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2023/12/28
大今里
熊本県人なら聞き慣れている『おてもやん』ですが、その他の地域の方は言葉だけで、なかなか詳しい内容まで知っている方は少ないと思います。
そんな方の為に、民謡の内容や由来など、『おてもやん』にまつわるすべてを紹介していきたいと思います。
まず、この『おてもやん』。初めて聞く方の為に、下記からどうぞ。
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『おてもやん』は、江戸時代末期から伝わる熊本県の民謡です。元々は、熊本甚句(花柳界のお座敷唄)で、由来にはいくつかの説があります。 方言の面白みのある陽気な曲です。
もとは全国各地の花柳界などで歌われた騒唄(さわぎうた)でしたが、肥後熊本に運ばれて土地のことばの歌詞になり、『熊本甚句(じんく)』とよばれていた。その後、歌い出しの一句をとった曲名にしたほうがおもしろいということで『おてもやん』となったようです。
「おてもやん」とは「おても」という名前の女性がいて、その名前に敬称(標準語の「さん」は熊本弁で「やん」)をつけて「おてもやん」となるそう。
また、仲井幸二郎「口訳 日本民謡集」(蒼洋社)によれば、「おてもやん」の「ても」は、下働きの下女を意味する「テマ」が訛ったもと解説しています。
「お」は丁寧語、「やん」は身分の低い者への呼称・愛称であることから、「おてもやん」は「女中さん」といった意味合いに解釈できることに。
これ以外にも、肥後の女性全般を指す言葉とする説や、 「ても」とは「つくね芋」を意味する「手芋(ていも)」のことだとする説など様々あります。
『おてもやん』は富永登茂(とみながとも 1855~1935)という、実在のモデルをもとに作られたのが知られています。登茂は「とも」と読むのに間違いないのですが、訛りの関係で実際は「チモ」とよばれ、富永チモと紹介されることが多いです。
そして、彼女はおてもやんメークのイメージを壊すような「チモは色白で丸顔、長身の美人だった」という言葉が残っています。
『おてもやん』を、語るに忘れてはいけないもう一人の人物、永田イネは(1865)2月24日、肥後藩御用達の味噌醤油製造屋の一人娘として生まれました。
永田家は肥後藩に多額のお金を献上し、町民でありながら、苗字・帯刀・家紋の使用を許されていた社会からの信頼の厚い家柄。しかし、明治維新で幕藩体制が崩れると共に、永田家の家業は傾き始めます。
その後イネは、自立するために18歳の時に「亀甲屋嵐亀之助」を名乗り、芸で身を立てプロとしてデビューすることに。
おてもやんのモデルとなる富永登茂(チモ)は安政2年(1855)12月5日に、小作農家の長女として生まれました。明治6年(1873)の頃には父母を亡くしており、7歳違いの妹・登寿(とじゅ)と共に料亭で下働きをしていた。小作で生計を立てることは難しかったよう。
そんな2人が出会ったのは、明治24年(1891)過ぎ。イネが20歳で花街や商人街に近い稽古場を構えた頃、チモの住んでいた家が鉄道の開通に伴い立ち退きとなり、イネの近くに。
チモは、芸事に精通したプロであるイネに憧れを抱き、イネは貧しいながらも明るく力強く生きようとするチモに芸人として突き進むことによる孤独を癒やされ、お互いが支えあったいた様子。
2人の友情は年齢や境遇を超えて、強く固いものに。それは、イネがチモの「氏子札」を自分の遺品の中に残したことからもわかります。
『おてもやん』の歌詞については難解な部分が多く、その意味や解釈については諸説入り乱れています。
ここでは、分かりやすく歌詞の現代語訳を行うとともに、ポイントとなる単語の意味について簡単に解説していきます。
おてもやん あんたこの頃
嫁入りしたではないかいな
嫁入りしたこつぁしたばってん
ご亭どんが ぐじゃっぺだるけん
まあだ 杯ゃせんだった
村役 鳶役 肝煎りどん
あん人たちの おらすけんで
あとはどうなと きゃあなろたい
川端町っつあん きゃあめぐろ(曲がろうたい)
春日ぼうぶらどんたちゃ
尻ひっぴゃあて(ふっぱって) 花盛り 花盛り
ピーチクパーチク ひばりのこ
げんぱくなすびの いがいがどん
【歌詞の意味 現代語訳】
おてもやん あなた最近
お嫁にいったんじゃなかったの?
