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    17歳でバスハイジャック!ネオ麦茶事件犯人の生い立ちと現在に迫る!

    別名ネオ麦茶事件と呼ばれるハイジャック事件を起こしたのが当時17歳の少年でありネット掲示板に犯行予告の書き込みがされていたことから日本中に衝撃を与えました。事件内容の詳細とともに少年の生い立ちから犯行動機を探っていきます。そして被害者の方達の現在も調査!

    ネオ麦茶事件の概要は?生い立ちと現在について調査!

    当時TVで生中継され日本中が固唾をのんで犯人であるネオ麦茶の起こした事件の行方を見守りました。そして犯人は17歳の少年であり死者も出たことから日本中が衝撃を受け、その後ネオ麦茶事件とも呼ばれるようになりました。

    この社会問題にもなったネオ麦茶事件の内容を時系列で説明していきます。そしてこのような沢山の被害者を出す残忍な事件を起こした犯人ことネオ麦茶の生い立ちを振り返り事件の動機に繋がる理由があるのか徹底調査してみました。

    ネオ麦茶事件とは?

    ネオ麦茶事件とは一体何が起きた事件のことなのでしょうか?なぜこのような名前がついたのか事件の名前の由来についても見ていきましょう。

    西鉄バスジャック事件のこと

    ネオ麦茶事件とは2000年5月3日12時56分頃に起きたバスジャック事件です。ハイジャックされたバスは西日本鉄道の高速バス「わかくす号」で、ほぼ定刻通りに出発しており佐賀バスセンターから福岡天神バスセンター行きでしたが、17歳の少年にバスを乗っ取られる事件が起きてしまいました。

    逃げることができた人もいましたが死者1名、負傷者2名が出る日本のバスジャック事件において人質が死亡した初めての事件となってしまいました。

    ネオ麦茶の名前の由来

    西鉄ハイジャック事件が別名ネオ麦茶事件と呼ばれるようになった理由は、犯人がインターネット掲示板2ちゃんねるで「ネオ麦茶」と名乗っていたからです。

    ネオ麦茶の名前の由来は、インターネット掲示板2ちゃんねる創設時の常連利用者のハンドルネーム「むぎ茶」とギリシア語の「ネオ」を足したものだそうです。

    ネオ麦茶事件の流れは?

    ネオ麦茶事件こと西鉄バスジャック事件はなぜこのような残念な結果になってしまったのでしょうか?事件の内容は残忍で身勝手であり、巻き込まれた被害者の方達の恐怖は想像を絶するものであったことでしょう。

    事件発生から15時間30分の間にどのようなことが起こったのか事件の内容について迫っていきます。

    最初の犠牲者が出る

    ネオ麦茶事件は2000年5月3日のゴールデンウィーク中に起こりました。ネオ麦茶は13時35分頃にバスの運転手にたいし目的地である西鉄天神バスセンターには行かずに九州自動車道を走るように命令しました。

    ネオ無茶は約刃渡り40cmの牛刀を持ち21人の乗客たちにハイジャックしたことを告げ「おまえたちの行き先は天神じゃない。地獄だ」と脅しました。その後男性を後ろの席に移動するように指示しバスのカーテンを閉めさせました。

    しかし騒ぎに気付かず寝ていた女性がおり、ネオ麦茶は「ふて腐れて寝ていますね」などと声をかけ女性の首や手首を牛刀で切りつけました。

    逃亡者の連帯責任

    バスの運転手は乗客をトイレに行かせてあげて欲しいとネオ麦茶に掛け合い、ネオ麦茶は了承しました。その変わりトイレへ行くには一人づつ行くこと、逃走した場合には連帯責任として他の乗客を傷つけることを伝えました。

    最初にトイレ休憩へ行くように指示された女性は、飼い犬が入っているゲージを持ち逃走し警察に通報しました。逃走に腹を立てたネオ麦茶は、見せしめに山口由美子さんを切りつけました。

