダム信子さんの本名は、川村信子さんです。生年月日は1951年12月14日生まれ。カルーセル麻紀さんより9歳下ということになりますね。
若くして喫茶店や、高級クラブ、不動産業などを手掛けてきた女性実業家。
バブル崩壊後は、大阪府箕面市で洋菓子店「マダムシンコ」をオープン。本店の他に「大丸梅田店」、「新大阪駅アントレマルシェ店」などに出店しています。
カルーセル麻紀さんは、オネエのパイオニアとして知られるタレント。若い頃は、まだ日本において、性同一性障害という言葉が知られていなかった時代でした。
小学生にして、自身の性別に違和感を覚えていたのだとか。15歳で高校を中退するとゲイバーを転々とし、札幌、銀座、青森など転居を繰り返していたのだとか。
こうして30歳でパリに店を持つ実業家になったカルーセル麻紀さんは、モロッコで性転換手術を受けて身体は女性になりました。
しかし、戸籍も女性として認められるまでに、30年間かかったことが明かされています。
2020年のカルーセル麻紀さんは、2011年頃から閉塞性動脈硬化症を患い何回も手術を受けています。さらに2020年の4月末に脳梗塞の症状が出て救急搬送も。
現在もタレントとして、テレビやラジオに登場。体調が心配ではありますが、これからの芸能活動にますます目が離せませんね。
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