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2023/11/27
r.y6
上原さくらの元夫として知られる遠藤憲昭さん。自身のアパレルメーカ「DEVILOCK(デビロック)」を創業し、同名のライブイベントを開催し20万人以上を動員しました。その遠藤憲昭はどういった人物で、現在何をされているのでしょう?
上原さくらさんとの出会い、最新プロジェクト「アメリカ一周マラソン」や、過去の逮捕歴までくわしく調べましたのでご覧下さい。
遠藤憲昭(元DEVILOCK)さんと、上原さくらさんは過去に結婚していたという噂がありあます。本当でしょうか?
また、結婚していた事実があるとしたら、遠藤憲昭さんと上原さくらさんの間に子供はできたのでしょうか?くわしく調べてみました。
当時、25歳だった遠藤憲昭さんは1996年11月11日に独自のプロデュースするブランド「DEVILOCK(デビロック)」を立ち上げていて、ギラギラと危険な香りがするイケメンのいい男でした。
そんなファッションや音楽などさまざまなジャンルがあるコンテンツをプロデュースしていた「やり手の経営者の遠藤憲昭」さんに魅了されて、上原さくらさんは2003年に遠藤さんと結婚します。
2003年に結婚していた当初「遠藤憲昭」さんと上原さくらさんの間に子供ができかかっていました。妊娠2か月だったのです。
しかし、非常に残念なことではありますが、結婚発表から2週間が経ったあと流産してしまうことになります。本当に待望の赤ちゃんだっただけに、二人の落胆ぶりは想像にたえません。
危険な香りがする男、遠藤憲昭(元DEVILOCK)さんと上原さくらさんの結婚生活の中で、ある事件が発生します。
知人の披露宴で、遠藤憲昭さんはカメラマンの頭を殴ったというではありませんか?どうしてそのような暴力事件へと発展してしまったのか?くわしくご紹介します。
遠藤憲昭(元DEVILOCK)さんと上原さくらさんが2003年に結婚してから、6年が過ぎた2009年の4月4日に、遠藤夫妻は知人である「おちまさと」さんとタレントの河邉千恵子さんの結婚披露宴に呼ばれます。
夫婦で、仲睦まじく参加した結婚披露宴の場所は「青山の一流ブランドFENDI」がある港区北青山です。披露宴には、叶姉妹・ゆずの北川・小沢一郎・長谷川理恵などそうそうたるスターが大集結していたのです。
おちまさとさんの披露宴での目玉イベントとして、高級ブランドFENDIの金屏風をバックに越智千恵子夫妻と参加者が記念撮影できる企画が用意されていました。
そして、上原さくら・遠藤憲昭の夫妻も喜んで一緒に撮影にのぞんだのです。その時、まず上原さくらさんが、越智千恵子夫妻と並び3人のスリーショットが撮影されました。週刊誌や、メディアのシャッターとフラッシュが加速します。
そして、もうそろそろ俺の出番だなと遠藤憲昭さんが「金屏風をバックに立っている3人」の間に入って、カップル同士のフォーショットでポーズをとっていたときです。ある週刊誌のカメラマンが思わず「邪魔だ!どけ!!」と叫びました。遠藤憲昭さんはののしられたあとに、なんとうしろから頭をはたかられたのです。
遠藤憲昭さんも37歳のいい大人です。いくらカメラマンが45歳だからといって大人が子供をあしらうように、手で背中を押す感じで遠藤憲昭さんをいじったものですからさあ大変です。
その行為にプライドをズタズタに傷つけられた「危険な香りがするイケメンの遠藤憲昭」さんは、カメラマンのお腹を殴りつけその場で現行犯逮捕となりました。その年の秋にはなんと上原さくらさんが遠藤憲昭さんに三行半を突きつけて「甘い結婚生活」はあえなく最後を迎えました。
泣きっ面にハチの遠藤憲昭さんでしたが、二人の間には「友達同士が夫婦になってしまった感情」が最後までぬぐいきれなかったようです。その後上原さくらさんはフェラーリ王子と呼ばれていた社長の青山光司さんに鞍替えをしますが、すぐ2012年に離婚しています。
紆余曲折あった遠藤憲昭(元DEVILOCK)の人生も、上原さくらさんと離婚後はデビロックの解散など衝撃的な事実がありましたが、最近ではアメリカ大陸をランニングで一周するプロジェクトを開始しています。
アメリカ大陸一周ランニングが、どのようなプロジェクトなのか?くわしく調べてみました。
