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2024/02/16
himawari3232
誰もが一度はテレビで目にしたことがある江守徹さん。
ドラマだけでなくバラエティ番組でも活躍しており、中尾彬さんとの漫才じみたトークなど強面の見た目からは想像がつかない茶目っ気を発揮しています。
しかし、最近では以前と比べるとテレビで見ることが少なくなってきましたね。
しかもなんと死亡説まで浮上しており、別人説まで存在しているようです。
そんな謎が多い江守徹さんはどのような人物なのでしょうか。
また、現在はどうなっているのでしょうか。
徹底的に調査してきましょう。
江守徹さんは映画好きな母親は影響で小さい頃から俳優に憧れており、高校時代は美術部と演劇部を掛け持ちしていました。
そして高校卒業後、19歳のときに文学座に入団します。
入団してからは俳優としての風貌と演技力が買われて評価されるようになり、若い頃からドラマや舞台に多数出演するようになっていきました。
また、後には俳優のみならず、ナレーターや演出家を務めており、俳優だけでなくさまざまな方面で活躍をされています。
江守徹さんは酒癖が悪く酒豪・酒乱として有名です。
若い頃は酒を浴びるように飲むことは日常茶判事であり、酔っ払うとその場にいた人たちとけんかをしたりしていました。
またキス魔の異名も持ち、その酒癖の悪さは和田アキ子さんも恐れているほどです。
しかし、一方で奥さんが車で迎えに来たときには必ずおとなしくなっていたそうで、やんちゃな江守徹さんを止められるのは奥さんだけだったのかもしれません。
そしてついに2007年には酒が災いしてか、脳梗塞で倒れてしまいます。
江守徹さんは酒豪と同時にヘビースモーカーでも知られています。
多い時だと一日になんと、数箱も吸うことがあったそうです。
酒豪でヘビースモーカーという点を考えれば相当やんちゃで、脳梗塞を患ってしまうのも納得いきそうです。
江守徹さんは賞は受賞したことがあるのでしょうか。
実は江守徹さんは主に5度、賞を獲得しています。
1973年には『オセロー』で紀伊國屋演劇賞・個人賞を受賞、
1989年には映画『社葬』で日本アカデミー賞・優秀助演男優賞を受賞、
1994年には『ウェストサイドワルツ』『恋ぶみ屋一葉』で第2回読売演劇大賞・優秀演出家賞を受賞、
近年では2006年に『シラノ・ド・ベルジュラック』で松尾芸能賞・大賞を受賞しています。
5度も賞を受賞しているとは、その実力に異論はないはずです。
これからの活躍にもますます期待が持てます。
「江守徹は死亡した?」という死亡説がありますが、その真相はどうなのでしょうか。
ご安心ください。
現在本人は存命です。
では、なぜそのようなデマが広まってしまったのでしょうか。
おそらく、死亡説は2007年の脳梗塞がきっかけと思われます。
江守徹さんは2007年の2月末に脳梗塞で倒れてしましました。
病院に運ばれる前日の夜から具合が悪かったものの特に気にされる気にされることはなかったそうです。
しかし、病状はよくならずむしろ、悪化してしまい入院することになりました。
そのことで、テレビ出演も少なくなってしまいました。
しかし、病状は軽かったようで、翌月に「文学座設立70周年記念パーティー」に出席し、その場で「酒をやめました」と公言しています。
さらに同年の4月からは仕事を再開しました。
そして、それを機に禁酒し、現在は30分のウォーキングを日課にしています。
つまり元気にお仕事も復帰されているということです。
また、以前からゲスト出演していた『踊る!さんま御殿!!』では、江守徹さんの相変わらずの饒舌っぷりに明石家さんまさんから「江守さん、全快し過ぎでっせ!!」と突っ込まれていたことから、その回復ぶりもうかがえます。
このように死亡説は完全にデマであり、信じないようにしましょう。
江守徹さんの現在の活躍ぶりはまた後ほどお話いたします。
江守徹さんは愛妻家で知られています。奥さんとは1971年に結婚しております。
気になる相手は旅公演で出会った同じ俳優をされていた方です。
若い頃の江守さんは酒豪で酒癖が悪く手をつけられないほどだったのですが、妻が車で迎えに行くとおとなしくなった、というエピソードもあります。
また、脳梗塞で倒れたときも妻が支えてくれたそうです。
なお、息子1人、娘が2人いるそうですが、芸能人ではなく公にはなっていないそうです。
また、江守徹さんには孫もいます。娘さんか息子さん、どちらのお孫さんかは不明なのですが、お孫さんからは「テッタン」という愛称で呼ばれているそうです。
基本的に愛称の情報はないのですが、お孫さんからだけ「テッタン」という愛称が存在します。
愛称で呼べるのは仲睦まじいお孫さんだけではないでしょうか。
以上のように、妻、息子さん、娘さん2人、お孫さんの誰とも仲睦まじく過ごされていることがうかがえます。
バラエティでは中尾彬さんとの漫才じみたトークを見かけることも多くありました。「さんま御殿」でさんまさんから「新しい漫才コンビ」と命名されています。
