ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
『この金屏風事件は異様な光景だった…』。平成元年12月31日に行われた、当時人気絶頂だった中森明菜さんの緊急記者会見に出席した記者たちは皆、口を揃えて言うそうです。この中森明菜さんの緊急記者会見が『金屏風事件』と呼ばれるようになります。
この記者会見には “金屏風(結婚式やお祝い事などで用いられる屏風)”が会場には用意されており、また熱愛交際が噂されていたジャニーズ事務所の近藤真彦さんも同席するとの事で、集まったマスコミ関係者は一同に『結婚するのだろう』と思ったそうです。
しかし会見が始まり中森明菜さんから出てきた言葉は、かねてから熱愛交際が噂されていた近藤真彦さんとの熱愛交際の全否定と、近藤真彦さんの自宅で自殺未遂をして迷惑をかけてしまった事、自身のファンと世間にも心配をさせてしまった事への謝罪でした。
結婚式や祝い事で使用する『金屏風』の前での涙ながらの謝罪会見は、熱愛交際が噂されていた近藤真彦さんも同席するなど、集まったマスコミ関係者の目にはとても異様な光景で『金屏風事件』と呼ばれるようになります。
そしてこの、金屏風事件の記者会見から中森明菜さんは精神を病み、ジャニーズ事務所も深く関わっているという事から、いまだに中森明菜さんが芸能界完全復帰が出来ない状態に陥ってしまっていると言われています。
中森明菜 - ミ・アモーレ-3-1
当時80年代アイドル全盛期。小泉今日子さんや堀ちえみさん、松本伊代さんやシブがき隊など多くの人気アイドル達を生み出した “花の82年組” 。その中でも、抜群の歌唱力とミステリアスな美貌から多くの同期から妬まれるほどの圧倒的人気を誇った中森明菜さん。
妬みや仲間からの中傷などが酷いなか、それでも中森明菜さんはいつも笑顔で、そして絶大な支持を得る歌声でファンの心を捉えていました。
アイドル恋愛禁止が “暗黙の了解” だった当時、熱愛が噂されていた近藤真彦さんとの恋愛は決して中森明菜さんが口にすることはありませんでしたが、マスコミ関係者は確信を持ってスクープを追いかけていたと言います。そんな中、熱愛交際が順調だと思われていた中森明菜さんが自殺未遂をしたのです。
平成元年7月11日、事件は起きます。順調に熱愛交際していると思われていた中森明菜さんと近藤真彦さんでしたが、近藤真彦さんが自宅を留守にしている間、中森明菜さんが近藤真彦さんの自宅の風呂場で左手の肘内側を十字に深く切り裂き自殺を図りました。
中森明菜さんが切り裂いた左手の肘内側は、かなり深くまで達していたため血管や神経を切断しており、その血管と神経をつなぐ緊急手術が行われ、手術時間は6時間以上にも及ぶ大手術となり中森明菜さんの生命も危うく多くの人が心配しました。
不幸中の幸い命は取り留めましたが、人気絶頂の歌姫・中森明菜さんの自殺未遂報道はファンだけではなく世の中に激震が走りました。
中森明菜さんの自殺未遂で、近藤真彦さんとの仲が順調に行っていない事が世間に公となってしまったのですが、当時では中森明菜さんと近藤真彦さんは “人気アイドル同士の熱愛カップル” 。
歌番組をはじめ雑誌の表紙、映画でのW主演やイベントなどでの二人の仲睦まじい姿がたびたびマスコミなどに報道され、近藤真彦さんの所属しているジャニーズ事務所からは反対されているとの噂がありましたが、本人たちの堂々とした振る舞いから熱愛交際は順調なのだと思われていました。
中森明菜さんの自殺未遂から原因を探っていくと、次々に近藤真彦さんの不穏な噂が関係者から出てくるようになったのです。
中森明菜 - TATTOO
当時、中森明菜さんは人気絶頂の歌姫。リリースする楽曲すべてが大ヒットとなり芸能活動は寝る暇もなく多忙を極めていましたが、中森明菜さんは交際が順調だった恋人・近藤真彦さんとの結婚を強く望み、2人が結婚後に住む新居や家具などの資金に当てようとお金を貯めていたそうです。