    死者が出る

    15時30分頃にネオ麦茶に気付かれずに30歳女性が窓から飛び降り脱出しています。女性は骨折したものの無事でした。その後ネオ麦茶は女性が居なくなり窓が開いていることに気付き、2人目の逃亡者の連帯責任として68歳女性の右肩を牛刀で刺しました。

    その後16時20分頃に50代男性が窓から飛び降り脱出しました。相次ぐ逃走に怒りを滲ませたネオ麦茶は連帯責任として右肩を牛刀で刺した68歳女性を再び刺し、殺害しています。

    人質を解放

    17時24分頃に広島の武田山トンネル内で人質である男性4名を解放しました。その際に自分に危害が及ぶことを避けるため、1人で乗車していた6歳の少女の首に刃物を突き付け盾にしています。

    この時にはネオ麦茶の身元確認が取れ「佐賀県在住の通院歴のある17歳」と報道されました。バスは警察車両に取り囲まれ山陽自動車道・奥屋パーキングエリアで機動隊により説得が始まり、負傷した山口由美子さんと死亡した68歳女性が解放されました。

    膠着状態が続きましたが21時40分頃に給油のため小谷サービスエリアにバスを走らせ移動し、2時30頃に高齢の女性を解放、高齢女性は6歳の女の子も一緒に解放して欲しいとネオ麦茶に頼みますが断られています。

    音響手榴弾で犯人逮捕

    母親はネオ麦茶に自首するよう説得することは出来ないと訴え、変わりに医師が説得するもネオ麦茶は興奮するばかりで説得に応じませんでした。その後も食料や枕が差し入れられ再び膠着状態が続きました。

    翌日の早朝5時頃に特殊部隊がネオ麦茶が少女から離れた隙をつき、窓を割ったすきまに音響手榴弾を投げ込み取り押さえられ2分ほどでネオ麦茶は確保されています。負傷者は1名でたものの乗客は無事に保護され、事件解決となりました。

    ネオ麦茶事件の犯人について

    このような残忍な事件を起こしたネオ麦茶は、生い立ちと家庭環境はどのようなものだったのでしょうか?学生時代を知ることでネオ麦茶の人物像が見えてくるかもしれません。ネオ麦茶の過去を調査してみました。

    犯人は谷口誠一という少年

    ネオ麦茶の本名は当時公表されていませんでしたが、谷口誠一という名前であったことが分かりました。佐賀県で昭和58年3月に生まれ両親と妹の4人家族です。

    父親は建設機械会社の会社員でPTAにも参加するような活動的な人物であり、母親は役所で保健師として働き雑誌に教育観について投稿するような教育熱心な母親で近所でも有名だったようです。妹はネオ麦茶と性格が似ておらず真っすぐな性格だったそうです。

    そして祖母からは将来は家督を継ぐ人間だから自覚を持つようにと言われながらネオ麦茶は育てられました。

    中学生時代に両親へ暴力

    ネオ麦茶は小さいころから運動は苦手で落ち着きが無く、注意散漫な面はあったもの成績は優秀で優等生でした。しかし周囲には馴染めず同級生にからかわれることもあったようです。

    ネオ麦茶は中学時代にイジメを受け、自分の精神を安定させるために相手を見下す手段として勉強に励み、2年生までは学年で2位になるほどのトップクラスの成績でした。しかし段々と成績は下がり劣等感が強くなったネオ麦茶は攻撃的になっていきます。母親のことを貴様と呼んだり物を投げつけたり家庭内暴力を起こすようになりました。

    高校受験前に重症

    1998年2月の高校受験前に同級生が5mの階段の踊り場から飛び降りる度胸試しをしていました。ネオ麦茶も飛び降りるよう煽られ命令に従い飛び降りましたが、着地に失敗し重症を負ってしまい入院することになりました。

