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    未だ解明されてないギョベクリテペ遺跡の謎!超古代文明の存在とは?

    世界最古の遺跡であるギョベクリテペ遺跡。これまで様々な歴史を塗り替えてきたギョベクリテペ遺跡ですが、未だに謎の部分も多く、都市伝説も存在しています。どんな人が建造し、何に使われていたのか?また誰によって建造技術が伝えられたのか?ギョベクリテペの謎に迫ります!

    神秘的な謎で注目!ギョベクリテペ遺跡

    世界最古の遺跡と言われているトルコのギョベクリテペ遺跡。考古学者による様々な調査の結果から、石を積み上げた建造物が発見されたことで人々が祈りをささげていた神殿であることが判明されました。

    ギョベクリテペ遺跡が建てられたのは推定11,500年前と言われています。でも、これは世界最古の文明といわれているシュメール・ウバイド文明以前のことで、今だに解明されていない謎も多く、多くの人々の注目を集めています。

    宗教、建築の歴史、人間の始まりなどの様々な視点から注目されているギョベクリテペ遺跡。当時では考えられないような技術で建造されていることでも話題になっています。今回は、その謎や歴史についてご紹介します。

    ギョベクリテペ遺跡とは?

    ギョベクリテペ遺跡とは、世界最古の宗教施設とされる遺跡です。日本でいう縄文時代の時期に建てられたといわれているこの遺跡は、少なくとも亜旧石器時代から始まる幾世紀にもわたる活動の痕跡を示しています。

    また、紀元前9千年紀に建てられた小さい建物群は地中に埋まったままになっているなど不思議な点も多く、建物の造りや発掘物からは神に祈りをささげていた場所として注目されました。まずは、ギョベクリテペ遺跡の大きさや建造された時期についてご説明します。

    新石器時代の遺跡

    ギョベクリテペ遺跡とは、アナトリア南東部、前ウルファ、エデッサであるシャンルウルファの郊外の丘の上に在る新石器時代の遺跡です。高さは15メートル、直径はおよそ300メートルにも及ぶ巨大遺跡で、標高はおよそ760メートルとなっています。

    ギョベクリテペの発掘調査は1996年から開始され、ドイツの考古学チームにより行われました。この発掘チームの指揮を執ったのはクラウス・シュミット。彼が他界する2014年まで続けられました。

    トルコの南東部に位置するギョベックリテペ遺跡は、発掘が始まった1995年からというもの、考古学界の文明の起源について考え方を一変させました。それは、精巧な模様が削られた巨石や、独特のT字形をした石柱のある円形の建造物は、まだ世界において農耕が始まっていない1万2000年以上前のものだったからです。

    構造物は非常に古い

    ギョベクリテペ遺跡の遺丘に残された構造物は非常に古く、紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられたといわれています。さらに、これらの構造物には2段階の発達が見られ、第一段階では巨大な丁字型の石柱がいくつも円を描くように並べられており、第二段階では石柱は小さくなり、磨かれた石灰の床を持つ長方形の部屋に立てられています。

    物理探査によると、石柱の総数は200本以上あり、それらの描き出す円が20確認されています。また、それぞれの石柱は6メートル以上で20トンの重さがあり、が基盤岩に穿たれた穴にはめ込まれています。

    さらに、トポグラフィック・スキャンによると、遺丘の隣に位置してこれから発掘調査が予定されている構造物は1万4000年から1万5000年前のものであることが明らかにされています。

    トルコの南東部の丘の上

    ギョベクリテペ遺跡は、トルコの南東部のシャンルウルファの丘の上から発掘されました。発掘調査は、アメリカのシカゴ大学チームとトルコチームにより1960年代から始められていましたが、発掘された場所は長い間耕作地として使用されていて、耕作に邪魔な石などは他の場所に運び出されたり、壊されたりして、遺跡としての姿は残っていませんでした。