そして結婚間近と思われたとき、近藤真彦さんに『結婚後の新居と家具などの購入の準備をしよう』と言われ8000万円を近藤真彦さんに手渡します。
しかし、中森明菜さんが手渡した新居や家具などの購入資金8000万円は、近藤真彦さんが芸能活動より熱中していた “F1レースの資金に全て注ぎ込まれた” と言われています。近藤真彦さんは1984年に『富士フレシュマン』でカーレースデビューしており、中森明菜さんの自殺未遂の頃は “F3レース” に参戦していました。
中森明菜さんが近藤真彦さんに手渡したお金は “この結婚資金の8000万円の他にも数億円ある”とも言われています。
1989年2月、週刊誌『フライデー』に近藤真彦さんと、人気アイドル松田聖子さんとの『ニューヨークでの密会キス写真』がスクープされました。松田聖子さんは神田正輝さんと結婚しており、出産を終え芸能界復帰後アメリカ進出を望みアメリカへの行き来が多くなった最中の『密会スクープ』でした。
ニューヨークの高級ホテルの一角で、近藤真彦さんと松田聖子さんが仲良く体を寄せ合う姿やキス写真がスクープされ、ワイドショーなどで近藤真彦さんの二股交際疑惑が流れました。
この “近藤真彦・松田聖子の密会” を知った中森明菜さんが度重なるショックに混乱し、鬱になったため近藤真彦さんの自宅で自殺を図ったと言われています。
1:31 / 4:23 1989年6月6日 近藤真彦とのニューヨーク密会報道を説明する松田聖子
自殺未遂をしてしまった中森明菜さんは、約1ヶ月近く『面会謝絶』となり、所属していた芸能事務所 “研音” の関係者でも会えなかったといいます。中森明菜さんは退院後、1年間の活動休止を表明し、こつぜんとその身を隠してしまいます。
そのような時期でも『事件後、中森明菜さんと近藤真彦さんはどうなったのか?』と記者が2人の関係場所に張り付き “自殺未遂後も近藤真彦さんが新しく引っ越した新居で2人で同棲をしている”という報道が流れたりするなど、2人の交際は続いているものだと認識されていました。
そして活動休止中である12月31日の大晦日、約半年間の休養を経て、恋人である近藤真彦さん同席のもと “金屏風” が用意された会場で『金屏風事件』と後に呼ばれる緊急記者会見を中森明菜さんは行う事となります。
約半年ぶりに中森明菜さんが公の場に姿を表すと言うことで、多くの記者やマスコミ関係者、テレビの前では多くのファンが見守る会見が始まります。
裏番組ではNHK紅白歌合戦が流れている最中の緊急記者会見でした。関係者の話によると、NHK側が人気アイドルだった中森明菜さんの “休養からの復帰をぜひ紅白で…”との申込みがあったのだそうです。
しかし、中森明菜さんは体調が万全ではないことを理由に断りました。中森明菜さんの為に復帰の舞台を用意しようとしたNHK側の申し出を断り、そのNHKの年末の一大イベントである紅白歌合戦の裏側で、緊急記者会見を開いた中森明菜さんの行動はNHKに対する嫌がらせに取られても仕方のない行動でした。
“復帰をぜひ紅白で…” と申し出てくれたNHKに対し、なぜこのような嫌がらせのような緊急記者会見になったのでしょう。それはこの緊急記者会見は、全てジャニーズ事務所が中森明菜さんを芸能界から消滅させようと画策したのではないか…と言われています。
この緊急記者会見の主催はレコード会社で、記者会見の流れをすべて裏で仕切っていたのはジャニーズ事務所だったと言われています。NHKの一大イベントの邪魔をし、中森明菜さんがNHKから干されるように仕向けたのではないかと…。
そしてもう1つの疑問が、なぜこの緊急記者会見が金屏風事件と言われるのか?それはジャニーズ事務所が中森明菜さんを騙し、会場まで引っ張り出したとの話があるからです。
会見当日まで中森明菜さんには『近藤真彦さんとの結婚記者会見を行う』と伝え、お祝い事で使用する “金屏風” を会場に用意し、中森明菜さんを連れ出すことに成功。そして会見が始まる直前に『自分のやってしまった事と近藤真彦は全く関係ないと言え』とジャニーズ事務所側に指示されたとされています。