    入試試験は特別に病室で受験し合格しましたが希望の高校は難しかったため、ワンランク下の高校へ進学することになりました。プライドの高いネオ麦茶には相当屈辱的な出来事だったと考えられます。

    高校生活で引きこもりに

    高校入学後に行われたオリエンテーションでは緊張のせいで言葉に詰まり同級生に笑われてしまうハプニングがありました。プライドの高いネオ麦茶には腹立たしい出来事であったに違いありません。

    元々希望していた高校でもなかったことから、9日間しか登校せず5月には自主退学しています。その後ネオ麦茶は引きこもりになり、母親や妹により一層暴力を振るうようになってしまいました。

    2ちゃんねるにハマる

    ネオ麦茶は親にパソコンを買って貰うとネット掲示板「2チャンネル」に寝食も忘れる程夢中になっていきました。誹謗中傷を繰り返し子供じみた書き込みをしていたことから2チャンネルでは有名だったようです。

    最初のハンドルネームは「キャットキラー」でしたが他のネットユーザーと揉めた後「ネオ麦茶」に変更しています。

    両親が療養所に入院させる

    父親がドライブに連れ出した隙に母親がネオ麦茶のクローゼットから牛刀やスタンガンなどの凶器を発見し、二日後には机の引き出しから犯行声明文が出てきたため母親は警察など外部の人へ助けを求めました。

    しかし母親は精神医療センターと警察に息子の保護をするよう頼みましたが一度断られています。そこでTVにも出演していた有名な精神科医に連絡し相談すると、精神科医と警察が介入してくれるようになりネオ麦茶は療養所に入院する事になりました。

    2ちゃんねるで犯行声明

    ネオ麦茶は精神科病棟では礼儀正しく更生したように振舞い、精神科医を騙し1泊2日の外出許可を手に入れました。

    そして外出許可中に2ちゃんねるの掲示板に佐賀県佐賀市17歳とスレッドを立て、ネオ麦茶のハンドルネームで「ヒヒヒヒヒ」と書き残しました。その後森林公園にサイクリングへ行くと嘘をつき、犯行を起こす佐賀駅バスセンターへと向かったのでした。

    ネオ麦茶事件の動機は?

    ネオ麦茶は精神疾患を抱えていたものの、まだ17歳の少年がなぜ殺人事件を起こすまでに至ったのか動機について調査してみました。

    2ちゃんねるの煽り

    2ちゃんねるでネオ麦茶に犯行をあおった人物がいました。ネオ麦茶事件後にこの人物は「自分が煽った」と吹聴していたそうです。この人物は20代の男性で父は自営業者で父親のお金で相当なリッチな生活をしていたようです。

    この男性はジャーナリストの夢をかなえるため超一流私大の法学部に入学し、現在は弁護士になっているようです。面白半分に犯行をあおっておきながら法律に携わる資格持っていることに違和感を感じる人は多かったようです。

    学生時代のいじめ

    中学時代のいじめは親が学校に相談をしていますが、教育委員会や学校はいじめを認めることはありませんでした。中学時代のいじめを受けたことがネオ麦茶の心に暗い影を落としたことは間違いありません。

    元々はバスハイジャックではなく、いじめを受け逆恨みしていた母校の中学校を襲う計画を立てていたのですが、ゴールデンウィーク中で学校が休校だったため計画を変更しバスジャック事件を起こしています。

    いじめへの対策を練り、ネオ麦茶への心のケアができていればこのような事件を犯すことはなかったかもしれません。

    入院させた両親への腹いせ

    ネオ麦茶は父親と深夜のドライブで色々な場所に出かけており、京都や少し遠い名古屋にも日帰りで行くこともありました。ネオ麦茶もドライブを楽しんでおり、父親とドライブした高速道路の領収書が宝物だとハイジャック中に乗客に自慢して見せびらかしていたそうです。そのことを踏まえるとネオ麦茶と父親の関係は悪くなかったと推測できます。

    しかし精神科病棟に措置入院させられることになり、両親の行動に裏切りを感じ「この恨み忘れないからな、覚えていろよ」と発言しておりネオ麦茶は相当な恨みを持っていたようです。犯行理由の一つとして親を苦しめるために犯行に及んだとも発表されています。

    ネオ麦茶事件の犯人のその後と現在は?

