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2023/12/28
大今里
中森明菜さんが1989年にリリースした「難破船」、元々は加藤登紀子さんの作詞作曲であり、アレンジを手掛けたムーンライダースの白井良明さんプロデュースによるアルバム「最後のダンスパーティ」(1984年)の収録曲として発表されました。
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中森明菜さんは16歳のときオーディション番組「スター誕生」で合格し
芸能界デビューされました。
1982年にファーストシングル「スローモーション」をリリースし
2枚目のシングル「少女A」が大ヒット!
ちょっと影のある少女という雰囲気で人気になりました。
元々「難破船」を作り、自ら歌っていた加藤登紀子さんでしたが
22歳を迎えたばかりの中森明菜さんに「難破船」の持つ世界観が
ピッタリだと感じ、中森明菜さんにテープを送り
歌って欲しいと切望したそうです。
さらに中森明菜さんに自分はしばらく歌うのをやめるから
あなたに歌ったほうがいいと託したそうです。
そして1987年に中森明菜さんの19枚目のシングルとして
「難破船」はリリースされることになりました。
「難破船」は加藤さん自身が若い頃に体験した失恋を歌ったものだと言われています。それだけに、加藤さんにとっても思い入れの強い作品。当時の中森明菜さんに自分を重ね合わせて見たのかもしれませんね。
また中森明菜さんにとっても辛い失恋を乗り越えようとしていた時期であっただけに
「難破船」の持つ世界観を自分のものにしていたようです。
中森明菜さんの「難破船」は、「ザ・ベストテン」で1987年10月22日から5週連続で最高順位1位、1987年度の年間ベストテンでは、第7位を記録しました。
また、オリコン週間シングルチャートでは、1987年10月12日付
で初登場・最高順位ともに1位を記録しています。
中森明菜さんのまた新しい魅力を聞かせる1曲となった「難破船」は
大ヒットし、中森明菜さんに取って代表曲の1つになりました。
コンサート等でも必ず歌われる曲となりました。
そして、中森明菜さんをリスペクトする数々のアーティストによって
歌われることもありました。
まずは演歌歌手の水森かおりさんです。
水森かおりさんは演歌歌手ですがいつも
80年代のアイドルのようなドレスを着用して
ステージに上るのが特徴ですね。
その中には中森明菜さんへのリスペクトもあるのではないでしょうか。
様々なアーティストに愛されている中森明菜さんの「難破船」ですが
May J.さんもカバーで披露しています。
中森明菜さんとはまた違った雰囲気で
たっぷり聞かせてくれます。
2014年に三池崇史監督・柴咲コウさん主演で公開された映画「喰女ークイメー」では
そのイメージソングを華原朋美さんが担当しました。
しかもそのイメージソングとは「難破船」だったのです!
華原朋美さん用にアレンジは施されていますが
華原さん自身も辛い失恋を経験していることから
「難破船」のカバーに強い想いがあったようです。
演歌界の歌姫、石川さゆりさんも中森明菜さんの「難破船」に挑戦していますね。
これまでもいろんな女心を歌い続けてきた石川さゆりさんだからこその
圧倒的な歌唱力ですね。
一時期は「難破船」を中森明菜さんに譲り、自身は歌うことを控えていた加藤登紀子さんでしたが、また「難破船」を歌い始め、現在も歌い続けています。
加藤登紀子さんならではの達観した歌唱もまた味わいがありますね。
最近、中森明菜さんが復活したという話題がありましたね。
ニューアルバムの発売やディナーショーの開催など
長年の中森明菜ファンには夢のような出来事が続き、
これが永遠に続けばいいなと願うばかりです。
そして名曲「難破船」もまた今の明菜さんのバージョンで
聞かせてほしいですね。
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