ジャニーズ事務所側に中森明菜さんが『結婚会見を行う』や『関係ないと言え』と言われたとされるのは、あくまでも関係者の証言で本当にそのやり取りがあったのかは確証はありません。
しかし、会場に集められたマスコミ関係者一同は、会場に “金屏風” が用意されていた事により、皆が『結婚記者会見だろう』と思ったのだそうです。
『金屏風事件』での中森明菜記者会見
会場入りした中森明菜さんは、レコード会社社長たちと “金屏風” の前の席に座り会見が始まります。この緊急記者会見は中森明菜さんが『元気になった姿をぜひ、みんなにみてもらいたい。との希望で』と、この緊急記者会見が “自殺未遂をした事による謝罪会見である”旨を取材陣に伝えると会場がどよめきます。
『中森明菜さんの是非にぜひにとの希望で』と紹介された中森明菜さんは、明らかに憔悴しきっており、緊張が隠せないほどキョロキョロと目を動かし、口元はブツブツと何かを繰り返し言葉を呟いています。
誰の目に見ても『是非ぜひ、私の元気な姿を見てほしい』と中森明菜さんが希望し、覚悟を決めて会見が行われた様子では無いことが伝わります。中森明菜さんは緊張し、震えながら少しづつ話し始めます。
『みなさん…今年も暮れそうなお忙しい時間に…こんなにたくさん集まって頂きまして…ほんとにありがとうございます…』とたどたどしく話し始め、(以下はまとめさせて頂きます)
『生きている限り、色んな悩みを抱えてみんな生きていると思います。その悩みを一生懸命乗り越えて、頑張っている人がたくさん居ると思います。私も必死に耐えました。そして頑張りました。』
と自身がとても悩んでいた事を明かし、そして耐えきれず自殺未遂をしてしまった事を『自分の勝手な、わがままな行動で…』と皆に心配をかけ、迷惑をかけてしまったことを謝罪し、自身のファンに向け『大切な私のファンのみなさん…ごめんなさい…』と涙ながらに語りましました。
『そしてこれから先は辛いことにも負けない、明るい私でいたい』
『仕事をする限りは良い事ばかりがある訳ではなく、辛い事のほうが多いと思います』
『これから先は私が心の底から信用できる新しいスタッフに囲まれて、順調に仕事が出来るのでは無いかと思っています。』
と、所属事務所だった “研音” と何かトラブルがあって悩んでいた事を話し、そして新しいスタッフ(事務所)や心の底から信用できる人たちと頑張って仕事をして行きたいと語りました。
そしてこの緊急記者会見も、中森明菜さんが『わがままを言って開いてもらった』と語り、関係者に感謝の言葉を送り、近藤真彦さんへの思いを語り出します。
『私がみなさんの前にこうして出られる様に、毎日励まし元気づけてくれた近藤真彦さんに私は、自分よりずっと辛い苦しみを与えてしまいました。そのお詫びと、心からの感謝を贈らせてください。本当にありがとう』
近藤真彦さんに謝罪と感謝の言葉を消え入りそうな儚い声で、涙ながらに語る中森明菜さんは『これから心機一転頑張ろう!』や『年内に元気な私を是非ぜひ、みんなに見てもらいたい』と言うにはほど遠く、今にも心が潰れてしまうのではないかと思うほどに悲しい姿でした。
会見の中で、中森明菜さんが近藤真彦さへの謝罪と感謝の言葉を精一杯、涙ながらに語ったあと近藤真彦さんが颯爽と登場します。その姿は堂々としており謝罪会見に当事者としての同席と言うよりも、ピンチを救ったヒーローのような登場でした。
中森明菜さんは近藤真彦さんの登場に、立ち上がりお辞儀をし感謝の態度を見せ、2人並んでの記者会見が始まります。
中森明菜 十戒 (1984)
中森明菜さんの記者会見にまるでヒーローの様に現れた近藤真彦さんは、この会見がきっかけで世間から激しい批判を受ける事になります。
集まった記者やマスコミ関係者たちが『結婚記者会見かと思っていた』と言われるこの『金屏風事件』。近藤真彦さんはこの記者会見で何を語ったのでしょうか?