    西鉄バスハイジャック事件を起こした後、ネオ麦茶は何処でどのように生活していたのでしょうか?気になるネオ麦茶の現在についても見ていきましょう。

    医療少年院に収容される

    事件当時は責任能力があるとされていましたが、ネオ麦茶の精神鑑定の結果は解離性障害、行為障害の症状がみられるとして精神科医の観察が必要であると判断されました。

    2000年9月に京都医療少年院に送致され5年以上収監されることになりました。

    2006年に退院

    ネオ麦茶が22歳になり2006年1月に京都医療少年院を仮退院し社会復帰のために訓練をしていたようです。そして3月26日に保護期間が満了となり正式に退院しました。

    現在は35歳

    ネオ麦茶は現在35歳で所在については分かっていません。「谷口誠一」と本名が報道されてしまっているため、名前を変え社会復帰している可能性が考えられます。

    退院してから13年の月日が経ち、まだ35歳という若い年齢であることから現在は更生し、穏やかな生活を送っているのかもしれません。

    ネオ麦茶事件の被害者や逃げた人は?

    バスハイジャック事件で自分が殺されるかもしれないという想像を絶する恐怖を感じた被害者の人たちは事件前と同じ生活に戻ることはできたのでしょうか?事件がきっかけとなり人生が変わった被害者や被害者家族の方達の心情についても迫っていきましょう。

    山口由美子さんは不登校をサポート

    山口由美子さんはネオ麦茶に切り付けられ重症を負った被害者の一人で、友人である68歳女性もネオ麦茶の犯行により亡くしています。けれど山口由美子さんは事件後に不登校に悩んでいる人達をサポートするために事件での経験を活かし活動しており、佐賀市で不登校児の親の会や子供の居場所「ハッピービバーク」を立ち上げています。

    このような不登校に悩む親や子供たちの居場所作りをするきっかけとなったのは、不登校児であったネオ麦茶と山口由美子さんの娘さんも不登校の経験があったことが重なったことも理由の一つであるそうです。

    そして山口由美子さんは医療少年院にいるネオ麦茶と3回面会しており、ネオ麦茶は「本当に申し訳ありませんでした」と謝罪しています。その後ネオ麦茶から退院後に1通の手紙が届き、返事を送るもその後返信は無かったそうです。しかし未だに顏に消えない傷を負ったにも関わらず山口由美子さんは、ネオ麦茶との再会を望み「どんな気持ちで生きているのか聞きたい」とネオ麦茶の気持ちに寄り添うコメントをされています。

    亡くなった被害者の遺族

    亡くなった被害者女性の遺族は事件後に、家庭がめちゃめちゃになり辛い生活を強いられました。母親が亡くなり長女は高校を中退、次女も中学校へ行けなくなり不登校となってしまい大変苦労されたようです。

    被害者女性の遺族はネオ麦茶は「許す道筋を示してきたのに彼はそれをしてこなかった」と話しています。

    恨んでいたら家族が崩壊してしまうから現在も事件のことを忘れようと努力されているようで「本当に更生したら母も僕たちも許せるかもしれない、救われるかもしれない」と辛いながらもネオ麦茶の更生を願う発言をされていました。

    その他の被害者は不明

    他の被害者の方達が事件後どのような生活送っているのかは分かりませんでした。相当な恐怖を受けたことを踏まえると、バスに乗ることが出来なくったりネオ麦茶に似た風貌の人を見ると恐怖を感じてしまったりとトラウマになり生活に支障をきたてしまった人もいたかもしれません。

    事件後ネオ麦茶の両親が賠償か?