嫁入りしたにはしたんだけど
旦那が痘痕(あばた)で酷かったから
まだ式はあげてなかったのよ
村の役付きや火消し役、世話役
あの人たちがいるから
あとはどうにかなるわよ
川端町の方へ廻って行きましょ
春日のカボチャ達は 尻を出して
花盛り 花盛り
ピーチク パーチク鳴くひばり(雲雀)の子
醜いなすびのイガイガ達
一つ山越え も一つ山超え あの山越えて
私やあんたに 惚れとるばい
惚れとるばってん いわれんたい
追々彼岸も近まれば
若者衆(わきゃもんしゅう)も寄らすけん
くまんどん(熊本)の よじょもん詣りに
ゆるゆる話を きゃあしゅうたい
男振りには惚れんばな
煙草入れの銀金具が
それもそもそも因縁たい
アカチャカベッチャカ チャカチャカチャ
【歌詞の意味 現代語訳】
いくつも山々を越え
私は貴方に惚れている
惚れてるからこそ言えない
やがてお彼岸も近づいてきて
若者たちも集まってくる
熊本の夜聴聞(よじょもん)のときに
ゆっくり話をしてみたい
見た目で惚れたわけじゃない
煙草入れの銀金具に惹かれただけ
(アカチャカ…は意味のない囃子詞)
一つ世の中 艱難辛苦の 荒波越えて
男度胸で おいでなさい
くよくよしたとて しょうがない
いつかは芽も出る 花も咲く
移り気な浮き世の ならいに
取り越し苦労は おやめなさい
悩みなんぞは こちゃしらぬ
意地と張りの心が それが後生楽たい
あかちゃか べっちゃか ちゃか ちゃか ちゃ
*3番の歌詞は訛りも少なく、1,2番と雰囲気が違うので、のちに誰かが書き足したものと言われています。
【おてもやん難解語解説】
おてもやん(肥後女性の通称)、ばってん(けれども)、御亭どん(ご亭主、主人)、ぐじゃっぺ(痘瘡を病んだ後のあばた顔)、村役(村の世話をする役人)、とびやく(鳶役、消防団員もしくはその頭)、肝入り(世話役)、きゃあ(意味を強める接頭語)、げんぱくなすび(玄白茄子、杉田玄白が広めた茄子)、いがいがどん(トゲ、栗のイガ)。
どんは「殿」か、人につく接尾語、イガを擬人化して使用)、夜聴聞詣(お寺のお説教を夜詣ってきくこと)、因縁(インド伝来のなめし皮の意味の「印伝」が転じたもの)、あかちゃか(あかんべー、あかちゃかべーろ。赤や茶や紅などの化粧の色とも?)
毎年8月に「火の国まつり」が開催され、民謡「おてもやん」の音楽に併せて踊る「おてもやん踊り」が有名です。熊本市中心部一帯で行われる市民参加型の夏祭りです。
熊本火の国まつりでは様々な団体が特徴を生かした独自の「おてもやん踊り」を踊る「おてもやん総踊り」が行われています。
約60団体、だいたい1チームが50~200人くらい、総勢5,000人の踊り手が街中を熊本の代表的な民謡「おてもやん」や軽快なリズムの「サンバおてもやん」に合わせて熊本市内の中心部を踊り歩きます。
「おてもやん総踊り」では飛び入り参加もOK。当日に申し込みを行い簡単なレッスンを受ければ誰でも参加することができます。
尚、参加の方には記念品の手ぬぐいプレゼントもあるよう。
餓鬼レンジャーのMCポチョムキンの楽曲「おてもやんサンバ」の2016年度版が熊本復興支援チャリティーソングとしてリバイバル。
東京在住の熊本にゆかりのある著名人 コロッケ、高良健吾、水前寺清子、ポチョムキンが参加。
『おてもやん』をサンバ調にアレンジし、曲の中ではラップパートもあり、若い人も「おてもやん」を楽しんでいます。
熊本弁で"がんばれ"を意味する"がまだせ"の言葉に多くのアーティストのロゴを併記した復興支援タオルを販売するなどし、収益金は全額熊本城復旧支援に使われています。
1935年ごろ、赤坂小梅が歌ったレコード化によって、日本全国に知られるように。1950年に再吹込みを行いました。1950年盤は1960年までに30万枚を越す売上を記録。
赤坂は、第4回と第6回のNHK紅白歌合戦に出場し、「おてもやん」を歌っています。以降は、様々な歌手がアレンジを加え「おてもやん」は歌われ続づけています。
・赤坂小梅 - オリジナル「おてもやん」を1935年に発売。
・笠置シヅ子 - 「新おてもやん」として、おてもやんが東京に行くが、いろいろあって熊本に帰ってくるという歌詞を1番、2番にして歌っている。3番、4番の歌詞は上記の伝統的な内容である。
・ザ・ピーナッツ - オリジナルの「おてもやん」の他にも「ばってん、ばってん、ばってんてん」とのタイトルでアレンジバージョンを歌唱していた。
・植木等・人見明 - 1966年公開された東宝映画『日本一のゴリガン男』の劇中で歌唱。DVD化、および音源もCD化されている。
・沢瀉(金沢明子、寺田創一)、パラダイス山元 - 2006年発売のアルバム「CANTATA NO.147」、2011年発売のアルバム「Sanosa」に収録されている。
・ポチョムキン、水前寺清子、MICKY RICH - 「おてもやんサンバ feat. 水前寺清子, MICKY RICH & ポチョムキン」を2009年に発表。
・氷川きよし - 2018年発売のアルバム、新・演歌名曲コレクション8 -冬のペガサス-勝負の花道〜オーケストラの8曲目に収録。
・中田裕二-熊本県熊本市出身のミュージシャンでバンドのリーダー兼ボーカル・ギターとして活躍。バンド解散後のソロライブで「おてもやん」を歌唱していた。
150年以上歌い継がれる「おてもやん」。一番新しいのはこれ!