集まった多くの記者やマスコミ関係者は “近藤真彦さんの口から中森明菜さんとの関係が知りたい!今後結婚するのか?などの具体的な話が聞きたい!” が本音で、集まった記者から近藤真彦さんへ直球の質問が投げかけられます。
記者『結婚しようとか、婚約しようと言う話はどうなっているんですか?その辺、明菜さんでも近藤さんでも良いんですけど、お付き合いもこうして半年継続して来てたわけですよね』
近藤『はい』
記者『年が開けたら婚約しようとか結婚しようとか、詰めの話は登ってきているのでしょうか?』
近藤『そういう事は全く無いですが。(質問をした記者に対して)今日は一切〇〇さんの質問は避けるという心構えで来ました…以上!』
近藤真彦さんが、冗談で笑いを取るような質疑応答をしている最中の中森明菜さんは、下を向き涙を拭いながら切ない表情で我慢している姿が映し出されます。
近藤真彦さんは最後まで、中森明菜さんとの関係は “仲の良い友人” スタイルを貫き、中森明菜さんとは恋人関係ではなく『何でも話せる仲の良い友人』だと中森明菜さんとの関係を全否定しました。
近藤真彦さんが会見に現れ、最初の挨拶をする時も『何よりも1番初めに喜ばないといけないことは、彼女がこうしてみなさんの前に出られたと言う事だと思います。これは勿論ぼくも、ここに来ているマスコミの皆さまも彼女を応援して行ってあげないといけないと思います』
と、他人事のように話し始め、
『この半年間、事件の事に関しては話してはいけないという辛い立場にありまして、僕にとっては本当に辛い半年になりましたが、こうして明菜ちゃんが復帰するレールを引くお手伝いが出来た事に凄く喜びを感じて、1989年最後こうして飾れたと言う事が僕にとっては嬉しいことです』
そして会見が進み、記者から『これから先もずっと、明菜ちゃんの支えとなってあげようと言う気持ちは?』と言う質問に対し近藤真彦さんは、
『もちろん必要な時には僕で良ければね、いろいろなアドバイスその他もろもろ。今日も本当は僕は記者会見に出席する予定は無かったのですが、中森明菜ちゃんと社長がわざわざ家までご挨拶に来て下さって、それだったら僕も一緒に!と言うことで出席させて頂きました』
終始他人事のように語り、近藤真彦さんから今回の中森明菜さんの自殺未遂に対する誠意の気持ちは全く感じ取られませんでした。
近藤真彦さんは最後まで “仲の良い友人” スタイルを貫き通し、憔悴し涙を拭う中森明菜さんの横で、自身の来年の目標を語り始めたのです。
『来年僕も歌手として10年を迎えるわけで、歌にドラマにレースにそしてNHK紅白歌合戦に出られるよう頑張って行きたいと思います。どうもありがとうございました』
中森明菜さんの謝罪会見で自身の目標を語る場違いな発言、そしてNHK紅白歌合戦が行われている裏チャンネルでの来年は紅白歌合戦に出たい宣言 。自身がこの会見は無関係だと思わせる態度と発言に、中森明菜さんの大勢のファンや、会見を見ていた視聴者はこの記者会見の異様さに、金屏風事件と呼ぶようになります。
記事の最後に金屏風事件の記者会見の動画を載せております。見たい方はぜひご覧ください。
北ウイング 中森明菜
今回の『金屏風事件』を語る上で大きく関わっているのが中森明菜さんの自殺未遂騒動です。
先に紹介しましたが、中森明菜さんの自殺未遂の原因は『結婚資金として中森明菜さんが貯めていた8000万円近いお金を近藤真彦さんが趣味の レースに注ぎ込んだ』や『松田聖子さんとのニューヨーク密会』が原因で中森明菜さんが鬱になり自殺未遂をした。とされています。
しかし中森明菜さんは『金屏風事件』の記者会見では、記者からの『自殺未遂の理由は?』との質問に『仕事をする上での人間関係など…』と所属事務所だった “研音” を信じられなくなって…と答えています。自殺未遂の本当の理由は、近藤真彦さんなのでしょうか?それとも会見で語った"事務所”なのでしょうか?