    しかし、その後、ドイツの考古学チームが発掘を続けると農夫が畑を耕しているときに大きな石を見つけ、よけるために石を掘っていくとそれが石柱と判明。本格的に調査が開始されたことにより、堀り続けた先には巨大なT字型の石柱が発見付近に大規模な遺跡があることも発見されました。

    トルコの古代遺跡・ギョベクリテペの高度な文明についてご紹介します。

    最古の高度な文明

    最古の文明といわれていたメソポタミア文明。しかし、ギョベクリテペ遺跡は、それよりも7千年も古い文明の遺跡であることが判明しています。また、エジプト文明の証であるピラミッドさえも7000年前に建てられていることから、ギョベクリテペは世界的にかなり昔の建造物であることがわかりますね。

    ギョベクリテペ遺跡は、新しい建物が造られたり埋められたりを繰り返し、最終的には紀元前8000年頃に埋められたまま放置されていることがわかっています。また、石柱や石壁には動物が彫られているため、当時はすでに動物も生存することができる緑豊かで水も豊富な地域であったことが予測されます。

    発掘は全体の5%

    ギョベクリテペ遺跡は、まだ全体の5%ほどしか発掘が進んでいないため、様々な謎が残されていろいろな解釈がなされています。

    遺跡は先土器新石器Aに属しているというのが公式な見解ですが、今のところは栽培植物や家畜の痕跡などは見つかっていません。そのため、当時のこの地域の人々はは狩猟採集社会を形作っていたものの、ごくわずかの住宅地として使われていた痕跡も見つかっているため、1年のうちのいずれかの期間はどこかの村に移住していたという仮説があります。

    ギョベクリテペ遺跡の謎は?

    ギョベクリテペ遺跡は、5%しか発掘されていないことや最古の文明といれているメソポタミア文明よりも7千年も前に建築された遺跡であることなど様々な謎が残されています。

    また、文明が発生するには、農耕による食糧生産の開始が前提とされ、それによる余剰農作物の生産がなければならないといわれており、農耕が始まる前にすでに宗教が存在していた可能性も高まり注目されています。

    それでは、ギョベクリテペの謎に迫っていきましょう。

    近くに村落がない

    これだけの建築物を造るには長い年月と人材が必要であるため、周りにはこの神殿の建造に携わった人々が生活する住居などがあるはずですが、近くに村落があった形跡は見つかっていません。

    また、すぐに移住したとしても、大規模な建造物の側に村落がないのは不思議なことであり、少なくとも建造物が完成するまでの間に生活していたと思われる形跡がないと、様々なことが立証されません。

    また、研究者の中にはギョベクリテペ遺跡は紀元前8,000前には放棄されており、建造されてから2,000年もの間放棄されていたことから周辺に人が住んでいた村落の形跡がないのではないかと唱える人もいるようです。

    出土した石像の意味

    ギョベクリテペ遺跡では、日本でいうと「土偶」のような、人をイメージした石像が見つかっています。その中には、頭が無いものや口が無いものが意図的に作成されていたと思われるものがあり、当時は人身御供の代替品として利用されていたのではないかと言われています。

    また、ギョベクリテペ遺跡からはチリ領のイースター島にある人面の形をした石造彫刻であるモアイなどと共通する部分も発見されていることから何らかの関係性があった可能性も噂されています。

    文明以前の宗教

    ギョベクリテペ遺跡には、直径20~30mほどの円形や楕円形に石が積み上げられた建造物があり、それが祈りの象徴を表しています。

    これまでは、人間が農耕生活を開始してその地に定住したときに生まれたと言われてきた宗教。しかし、ギョベクリテペ遺跡には人々が住んでいた形跡が無く、まだ狩りをして暮らしていたといわれていたメソポタミア文明以前の時代に神殿が建てられていたことも驚きの発見でした。

    ことから、ギョベクリテペ遺跡において農耕という文明以前に宗教があった可能性も出ており、発掘調査が続けられています。

    ギョベクリテペ遺跡で祈りの行事が行われていたとすると、これまで世界最古の神殿といわれていたマルタ島の巨石神殿の言い伝えが覆されることになり、さらに注目されることになりました。