    自分の子供がバスハイジャック事件を起こし沢山の被害者を出してしまったらと想像するだけでも罪の大きさに目をそむけたくなります。

    ネオ麦茶がバスハイジャック事件を起こした後、ネオ麦茶の両親は被害者に対し息子のした罪にどのような対応をしたのでしょうか?

    事件後に涙を流しながら謝罪

    ネオ麦茶が事件を起こした後、ネオ麦茶の両親は「息子が大変なことをやってしまい本当に申し訳ありませんでした。」と涙を流しながら被害者へ謝罪してまわったそうです。

    保健師をしていた母親は事件後に退職し、父親は家族を養わなくてはいけないため事件後も同じ職場で働き続けていたようですが、2002年春に区切りをつけています。

    被害者遺族に賠償金を払い続けていた

    被害者22名にたいし暫定的な金額ですが総額1380万円にのぼる多額の賠償金が発生し、この資金を何とか手持ちのお金で賄ったそうです。その後も追加の賠償金を支払うために佐賀市内にある一軒家の自宅を売り払っています。

    亡くなった被害者女性の夫は癌でお亡くなりになり、残された3人いる子供達に現在も1~2万円ほど賠償金が振り込まれているそうです。現在も罪を償い続ける両親にネオ麦茶はどう思っているのでしょうか。

    ネオ麦茶事件の後に変化したことは?

    ハイジャックされたバスの運転手の男性は事件後生活に支障をきたす事態となり大変苦労されています。心の傷を負ってしまった運転手の男性にはどのような対応がなされたのでしょうか?

    そして事件後にバス事業者ではバスジャック対策がなされ様々なことが改善されました。改善された内容についても見ていきましょう。

    バスを運転していた運転手はPTSDで労災認定

    バスを運転していた60歳男性は事件直後に約1年4カ月休職しています。バスの運転席に座ると当時を思い出し身体の震えが止まらなくなる症状が出るようになり、バスの運転をすることが出来なくなってしまったため、その後は窓口業務をしていたそうです。

    しかし事件を機に精神的不安定な状態は続いたようでPTSDを労災として認めるよう申請、当時はPTSDが労災認定されたことは数例しかなかったのですが、佐賀労働局では複数の精神科医に相談した結果、労災認定され障害給付を受けることができるようになったのです。

    ハイジャックされ恐怖の中6歳の女の子をバスから降ろすようにネオ麦茶を説得するなど正義感を持ち対応にあたっていた運転手さんのプレッシャーは相当なものだったことでしょう。

    バスジャックに対策

    日本バス協会はこの事態を重く見てバスジャックに対するマニュアルが作成され連絡体制が整備されました。

    車内で異常事態があった場合は行先表示に「SOS」「緊急事態発生」と表示できるようになり、車両後部に設けた非常灯が点灯できたりするよう改善され車外に居る人に異常事態を伝えられるようになりました。そしてバスジャック保険も整備されています。

    2014年7月に再びバスジャック事件が起きましたが、バスの運転手がネオ麦茶事件後に設置された通報装置を作動、バス後部に「SOS 110番へ」が表示されそれを見た他のドライバーが県警や西鉄に通報しています。

    ネオ麦茶事件を風化させてはいけない

    西鉄バスハイジャック事件とはネオ麦茶と名乗る17歳の少年が起こした恐ろしい事件でした。ネオ麦茶は現在は35歳となり事件から18年の歳月が経っています。

    2000年前後はネオ麦茶事件を含め少年犯罪では学校のいじめが関係していることが多く、子供達が恨みを晴らすため事件を起こすといった悪循環が出来ていました。しかし最近では悩める子供達の居場所を作るなど子供を守る環境への対策が進んでいます。

    ネオ麦茶の犯した罪は消えることはありません。被害者の人たちへの償いとして自分の犯した罪と向き合いながら日々過ごしてほしいと願うばかりです。

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