中森明菜さんと近藤真彦さんは1980年代のアイドル全盛期、日本を代表する人気アイドル同士でした。中森明菜さんはもちろんの事、近藤真彦さんもまた今のジャニーズ事務所が有名になったのは近藤真彦さんあってこそ!と言われるほどジャニーズ事務所を有名にし、大きくした人気アイドルでした。
そんなジャニーズ事務所の看板でもあった近藤真彦さんと中森明菜さんとの熱愛交際は、ジャニーズ事務所は快くは思っていなかったと言います。ジャニーズ事務所役員メリー喜多川氏が、中森明菜さんには常日頃から『近藤とは別れるように』と忠告していたと言います。
そんな忠告も気にせず、中森明菜さんと近藤真彦さんの交際は順調に続いていると思われていました。そんな中、中森明菜さんが自殺未遂をしたのです。
ジャニーズ事務所役員メリー喜多川氏は、入院している中森明菜さんに毎日、中森明菜さんの所属事務所である “研音” が中森明菜さんに対して搾取している(搾取=労働者に対してそれに値する支払いをしないで、利益を自分のものにする事)と中森明菜さんに思い込ませたと言います。
そして中森明菜さんに『研音を辞めて独立する方向に』と中森明菜さんに独立を勧め、約1ヶ月の間 “面会謝絶” とし、所属事務所の研音の人間には一切会わせなかったそうです。
なぜメリー喜多川氏が中森明菜さんの所属事務所の “研音” の悪口を吹き込んだのか?それこそがメリー喜多川氏の中森明菜さんと近藤真彦さんを別れさせるための、そして中森明菜さんを芸能界から消滅させるための策略だったと言われています。
まず『中森明菜さんの後見だった大手所属事務所である “研音” から中森明菜さんを離してしまおう』と画策したのだと。
メリー喜多川氏が中森明菜さんに吹き込んだ “所属事務所から搾取されている” と言ったとされる年収ですが、事件当時の中森明菜さんの年収は5000万円、近藤真彦さんの年収は1000万円だったと言われています。
同じ人気アイドル同士でも中森明菜さんの方が近藤真彦さんより事務所から多くのお給料を受け取っています。中森明菜さんが “研音から搾取されている” という事は実際には無かったようです。
しかし近藤真彦さんを愛し、その近藤真彦さんの側近であるメリー喜多川氏の言葉を中森明菜さんは信じ込み、所属していた研音を辞め独立することを選んだとされています。そして、メリー喜多川氏の勧めで近藤真彦さんの担当だったジャニーズ事務所関係者と個人事務所 “コレクション” を立ち上げる運びとなります。
中森明菜さんは8人家族の3女として産まれました。一般家庭の8人家族ですから、生活は貧しかったそうです。幼い頃より体の弱かった中森明菜さんは、いつも家族に申し訳ない思いで生きてきたと語っています。
生活が貧しい中、母親の夢が芸能界だった事を知り『家族の為にお金を稼ぐのは芸能界しか無い。そして母の夢も自分が代わりに叶えてあげよう』との思いで、当時の人気テレビ番組『スター誕生!』のオーディションを3回受け、合格しました。
中森明菜さんが天性の才能からスターとなり、お金をたくさん稼ぐようになったころ、家族に異変が起きたと金屏風事件後の1995年に対談で語っています。
『父親が(兄・姉がお金を出してあげた)お店を潰しても、そのあとも4年も5年も仕事をしないようになったんです』 省略。『私には内緒で、毎月事務所(研音)から家族は多額のお金を貰っていたんです…そんな家族の状況を見ていると、自分が歌手になったのが間違いだったのでは無いかと思ってしまう』
