ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
2020/12/15 更新
元バレーボール全日本男子の主将で、その後プロビーチバレー選手として活躍した「川合俊一」。現在はキャスターやタレントとして活動しています。お茶の間でも人気の川合俊一が、株に詳しくて株で大損したという噂は本当?彼の奥さんや子供、実家についてもご紹介します。
川合俊一さんは、かつて男子バレーボールの全日本のエースとして活躍した経歴の持ち主。
引退後は、タレント業やスポーツ解説をしながら投資家の顔を持つようになりました。実は、とんでもない株の大損をしたことがあるのだとか。
一体損失額とはどのくらいになったのでしょうか。その後の川合俊一さんの資産についても調査しました。
川合俊一さんは、2020年現在57歳になりました。見た目が若々しい風貌があることから、意外に感じる人も多いようです。
身長は195cmで、体重は100kgであると公式サイトで公開されています。
【フジテレビ公式】川合俊一さん・ワールドカップバレー2019
父親から、将来は身長が伸びそうだから、身体を活かせるスポーツを勧められた川合俊一さん。
中学生からバレー部に入学し頭角を現しました。高校は、都内のバレー名門で知られる明大中野高校を卒業。
日本体育大学に進学し在学中に、アジア選手権に出場。試合では、「一人時間差攻撃」を披露し、対中国戦で逆転劇に貢献しています。
大学卒業後は、富士フィルムにプロのアスリート枠で入社。同期には、その後日本バレー界を牽引する熊田康則さん、井上謙さんがいました。
3人トリオで、「ビッグ3」と呼ばれ、富士フィルムの日本リーグ優勝に尽力。
特に川合俊一さんは、実力もさることながら、アイドル顔負けの柔和な顔だちが女性の心を掴み、バレンタインデーには、トラック4台分になるチョコレートが届いたのだとか。
実は、中学生の時にモテすぎて女子学生が川合俊一さんの争奪争いで喧嘩を始めてしまったというエピソードを川合俊一さんが出演した「スッキリ」において語っています。
川合俊一さんが、現役引退と共に富士フィルムを退社したのは1990年。本来、1988年に行われたソウル五輪を期に引退する予定でした。
当時の監督だった南将之さんにキャプテン衆院を依頼されて、思い返してみるとこれまでキャプテンの経験がなかったことに気が付き、引退を撤回したのです。
引退後に選んだ道は、プロのビーチバレーの選手でした。海外遠征で忙しい生活を送りながら、キャスターやタレントとしての活躍も見せています。
現在運用しているSNSはインスタとブログです。メインは、仕事の宣伝。テレビ局のスタジオで共演者との撮影を楽しそうにしている様子がうかがえます。
2020年4月23日に更新したインスタには、珍しく仕事に関連の無い、画像が投稿されました。お皿の上に乗ったおにぎりの写真と共に「ハイヒールモモコから、おにぎりリレーが回ってきた」とコメントしています。
どうやら手作りのおにぎりの画像をアップしてから、友人の大林素子さんと、山本隆弘さんを指名しました。
川合俊一さんは、引退後から投資を始めています。過去には、株価下落による大損したことも。2017年に放送された「有吉ゼミ」にて、投資の様子を密着取材受けたこともありました。
ここからは、川合俊一さんの株に関する株のエピソードを見てみましょう。
投資を始めたのは現役時代で25歳の頃でした。川合俊一さんによると「仕事にも慣れて、心に余裕が出てきた時」だったと語っています。
株を始めたきっかけは、証券会社に勤務する友人に勧められたそうです。その背景には、芸能人の友人達が土地を購入するなど羽振りの良い生活を送っていたことに関係しています。
川合俊一さんは、完全なサラリーマンだったので、そのような経済的余裕が無いことに焦りを感じたのだとか。
こうして、友人に相談しながら銘柄を製造業の会社と印刷業の会社の2つに絞り、投資生活がはじまったのです。
友人に勧められて購入した140万円分の銘柄は、すぐに倍の金額に。バレーボール引退後も、株を続けた結果43歳になる頃には、資産が2億円にまで増加。
当時は、バブル期であったことも成功理由の1つ。ところがバブルが弾けて、リーマンショックを迎えると不景気が訪れました。
2億円を超えた資産は、5千万円にまで落ち込みを見せたのです。その後、株式の勉強を本格的に行った川合俊一さん。
現在は、損した分を取り戻しているのだとか。
川合俊一さんのプライベートに関して、やはり気になるのは、嫁や子供ではないでしょうか。川合俊一さんの結婚生活や子供に対する価値観について見てみましょう。
川合俊一さんが結婚したのは、1997年のことでした。嫁は、元女優の中野みゆきさん。
見た目は、おっとりとした女性ですが、性格は勝気そのもので、「極道の妻」、「スケ番刑事」などの作品に出演していました。
結婚する1年程前から同棲生活をスタート。結婚後は、嫁として家庭に入っています。
結婚後は、芸能界の仕事をしていません。実質上の引退ということになりますね。
川合俊一さんは、結婚後20年以上か経過し現在も夫婦として生活が続けています。夫婦仲は良好であると明かしていますが、2人の間には、子供が生れたという噂は入っていません。
子供を作らない理由について、驚きの内容を明かしています。
子どもが生まれたら、どうなるのかを考えた川合俊一さんは「男の子が生れたら、スポーツ選手として育てることになる。もし、日本一にならなかったバカにしてしまうだろう」と語っています。
父親として、ストイックになりすぎてしまうことを懸念しているようですね。
子供が女の子だったとしても、世の中が物騒なので心配で仕方がない。学校に1人で通わせるなんて考えられないのだとか。
意図して子供を作らなかったのか、本当は望んでいたものの授かることができなかったのかは、明かされていません。
川合俊一さんには、雑誌「サライ」のインタビューで、実家や家族について語っています。
川合俊一さんには、弟がいることをご存知でしょうか。川合庶さんという名前で、兄と同じようにバレーボール浸けの生活を送ってきました。
バレーボールは、大学時代まで続けて1993年からは、ビーチバレーに転向。現在は、ビーチバレーのコーチをしていることが判明しています。
川合俊一さんが実家や家族について語ったのは、雑誌「サライ」のウェブサイト版のページです。外食する際に、とんかつがメニューにあれば必ず注文すると決めているのだとか。
理由としては、実家がとんかつ屋なので食べ慣れているのだと語っています。
店舗は、2012年頃までは経営していたことが確認されていますが、それ以降に両親が経営しているか、については情報がありません。
2020年の川合俊一さんは、愛知県碧南市在住であることが判明しています。
2015年にトヨタ自動車のビーチバレーボール部を創部されて、ゼネラルマネージャーに就任。これに伴い住居を移したようです。
愛知県碧南市には、国内最大級のビーチバレー専用室内コートが所在していることで知られています。
川合俊一さんは、大学卒業後に富士フィルムに入社し、1980年代のバレーボール界を牽引してきました。
同期入社した熊田康則さん、井上謙さんと共に「ビッグ3」と呼ばれ、爽やかな笑顔が女性ファン急増で話題に。
一方で、現役時代から株式投資を始めて、引退後も着実に資産を増やし43歳の時に2億円の資産構築に成功。
しかし、リーマンショックによる経済不況で、1億5千万円に渡る大損を計上した苦い経験もありました。
プライベートでは、元女優の中野みゆきさんと1997年に結婚。子供はいませんが夫婦仲は良好であるのだとか。
現在はタレントや、ビーチバレーコーチ、キャスターとして目まぐるしい活躍を見せる川合俊一さんに、これまで以上に目が離せませんね。
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