    神殿遺跡の可能性

    ギョベクリテペ遺跡では、3つの頭蓋骨の破片に死後加工された痕跡が発見されており、世界最古の頭蓋崇拝が行われていたとみられています。宗教において頭蓋崇拝は多く行われていることですが、この古代から頭蓋崇拝があったという考えはギョベクリテペ遺跡が発掘されたことにより初めて思案され始めました。

    また、この3つの頭蓋骨の破片以外でも人の形をしたと思われる石像がいくつも発見されており、頭部や口が無いものがあることから生贄信仰があった可能性も指摘されています。

    このように、ギョベクリテペ遺跡が発掘されたことにより、メソポタミア文明以前から人々には宗教の習慣があったのではないかといわれており、ギョベクリテペ遺跡は神殿遺跡であったのではないかといわれています。

    ギョベクリテペ遺跡と彗星が衝突した?

    ギョベクリテペ遺跡の発掘が進むにつれて、石柱には彗星と衝突したことが表記されていることが発見されました。それにはどんなメッセージが残されているのでしょう。ギョベクリテペ遺跡と彗星が衝突したといわれる時期についてご紹介します。

    彗星の破片が地球に衝突

    ギョベクリテペ遺跡には、バルチャーストーンと呼ばれる石柱がありますが、そこに刻まれた彫刻が、それまでいくつもの彗星の破片が地球に衝突したことを示しているといわれており、それにより、ミニ氷河期が日本に到来したことがほぼ明らかになっているといいます。

    彗星衝突説は、アメリカのエディンバラ大学の研究チームによって発表されています。それは、ギョベクリテペ遺跡に彫刻されている動物は星座のシンボルであると解釈し、コンピューターで配置パターンを分析したところ紀元前10,950年のものと判明しました。

    紀元前10,890年といえば、新ドリアス期が始まった時期。新ドリアス期における急激な気温の低下が、隕石の衝突が原因しているかどうかについては長年、議論されてきましたが、その時期は、農業が始まり、最初の新石器時代文明が誕生していることから人類の歴史において重要な期間となっています。

    そのため、彗星の破片が地球に衝突したことを物語っているのではないかといわれているのです。

    地殻変動の記録

    彗星が衝突する前、アメリカ中東部では広い範囲で大麦と小麦が自生されていて、人類はその場所に定住するようになっていました。

    しかし、彗星の衝突による氷河期で気温が低下したために、狩猟採集民は作物を育てる方法を駆使する必要があり、そこから厳しい気候でも小麦などの作物が育つように、水の与え方や種の選び方が生み出され、現代の農業へと発展していきました。

    ギョベクリテペ遺跡の石柱には、このように地殻変動の記録が残され、彗星が衝突したことを後世に伝えるべく、人々によって1,000年間もの間大切に扱われてきたようです。

    ギョベクリテペ遺跡は人類史を変える?

    ギョベクリテペ遺跡は高度な建造物として知られていますが、その時代からは考えられないような技術を要したのではないかといわれています。そのため、その技術を伝えたものを「神」として崇められていたのではないかという説か存在します。

    その技術を伝えたのは一体どんな人だったのか。その人物像に迫ります。

    宇宙人が高度技術を伝えた

    ギョベクリテペ遺跡の都市伝説によると、ギョベクリテペ遺跡を建造する技術や当時の農耕文化を伝えたのは、宇宙からやってきた宇宙人ではないかという説があります。それも、宇宙人には口が無く、テレパシーで技術を伝授していたといわれているのです。

    また、宇宙人によって人間が作られたのではないかという都市伝説も存在し、イエスキリストもその1人だともいわれています。人間の始まりというのは定説が無く、とても曖昧なためいろいろな説が存在するようです。

    人類はアヌンナキに創られた?