『(5年前の騒動のとき)会社にしても、家族に対しても、人間が信用できなくなってしまったんです』と自殺未遂事件の事を中森明菜さん自身が語りました。
難破船 中森明菜
この『金屏風事件』は過去のことですが、当時を知っている人ならばとても有名なお話しです。若い世代の人たちでさえ『何となくなら知っている』という人も少なくは無いはずです。
30年経とうとしている今でさえ中森明菜さんや近藤真彦さん、また元ジャニーズ事務所関係者など新たな新証言という形で、次々に情報が塗り替えられています。
そして、先に紹介した金屏風事件ですが、また新たに『金屏風事件はデマだった』という話が今、広まりつつあります。私達が知っている過去の金屏風事件は本当にデマだったのでしょうか?そして新たな新証言とは何なのでしょう?
『金屏風事件はデマだった』という話は、拡散されてしまっている情報をそれが真実なのか?本当に起こった真相なのか?と疑問に思った方々が独自に調べ、総合的に信憑性があるのか?などを調査した結論です。
そもそも、この『金屏風事件』は当事者である中森明菜さんや近藤真彦さん、そして深く関係しているとされているジャニーズ事務所が何も詳しく語っていないのです。
中森明菜さんが『結婚記者会見と騙されて会場に連れて行かれた』や『近藤真彦さんに1億円以上のお金を騙し取られた』、『ジャニーズ事務所が中森明菜を芸能界から消そうと画策した』などはすべて元関係者などの証言などで出回り拡散され『金屏風事件の真相』として定着したのです。
ここで少し分かりやすく本当にあった事と、噂や元関係者の証言を整理します。
本当にあった出来事
噂や元関係者の証言
上に整理したように、本当に分かっている事実はこれだけで、定着している噂などは全て当事者ではない他人の証言なのです。
ジャニーズ事務所が中森明菜さんを芸能界から消そうとしたなどの噂も定着していますが、それならば中森明菜とジャニーズ事務所所属タレントは共演NGになりそうですが、実際は金屏風事件のあとに中森明菜さんが出演した、2006年放送ドラマ『プリマダム』でHey! Sey! JUNPの中島裕翔さんが共演しています。
当事者であった近藤真彦さんとも『ミュージックステーション』や『ザ・ベストテン同窓会』で金屏風事件後に共演しています。それらの事を考慮すると、今まで定着している『金屏風事件の真相』は信憑性が低いと言われだしています。
『金屏風事件はデマ』と言われ出したのにはもう1つの理由があります。それは木村恵子さんという人の書いた『哀しい性』(かなしいさが)、『中森明菜_激しさと寂しさの果の狂気』という中森明菜さんについての暴露本があるのです。
木村恵子さんは中森明菜さんと、金屏風事件後の1992年にラジオ番組で知り合います。それから2人は仲良くなり、中森明菜さんは木村恵子さんを『母』と呼ぶまでに慕います。木村恵子さんもまた中森明菜さんを本当の娘のように可愛がっていました。
中森明菜さんは木村恵子さんを自身の身の回りや、仕事の上での側近に置き信頼して全てを任せていました。そんな中、中森明菜さんがレストラン経営の男性と親密な関係になり始めた頃に木村恵子さんと中森明菜さんの間に亀裂が入り始めます。
その亀裂はわずか1年と短い間で、中森明菜さんと木村恵子さんの喧嘩別れという結末で終わりを迎えます。そして、喧嘩別れとなったあと、木村恵子さんは中森明菜さんの暴露本を出版し、多額のお金を手に入れます。
その暴露本の内容に『明菜がお金を騙し取られた』や『明菜は結婚記者会見だと信じて会場へ行った』など現在定着している内容の元ネタとなる内容が書かれているのです。中森明菜さんはその暴露本は『嘘ばかり書かれている』と訴訟を起こし、見事に勝訴しています。
