木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
元体操選手の小菅麻里さんは、ルックスの良さとその実力から「和製コマネチ」の愛称で親しまれていました。綺麗な演技は、端正な顔立ちとあいまって多くのファンを魅了しました。
幼いころから快進撃を続け、順調にいくかと思われましたが、五輪参加不可、大舞台での失敗など順風満帆とは言えませんでした。このページでは、そんな小菅麻里さんに迫っていきます。
その愛くるしい美貌から「和製コマネチ」とも呼ばれた小菅麻里さん。美少女アスリートの元祖ともいわれる容貌と、史上最年少で全日本体操選手権を制した実力で人気を博しました。
そんな小菅麻里さんのプロフィールをまとめてみたのでご覧ください。
本名:小菅麻里
愛称:和製コマネチ
生年月日:1975年10月16日
現在年齢:43歳
身長:151cm
血液型:??
出身地:東京都小平市
出身校:藤村女子高等学校
職業:体操選手(朝日生命体操クラブ)、体操指導者、スポーツキャスター等
東京都小平市で生まれ、3歳の時から体操を始める。1983年には朝日生命体操クラブに入団し、第42回全日本体操選手権では13歳1ヵ月の史上最年少での全日本チャンピオンに輝くなど活躍をみせました。
オリンピックでは、バルセロナ五輪に個人代表として出場し総合17位。残念ながら本来の力を見せることはできませんでしたが、端正なルックスと正確な演技で「和製コマネチ」と呼ばれて注目を集めていました。
体操選手引退後は、セントフォースに所属し、スポーツキャスターをするなど他分野での活躍をしていました。
小菅麻里さんは、身長が151cmと小柄で、ルックスもよく、ジュニア年代から活躍を始めたので、はじめは妖精と呼ばれていました。
体操界では、1980年にモスクワオリンピックで2個の金メダルをとったナディア・コマネチが同様に妖精として人気を集めていました。端正な顔立ちと小柄な体型も似ていたことで、次第に「和製コマネチ」と呼ばれるようになっていきます。
小菅麻里さんは1990年代の体操女子の人気ランキングでは、一際抜けた人気を持った選手でした。上の画像のコマネチ選手と比べても、幼いながら凛々しい顔立ちがどこか似ています。
小菅麻里さんの顔立ちも、眉毛がはっきりとした洋風な顔立ちな点がコマネチ選手と比べられたところなのでしょう。
小菅麻里さんは身長が151cm、コマネチ選手は163cmとコマネチ選手の方が身長は10cmほど高いです。
しかし、コマネチ選手が一躍有名となった1976年のモントリオール五輪のときは、コマネチ選手も155cmほどだったので、体操選手らしい華奢な体格同様、身長もさほど変わりがありませんでした。
小菅麻里さんは3歳という非常に幼いころから体操をはじめ、7歳のころには名門朝日生命体操クラブに入所します。もともと持っていた才能に加えて、優秀なコーチの指導が加わったことで、国際大会で8位入賞を果たすなど、頭角を現してきました。
藤村女子中学校時代、全国中学校の大会で個人総合優勝を果たすと、その勢いにのって全日本選手権では、史上最年少で優勝を遂げ、一躍脚光を浴びるようになりました。
先日、グランプリファイナルで優勝した紀平梨花さん(上記画像)のように、現在は美少女アスリートという名で呼ばれるアスリートがたくさんいらっしゃいますが、小菅麻里さんはそのパイオニア的存在です。
最年少で全日本チャンピオンとなって注目を集めていくにつれ、その端正な容姿も知られていくようになり、小菅麻里さんは美少女アスリートの元祖的な存在となっていきました。
同じ体操選手の美少女アスリートと言えば、田中理恵さんが有名です。どちらもオリンピック出場経験がある実力者という点でも似ています。ただ、田中理恵さんは比較的シニアの世代になってから注目を集めたところが違う点です。
全日本チャンピオンとなり、つづくソウル五輪での活躍が期待されていた小菅麻里さん。しかし、思わぬところから壁が表れてしまいます。
オリンピックの体操競技では、男子16歳以上、女子15歳以上(その年の12月31日までになればOK)でなければ出場できない、という規定があります。当時まだ15歳に達していなかった小菅麻里さんは、この年齢制限のために、参加できませんでした。
最近では、浅田真央さんがトリノオリンピック(当時15歳)に参加できなかったことがしられています。オリンピックは競技団体ごとに年齢制限が定められていて、フィギュアスケートなどのスケート競技は15歳以上(五輪前年の6月30日までに15歳になっていること)など、団体ごとにさまざまです。
藤村女子高校に進学してからも、インターハイや国際ジュニア選手権で優勝するなどさらに進化した小菅麻里さん。17歳になったことから、1992年のバルセロナ五輪には堂々と出場します。
実力的には入賞圏内も十分に狙えた小菅麻里さんでしたが、初めてのオリンピックで実力を出し切ることができず、個人で17位の結果となってしまいました。
その後も、小菅麻里さんはインターハイ、全日本ジュニア選手権を優勝し、NHK杯で5度の優勝を飾るなど、国内での活躍は続きましたが、1994年の世界選手権では個人総合26位に終わり、国際レベルでは次第に順位を落としていきました。
アトランタを翌年に迎えた世界選手権、小菅麻里さんは個人総合には出場できず、団体でもケガのため2種目出場に終わります。
自分の力の限界を感じた小菅麻里さんは、同年引退を決意します。
まだ20歳という若さでした。
小菅麻里さんは、体操選手を引退後、知名度の高さを生かし、スポーツキャスターへの転身をはかります。
所属した事務所はセントフォース。小菅麻里さんがいかに人気を持っていたのかがうかがわれます。
しかし、小菅麻里さんはスポーツキャスターを務めたのは2年間のみで、その後アメリカのロサンゼルスへと渡ります。そして、ロサンゼルスで体操クラブ「Gymnastics World」を開きます。
主に子供たちが相手の体操の指導が中心で、体操界の第一線からは距離をおいていたようです。
その後の小菅麻里さんは、体操コーチもやめ、体操の世界とは距離をおいて、ワシントン州で普通の主婦として暮らす生活を送っています。
幼少期から注目を浴び続けていたことで、現在は穏やかな生活を選択しているのかもしれません。
20歳という若さで現役を引退した小菅麻里さん。2年間のスポーツキャスターの後に渡米してしまったので、浮いた話題を少なかったようです。
唯一、週刊誌に取り上げられたのが千代大海関との噂。けれど、千代大海関は普通の友達の1人との釈明でした。
千代大海関の友人発言で幕を閉じた週刊誌での噂ですが、後に、小菅麻里さん自身が「千代大海関はアンコ型ではなく、筋肉質だった」と話していたという噂も流れ、実際は付き合っていたのではという憶測も流れています。
現在、アメリカのワシントン州で主婦業に専念している小菅麻里さん。現在の旦那さんは、一般の方で、体操界とは距離をとった生活をされています。
最年少で全日本チャンピオンになり、美少女アスリートとして注目を集めた小菅麻里さんですが、現在の美少女アスリート満載の状況をみると、時代を先駆けていた存在といえます。
これからも多くの美少女アスリートが生まれてくる中でも。小菅麻里さんはその元祖として記憶の片隅に生き残って行くのだと思います。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局