【おてもやんサンバ feat. 水前寺清子, MICKY RICH & ポチョムキン】
豪華なミュージシャンたちが送る素晴らしい曲です!
このほかにも、氷川きよし(2018年発売)や石川さゆり(2019発売)などがアルバム内に収録。
そんな熊本県民に愛される『おてもやん』。銅像もあり広く市民に愛されています。どのようなものなのか、またどこにあるのかくわしく見てみましょう。
一番有名な銅像は、JR熊本駅新幹線口の玄関前にあります。元は熊本交通センター前にあったものを、桜町地区の再開発に伴い平成27年8月に移設しました。熊本民踊会が会の創立25周年を記念して市に寄贈したもので、作者は熊本大学教授の石原昌一(いしはらしょういち)氏です。
和風の衣装で踊っている姿で、独特の躍動感があります。熊本県民の待ち合わせ場所と言えば、おてもやん像の前!旅行の際は、電車の待ち時間にでも見にいってはいかがでしょうか?
『おてもやん像』は、昭和60年に熊本民謡会が制作し熊本市に寄贈したもので、桜町地区の再開発に伴い熊本交通センター前から撤去されることになりました。その後、民謡会や春日地区の住民たちの働きかけで熊本駅新幹線口前の広場に移設されました。
「かんざし」も新調、「お色直し」も終え今後は新幹線に乗ってきた人を愛らしい姿で出迎えます。
もう一つ、祇園橋横のポケットパーク(熊本市細工町五丁目)に、「永田いねとおてもやん像を建てる募金」で作られた「永田イネとおてもやん像」というのがあります。
民謡『おてもやん』は、いねが、春日の五反で師匠をしていた頃作られたもので、歌の節が名古屋さんざい(名古屋甚句)によく似ているのは、名古屋巡業の際に影響を受けたであろう、(「五福百年」より)と碑文に書かれています。
女性のメイクで、「おてもやんメイク」や「おてもやんみたい」と言われた事ありませんか?それはどのようなメイクなのでしょうか、その特徴やコツをまとめてみました。
一般的に「おてもやんメイク」は、チークを濃く塗って頬が紅潮しているようなメークの事を指します。くまもんのほっぺが赤いのは「おてもやん」から来ているのがこれでわかります。
しかし、「おてもやんメイク」は男性からも、「不自然」や「漫画のキャラクターみたい」などの印象を待たれてしまい、不評な場合が多いようです。
ポイントは、チークを塗りすぎず自然に見せること。手の甲に置いて余分な粉をオフして塗ったり、ブラシを薄づきを意識しながら左右に往復させて重ねていき、発色を調整してください。そうするとナチュラルに仕上げることができます。
同じチークを使っていても、塗り方次第で印象は大きく変わります。おてもやんを克服するためにも、ナチュラルに塗る方法を試してみてください。
熊本県人気コンテスト2014年度金賞受賞。熊本銘菓の『おてもやん』です。
熊本の米粉でふんわりした生地のなかに、深い味わいの粒あんと
ミルクカスタードクリームが入った、お菓子になります。
お菓子もさることながら、パッケージも『おてもやん』の象徴である赤いほっぺの女の子をイメージしたものでとてもかわいいです。熊本に行った際には、是非購入したい一品です!
民謡として歌われていた『おてもやん』ですが、今では踊りも幅広い世代に愛される歌となりました。歌詞のモデルとなる女性像が、現代の女性にも通じる所が多く共感を得たのも、長く愛された理由の一つです。熊本県民のソウルとも言える『おてもやん』これからの変化が楽しみです。
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