その事から、この暴露本に書かれている事は『嘘ばかり…』となったため “金屏風事件はデマだった”との話も出てくるようになりました。本当の事も書いてあるのでしょうが、この暴露本が全て本当の事ではない事は裁判で証明されています。
金屏風事件から約30年経とうとしてい現在。今またこの『金屏風事件』が話題になりました。
話題になった原因が、人気アイドルグループだったジャニーズ事務所所属のSMAPの解散と近藤真彦さんの所属し、お世話になっていた元幹部という男性の新証言が出てきたからです。
SMAPの解散と、近藤真彦さんがお世話になっていた元幹部の証言とはどのような事なのでしょうか?
この近藤真彦さんがお世話になっていた元幹部の男性は『約30年経とうとしている今でも、中森明菜さんが精神を病み続けている姿が不憫でならない』と真相を話す決意をしたのだそうです。
その元幹部の証言とは、近藤真彦さんが中森明菜さんから『結婚の為の新居と家具を買おう』と8000万円を手渡し趣味のレースにつぎ込んだ。という噂は最も真相に近いもので、真相は “近藤真彦さんのマネジャーだった人物が、中森明菜さんに近藤真彦さんとの結婚を匂わせ、新居購入資金として8000万円を出させて自身の借金返済につぎ込んだ” と言うものでした。
そして、それを知ったジャニーズ事務所が、中森明菜さんと明菜さんの所属事務所であった研音に莫大な慰謝料を支払ったと言うのです。
そして “マネージャーの不祥事の共同責任で近藤真彦さんが中森明菜さんの謝罪会見に同席という形になった。しかし、中森明菜さんには直前まで婚約記者会見だと信じさせる必要があったために金屏風を用意し、会見直前まで謝罪会見だということを伝えてはいなかった”
と語ったそうです。この証言からまた『金屏風事件』が注目されることになります。
2016年12月31日、ジャニーズ事務所所属人気アイドルグループSMAPが解散しました。このSMAPの解散騒動がまた中森明菜さんの『金屏風事件』を掘り起こします。
SMAPがジャニーズ事務所であること、そして解散する日が12月31日の大晦日であること、さらに解散記者会見をしたSMAPメンバーの様子がテレビを見ていた視聴者やファンの間で『金屏風事件に似ている…』と話題になったのがきっかけでした。
『金屏風事件に似ている』となった記者会見は、木村拓哉さん以外の中居さん稲垣さん草なぎさん香取さんが暗く伏せっている様子が中森明菜さんに似ていて、木村拓哉さんだけが事務所に残留という事でハキハキとドヤ顔の様子が近藤真彦さんに似ていると言った視聴者の意見がSNSで話題になったのです。
SMAPのファン層は40代以上が多く、中森明菜さんの金屏風事件を覚えている人が大勢いたことからまたジャニーズの陰謀説がネットで浮上し『金屏風事件はデマ』説をまた覆す勢いで拡散されます。
結局、中居正広さんもジャニーズ事務所に残留する事となりSMAPは解散しましたが、1度はジャニーズ事務所を裏切ろうとした裏切り者として、現在中居正広さんのレギュラー番組などがどんどん打ち切りになって行くなどして実質干されているのではないか?という状況からSNSなどではジャニーズ陰謀説が噂されています。
そして一度はデマ説が広まりつつあった中森明菜さんの金屏風事件が、ジャニーズ事務所の企てた陰謀説だとの噂がまた注目されるようになりました。