遠藤憲昭さんは、2011年に自身のブランド『DEVILOCK(デビロック)』を解散させ、新しいプロジェクトを始動します。2014年の3月にサンディエゴをスタートとして、アメリカ大陸を自分の足だけ(ジョギング)で一周するというとんでもない企画です。
アメリカ大陸を走ることで、現地で出会いう人々の生の声や、珍しい雑貨を探してサポーターにプレゼントしたりと多方面に発信していきたいというもので、随時フェイスブックやツイッターとブログなどで報告がされる段取りです。
遠藤憲昭さんの企画する『THE WILD ONE』。アメリカ大陸を自分の足で一周して、皆さんに夢と希望を与えたいというすばらしい企画です。現時点で、クラウドファンディング・プラットフォームにて資金集めのページがあります。
リターンには500円、1000円、3000円、5000円、1万円、3万円、5万円、10万円、50万円、100万円コースが用意されています。これは、ファンとしてサポーターになってもらうための募金金額です。それぞれに特典があり、100万円サポーターには遠藤さんのサイン入り壁紙データや、愛用品、アメリカから直接生電話、オリジナルサングラスという特別待遇があります。
しかし、残念ながら現時点では500円募金コースに1名と、3000円募金コースに1名の合計2名の3500円しか資金が集まっておらず、アメリカに飛び出せずに遠藤憲昭さんはランニングシューズを履いたまま日本国内で地団太を踏んでいます。
それでは、遠藤憲昭(えんどうのりあき)さんのプロフィールについてのご紹介です。遠藤憲昭さんは、どこの出身でなんという事務所に所属しているのでしょう?
また、過去の実績や組んでいたバンド名は何というのでしょう?
遠藤憲昭さんの簡単なプロフィールと過去の主な活動についてご紹介いたします。
生年月日:1971年10月21日(47歳)
出身地:埼玉県岩槻市(現さいたま市)
出身中学:岩槻市立城北中学校
出身高校:埼玉第一高校(現開智高等学校)
過去のバンド:GMF
過去の所属会社:DEVILOCK(デビロック)
元嫁:上原さくら
暴行事件:一回
遠藤憲昭(えんどうのりあき)さんは、1971年10月21日に埼玉県岩槻市に生まれています。現在のさいたま市ですね。大宮市立七里小学校・岩槻市立城北中学校・開智高等学校を卒業後に、単身で渡米してファッションを一から学びます。
米国では、数多くのオルタナティヴ・ロックバンドのライブを見に行っていたという。そこに感化されて1990年代には帰国後にハードコアパンクバンドの「GMF」として活動していました。1998年には新たに「SUPERHYPE」というバンドを結成しライブ活動に励んでいます。
遠藤憲昭(えんどうのりあき)さんは、自身のバンド活動と並行して、1996年にDEVILOCK(デビロック)というアパレルメーカーを創業し、独自のブランドを展開していきます。
あわせて翌年の1997年からは、自社の主催で音楽イベントを開催し、今までに20万人を動員しています。デビロックは惜しまれつつも2011年、いったんブランドを閉鎖したのですがまた復活します。
現在、遠藤憲昭さんが作ったブランド「DEVILOCK(デビロック)」は、子供服のブランドとして急成長を遂げています。
遠藤憲昭さんは、2011年に自身のブランド『DEVILOCK(デビロック)』を解散させましたが2018年に再始動させています。今回はトウキョウベースとの共同企画らしく遠藤さんはデザインの監修を担当されたそうです。
また、DEVILOCKの他にMARKET THE ENDという日本では買えない海外の商品を激選しているサイトも管理されています。ツイッターやブログも頻繁に更新しているようなので洋服に興味ある方は見てみてはいかがでしょうか。
若いときから渡米して、ファッションを学び「DEVILOCK(デビロック)」ブランドをいちから立ち上げた遠藤憲昭さん。上原さくらさんとの離婚を経て、再び新しいチャレンジに燃えている遠藤さんを見ると、何歳になっても青春はあるのだなあと痛感します。
現在、DEVILOCK(デビロック)ブランドは子供服で再ブレイクしていますし、この調子で遠藤憲昭さんのアメリカ一周ジョギングもどんどん資金が集まって、さらなる活躍が期待されるところです!みんなで応援しましょう。
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【この記事は2020/3/25に更新されました。】