そのことから仲が悪いように見えてもテレビ用に作られたもの、といえます。
また、古くからの仲で切磋琢磨してきた関係であり、ライバルであることは間違いないでしょう。
また江守徹さんは中尾彬さんとCMでも共演したことがあります。2005年にヤマサ醤油の「昆布つゆ」のCMで中尾彬さんと共演されました。
2人とも笑顔で微笑ましいです。
江守徹さんは中尾彬さんという素晴らしいライバルがいて成長できているといっても過言ではなく、これからも互いに影響を与えあっていくことでしょう。
江守徹さんは2007年の脳梗塞で江守徹さんをテレビで見ることが少なくなりました。
現在はお元気なのでしょうか。
まだ芸能界のお仕事はされているのでしょうか。
とても心配ですね。
この点について、調査していきます。
また、復帰後の別人説についても言及してみたいと思います。
病気から復帰した江守徹さんですが、その後の見た目が別人だと話題となっています。
では、どのように変化してしまったのでしょうか。
現在の江守徹さんは、昔に比べて白髪が増えました。
そして、白いヒゲも携えてまるで別人のようです。
しかし、もちろん別人ではなく本人です。
ではなぜここまで見た目が変貌してしまったのでしょうか。
それは見た目の変化は病気療養によるものと考えても過言ではないでしょう。
軽度ではあったものの、脳梗塞の恐ろしさを物語っているのではないでしょうか。
仕事の近況については、最近では根強いファンが多いシリーズドラマの映画『相棒-劇場版IV- 首都クライシス 人質は50万人! 特命係 最後の決断』に出演されていました。
相棒の最新作では元駐英大使という老獪なる役どころを、見事に演じ切っています。
復帰後に別人であることが話題になりましたが、復帰後はむしろ渋さが増しており、他の名だたる演者の追随を許さないものとなっております。
しかし、改めてみてみると、江守徹さんの姿の変貌ぶりに驚くかもしれません。
これからの相棒のシリーズには欠かせない存在になることが期待されます。
脳梗塞自体は軽いものだったそうで、すぐに俳優のお仕事も復帰されていたようです。
一方で、タバコもお酒もやめたそうです。
このことから、まだ元気に芸能界のお仕事をされていることがうかがえます。
そんな江守徹さんはどんな作品に出演されてきたのでしょうか。
江守徹さんはドラマや舞台だけでなく、ナレーションや朗読でも活躍されています。
しかも、演じられた作品はどれも名作ばかりです。
ひとつひとつ見ていきましょう。
ウィリアム・シェイクスピアが原作の『リチャード三世』では、主役の「グロスター公リチャード」の役を演じています。
あらすじは、江守徹さん演じるリチャードが、策略を用いて自分の周りの人間を亡き者にしながら王位に就きますが、喜びに浸るのもつかの間、反乱にあってしまって討たれてしまいます。
江守徹さんの迫力ある演技は見物でしょう。
また、江守徹さんはシェイクスピアの演劇論を専門としており、大学の演劇論の出前講座を持ったほどです。
これもシェイクスピアの作品ですが、四大悲劇の一つです。
この中で江守徹さんは、主役のリア王を演じています。
リア王の悲劇の物語で、長女と次女に国を譲ったが、娘たちに裏切られて国を追い出されてしまいます。
そこでフランス王妃となっていた末娘と一緒に戦争するも敗北してしまいます。
江守徹さんは当時71歳で、年齢を感じさせない演技がみどころです。
2000年に放映された大河ドラマのです。
江守徹さんは石田三成役で出演しています。
豊臣秀吉の死後が物語の舞台で、徳川家の台頭や関ヶ原の戦いなどを描いた作品となっております。
江守徹さんの外見からは、戦国武将らしい荘厳な雰囲気が伝わってきます。
また、江守徹さんが数々の大河ドラマに出演されていますが、
実は、文学座に入って4年後の1966年に『源義経』に出演されたのが初めてなのです。
しかも、そこから2015年の『花燃ゆ』まで、計19作と歴代最多の出演作品数を誇ります。
さすが実力派と呼ぶにふさわしいです。
しかし、一方で主演の経験は一度もないという皮肉つきです。
司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』は2009年から2011年にかけて放映された、三部作からなるTVドラマです。
この作品の中で江守徹さんは、日露戦争のキーパーソンとなっている山県有朋役として出演されています。
明治維新以降の日本で、日露戦争に勝利するまでの時代がストーリーとなっています。
このドラマには主人公が3人いて、軍人の秋山好古、その弟の真之、俳人の正岡子規が主人公で、それぞれのストーリーが描かれています。
様々な人物のストーリーが交錯する中でも際だった演技をされています。
物語のキーパーソンで際立った演技をする江守徹さんに必見です。
これは実話が元になっている映画です。
江守徹さんはソニーの社長を見事に演じきっています。
家庭用ビデオ規格競争の実話に基づくストーリーで、ソニーが家庭用VTRであるベータマックスを開発し、国内で発売するストーリーです。