中森明菜さんは幼い頃よりバレエ教室に通い続け、母親の夢だった芸能界(歌手)になるため、当時人気番組だった『スター誕生』のオーディションを3回受け、最終審査で山口百恵さんの『夢先案内人』を見事歌いきり、番組史上最高得点の392点を出し見事歌手デビューしました。
中森明菜 - DESIRE
中森明菜さんは16歳の時にオーディション番組『スター誕生!』に出場し、3回目で合格。
1982年『スローモーション』でデビュー。2枚目にリリースされた『少女A』が爆発的ヒットを飛ばし、以来『セカンド・ラブ』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』などが大ヒット。『ミ・アモーレ』『DESIRE-情熱-』が2年連続で日本レコード大賞受賞し、松田聖子さんと共に時代の2強を築きました。
1989年には自殺未遂騒動や『金屏風事件』などがあり1年間活動休止がありますが、その後の1992年には女優業にも力を入れ、連続テレビドラマ『素顔のままで』『冷たい月』などで活躍。
中森明菜 少女A
2010年10月、木村恵子さんの書いた暴露本などによる訴訟などで身体的にも精神的にも疲れ、重度の鬱病と診断され無期限活動休止を発表。
2014年12月31日、NHK紅白歌合戦にてニューヨークのスタジオから生出演し、活動再開を発表。しかし、その時の中森明菜さんの歌声が、昔のように出ていないとファンから心配される。
2015年からは本格的に活動再開し、シングルやカバーアルバム、ディナーショーなどで活躍しています。
①金屏風事件 中森明菜 近藤真彦 会見 1989.12.31
②金屏風事件 中森明菜 近藤真彦 会見 1989.12.31
③金屏風事件 中森明菜 近藤真彦 会見 1989.12.31
④金屏風事件 中森明菜 近藤真彦 会見 1989.12.31
今回は、歌姫・中森明菜と近藤真彦の金屏風事件の真相は?デマだったのか?をご紹介しました。結局本当の真相は分からずじまいでしたが、中森明菜さん自身がこの金屏風事件の事を一切口にしない、近藤真彦さんの事も悪く言わない。むしろ金屏風事件の数年後に感謝と謝罪、そして近藤真彦さんのことはもう吹っ切れている事を語っています。迷惑をかけたから、金屏風事件の数ヶ月後に自分からお別れしたと。
色々な新証言や憶測が、30年経とうとしている現在でさえ出てくるのは、それだけ中森明菜さんが皆に愛されているからこそ、あまりメディアに露出しない中森明菜さんを忘れてほしくない気持ちが含まれているような気がします。歌姫・中森明菜さんが元気に、そして昔のような笑顔をまたテレビで見れるように皆で応援しましょう!
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局
平成元年7月、人気絶頂だった歌姫・中森明菜さんが恋人である近藤真彦さんの自宅の風呂場で自殺未遂をしました。その年の12月31日、多くのマスコミ関係者が集められ『金屏風事件』といまだ語り継がれる、緊急記者会見が行われます。
この『金屏風事件』は、80年代アイドル当たり年と言われた全盛期、松田聖子さんと共に時代を築いていた、中森明菜さんの精神を破壊するほどに痛めつけた記者会見と言われています。中森明菜さんが今でも精神不安定と言われる原因がまさしくこの『金屏風事件』。
この『金屏風事件』には、恋人だったジャニーズ事務所所属の近藤真彦さんも関係しており『ジャニーズ事務所自体も深く関係している』とされています。今回は、永遠の歌姫・中森明菜さんをいまだ苦しめている『金屏風事件』の真相を追求していきます。