    紀元前3,800年頃に始まったシュメール文明は、突然現れたシュメールの人々によってイラク南部のユーフラテス河地域が栄えたことで始まりました。シュメールの人々は突然現れたかと思えば、現代文明に匹敵するほどの高度な技術を伝え、一瞬にして都市社会を繁栄させてしまいます。

    この、あっという間に発展した文明は今も多くの謎を残しており、世界中の考古学者が頭を抱えていますが、シュメールの人々が残した粘土板「シュメール文書」が謎を解く鍵だと、オックスフォード大学の教授が話しています。

    考古学者のゼカリア・シッチンが「シュメール文書」を解読すると「アヌンナキ」という神々の集団による逸話が多く残されていることから、「人類を創造し、シュメール文明を興したのはアヌンナキで間違いない」と主張しています。

    ゼカリア・シッチンの主張は、人々に到底信じられる内容では無く嘲笑していた人もいたそうですが、科学技術や研究が進むにつれてゼカリア・シッチンの主張は信ぴょう性を増したといわれています。

    ギョベクリテペ遺跡の最新情報は?

    今でも多くの謎が残るギョベクリテペ遺跡については、現在も多くの考古学者が研究と発掘を続けています。そのため、ギョベクリテペ遺跡についての仮説は日々進化しているようです。

    また、ギョベクリテペ遺跡は世界遺産にも認められました。そこで、ギョベクリテペ遺跡の最新情報をご紹介します。

    15の神殿などが発見

    現在、ギョベクリテペ遺跡には、5つの巨大な神殿と、200以上の神殿などに立てられた記念碑であるオベリスクがあることが確認されています。また、ギョベクリテペ遺跡の発掘が今後も数年にわたり引き継がれていけば、新たな建造物がまだまだ出てくるだろうといわれいます。

    さらに、ギョベクリテペ遺跡からは儀式的な建造物が見つかっているものの、神殿を造った人々が生活していた場所や、跡はまだ見つかっておらず、発掘が続いていけば、まだまだ見つかる可能性があるといわれています。

    世界遺産に登録

    ギョベクリテペ遺跡は、トルコ共和国外務省から2018年7月1日に行われた書面発表でユネスコ世界遺産への登録申請が認められました。

    多くの国際機関により「世界最古の神殿」として認められたギョベクリテペ遺跡。ユネスコ世界遺産リストに登録されることになったということで、シャンルウルファの県民や市民団体などトルコ国民はもちろん、外国人観光客も大いに喜んでいるそうです。

    ギョベクリテペの進行を引き継いだ遺跡「ネバル・コリ遺跡」

    ギョベクリテペ遺跡の進行を引き継いだといわれているのが、ネバル・コリ遺跡。ネバル・コリ遺跡は現在はアタテュルクダムの下に沈んでしまいましたが、噂によると、ギョベクリテペ遺跡の建造が放棄された時期と同じ年代に建造されたといわれていて、造りがギョベクリテ遺跡にそっくりなのだそうです。

    ネバル・コリ遺跡からはギョベクリテペ遺跡にそっくりな地下神殿が発掘されましたが、神官らしき人の像も奉られていました。

    ネバル・コリ遺跡はギョベクリテペ遺跡が埋められた500年後あたりの遺跡といわれていて、どちらもシャンルウルファという地域にとても近いことから、ギョベクリテペ遺跡の建造技術が受け継がれた可能性が指摘されています。

    ギョベクリテペ遺跡の解明はまだまだ続く!

    古代とは思えないほどの高い技術で建造され、当時の環境からも今でも多くの謎を残しているギョベクリテペ遺跡。この遺跡からは、古代文化や当時の人々のあり方、さらには人間のはじまりなど、様々なことが言い伝えられています。

    その神秘的で壮大な遺跡は、世界遺産にもなり、夢多き歴史としてこれからも多くの人々を魅了していくことでしょう。今後もギョベクリテペ遺跡の最新情報に注目です。

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