江守徹さんはソニー社長という貫禄ある役を見事に演じきっています。
やはり、江守徹さんだからこそ出せる役の雰囲気ではないでしょうか。
マーガレット・ミッチェルさんが原作の1936年に出版された作品です。
1939年に映画化されました。
江守徹さんは日本テレビ新録版にて、レット・バトラー役の吹き替えをしており、1988年に放送されました。
南北戦争時代のアメリカで、苦しい時代を生き抜いた主人公のスカーレット・オハラの姿が描かれています。
江守徹さんの洋画吹き替えデビュー作ともいえるこの作品は、その初々しさを感じさせない演技に必見です。
1974年にNHK総合テレビにて放送されました。江守徹さんは主人公のジョージ・スペンサー役の吹き替えを担当されています。
1957年に制作された『Zero Hour!』のリメイク作品です。
ストーリーは、機内食のチキンを食べたものがどんどん食中毒になっていき、なんとパイロットと副操縦士までもが倒れてしまい、必死に着陸を試みるというものです。
その緊迫感ある演技は見物です。
NHK大河ドラマの『八代将軍吉宗』の中で江守徹さんは近松門左衛門の役として出演されています。
しかし、一方でナレーションをも担当されています。
この作品はそのように、役を演じながらもナレーションも務めるという江守徹さんで話題になりました。
作中でのナレーションでは、大変聞きやすい声で、ナレーションのわかりやすさが増していました。
夢枕獏さんが原作ですが、映画化のみならずゲーム化や漫画化もされています。
その中でナレーションをされています。
関ヶ原の戦いから間もない時代が舞台で、異形の大剣を背負った巨漢・万九郎を主人公にした壮大な物語です。
この作品でも、聞きやすくわかりやすいナレーションをされていました。
原作が映画化され大人気の『ハリー・ポッターと賢者の石』の朗読作品版です。
ストーリーはもはや言うまでもないのかもしれません。
主人公のハリー・ポッターが魔法に入学し、その学校生活の中で様々なトラブルに合うという壮大なものです。
江守徹さんの声はすんなりと情景が頭に入ってくるし、登場人物の声分けまでされています。
あの壮大な世界観に入り浸らせてくれます。
その演技の素晴らしさはやはり俳優業としての江守徹さんあってこそです。
また、朗読CDなので音楽プレイヤーなどに入れて聴けばいつでもどこでもハリー・ポッターを楽しめ、さらに江守徹さんの声を持ち歩けるという楽しみ方ができるのがポイントです。
誰もが知ってる中島敦の『山月記』朗読CDも、江守徹さんは担当されています。
ストーリーはなぜ親友の李徴が虎になったのかをめぐる会話が繰り広げられます。
また、その運命を受け入れるかどうかの駆け引きも必見です。
江守徹さんはそんな緊張感あるシーンを見事に朗読されています。
この作品も音楽プレイヤーにいれていつでもどこでも持ち歩けます。
ヤマサ醤油の「昆布つゆ」のCMに出演されていました。
このCMの特徴はなんといっても中尾彬さんとの共演です。
2人の仲の良さがうかがえるCMとなっており、必見です。
これは永久保存版と言っても過言ではないでしょう。
江守徹さんは2009年に、脳卒中の注意を呼びかけるACジャパンのCMに出演されています。
その症状について重々しく語る姿が映し出されていました。
これは、本人が脳卒中を患ったからこそできるCM内の演技です。
やはり、元々の演技力の高さに加えて身を経験したことなので、その説得力も相当の物です。
江守氏はなんとアニメ声優もやられています。
さよなら銀河鉄道999(1981年)の黒騎士ファウスト役、幻魔大戦(1983年)の 宇宙戦士ベガ役、ドラえもん のび太の南海大冒険(1998年) のキャプテン・キッド役、東京ゴッドファーザーズ(2003年)のギンちゃん役、パプリカ(2006年) の乾精次郎役です。
江守徹さんは、今でも元気に活躍されています。
2007年の脳卒中は軽度にすんでおり、すでに退院もされています。
そこから2ヶ月足らずで復帰されているということなので、脳卒中という重い病気であったことを感じさせないほどの活躍ぶりです。
また、タバコやお酒は完全にやめたそうで、以前のようなやんちゃな姿はもう見られないのかもしれません。
そして、日々30分のウォーキングも日課としているようで、健康への気遣いは相当の物といえます。
さらに2016年には文学座の新しく劇団代表に就任しました。
任期は6年のようです。
と、いうことはまだまだ盛りで元気な姿を応援できそうですね。
よく注目してみると、バラエティにも出られさらにナレーションなど多岐に渡る活躍をされていることがわかります。
死亡説は自分たちの頭の中で勝手に思い込みで作ってしまったイメージにすぎないのかもしれません。
私たちはこれだけ多くの活躍がされている素晴らしい俳優さんにもう少し目を向けてみなければならないのではないでしょうか。
そしてこれからも元気な活躍を応援したいですね。
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