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2023/11/27
r.y6
昭和の一時期、独特のハスキーボイスと美しい容姿で一世を風靡した藤圭子さん。突然舞い込んだ自殺という訃報に、私たちは驚かされました。彼女の娘は天才的なアーティストの宇多田ヒカル。母親である藤圭子さんは幸せな人生を歩んでいるものとばかり思っていました。
それにしても知人宅からの転落死という死因には不自然さを感じてしまいます。藤圭子さんはどんな晩年だったのでしょう?自殺の原因は?自殺時に一緒にいたという男性とは?それらについてまとめました。
1970年代に主に活動した歌手の藤圭子さん。若い人にはピンとこない方が多いことでしょう。ここでは藤圭子さんのプロフィールについてご紹介します。
本名:阿部 純子
生年月日:1951年7月5日
出身地:岩手県一関市
死没:2013年8月22日(62歳没)
ジャンル:演歌・歌謡曲
代表曲は:新宿の女、女のブルース、圭子の夢は夜ひらく、京都から博多まで etc.
職業:歌手
活動期間:1969年 - 1979年、1981年 - 1998年
レーベル:RCAレコード、CBSソニー
藤圭子さんは1960年代の終わりから1970年代にかけて活躍した演歌歌手です。演歌を歌いながらも少年マガジンの表紙をつとめるなど、アイドルとしての一面も持っていました。
藤圭子さんといえば、容姿端麗もさることながら、独特のハスキーボイスと凄みのある歌いまわしが印象に残っている方が多いでしょう。声と風貌のギャップが魅力となり、70年代を駆け抜けた異色のアイドルでした。
1971年には当時大人気歌手だった前川清と結婚しますが大スター同士の結婚生活は難しく、すれ違いが原因となって翌年には離婚。1974年、喉のポリーブ手術が原因で声が変わったことを悩んで1979年に引退するも、81年には復帰しています。
82年に音楽プロデューサーの宇多田照實と結婚、83年には長女を出産しました。それが、後に日本を代表するアーティストとなった宇多田ヒカルさんです。
宇多田照實さんとは、7回に渡って離婚、再婚を繰り返します。照實さんによるとささいなことから口論になってそのまま離婚。あとで『別にこんなことで離婚する必要なんかなかったよな』とお互いに思って再び入籍。といったことが繰り返されたそうです。
最短では1週間で復縁したこともあったとか。いくら相手が同じ人であっても7回というのは私たちの常識ではちょっと考えにくいですね。
離婚と結婚を7回も繰り返した背景には、藤圭子さんに「感情の不安定さ」があったようです。照實さんは出会った当時は「気まぐれな人」と受け止め、大きな問題とは感じていなかったそうですが...
娘であるヒカルさんが5歳になった頃から情緒不安定が顕著になり、本人も家族も苦しめられることとなります。
2006年3月、藤圭子さんがニューヨークのJFK空港にて麻薬取締局に大金を没収されたというニュースが報道されました。彼女のバッグから出て来たのは日本円にして約4,900万円もの大金!ここまでの大金は麻薬取引と疑われても仕方ないと言えます。
その後麻薬疑惑は晴れ現金も返還されましたが、約1か月後に日本の報道番組に緊急出演した彼女が語った内容、「世界中のカジノを渡り歩き5年間で5億円の金を使った」に再び世間は驚かされました。異常なギャンブル癖も情緒の不安定さからのものだったのでしょうか。
2006年9月にテレビ朝日のインタビューに応えた藤圭子さんは「この20年間、吐きまくりの人生です。週に3回は吐いてる。」と、体調不良をうったえていました。24時間の頭痛、38度の発熱、不眠などの症状もあったといいます。
かなりの長期に渡って体調不良に苦しめられていた様子がうかがえる藤圭子さん。照實さんによると「病院での治療をすすめると不信感を抱くので治療もできなかった」とのことなので、かなり精神を病んでいたのではと思わされます。
晩年はほとんどニューヨークで暮らしていた藤圭子さん。テレビ朝日のインタビューでは「日本に帰ってきても話す人がおらず寂しい」「昔の知り合いも連絡が取れない」と語っていました。離婚した宇多田照實さんとも2007年に7度目の離婚。その後は全く会っていなかったようです。
藤圭子さんがうつ病を患っていたことは当時の音楽業界では有名だったそうです。吐き気や摂食障害もうつ病の典型的な症状のようですね。
2013年8月22日、東京都新宿区の高層マンションから転落死した藤圭子さん。一世を風靡した昭和の歌姫としては余りに孤独で悲しい最期でした。争った形跡がないことなどから、新宿警察署は飛び降り自殺を図ったと断定しています。
美しい黒髪のボブスタイルが印象的だった藤圭子さんは、白髪になってすっかりやせ細り、別人のようになっていたそうです。藤圭子さんの死因は、心の病だったのでしょうか。
藤圭子さんの死後、娘である宇多田ヒカルさんが公式サイトでコメントを発表しています。そこには、「症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました」とあります。
「ただ翻弄されるばかりで何もできませんでした」と振り返る宇多田ヒカルさん。家族として、娘としてどんなに辛かったことかと思います。
娘の宇多田ヒカルさんや、元夫である宇多田照實さんの証言から、藤圭子さんは統合失調症だったのではないかと言われています。
統合失調症とはかつては精神分裂症と呼ばれていた精神の病。幻覚や妄想にさいなまれ、時に他者を傷つける行動へも発展します。うつ病と併発することも多く、直接の自殺の原因はわかりませんが、それらの精神の病が彼女を自殺に追い込んでいったことは間違いないでしょう。
藤圭子さんが転落自殺を図った高層マンションは知人30代男性の部屋だったと報道されています。藤圭子さんとは30もの年齢差がある男性が恋人とも考えにくく、ホスト説、介護説など様々な憶測が飛び交いました。
一体、彼と藤圭子さんはどういう関係だったのでしょうか?
藤圭子さんの死後、かつて彼女のマネージャーを長く務めていた成田忠幸さんが有志を集めてお別れの会を開き、一周忌でも再び集まっています。その時に、「あの若い男は誰なんだ?」と改めて話題に上がったようです。
「純ちゃん(本名は阿部純子)は身持ちが堅かったから、男と女の関係ではない」「かといって関係ない男とでも同居できる性格」古い仲間の間ではいろんな意見がでました。
藤圭子 ビートルズメドレー
晩年、藤圭子さんは、元夫である宇多田照實とも宇多田ヒカルさんとも疎遠となっていました。精神の病から家族すら信用できなくなり、だれも寄せ付けないという状況があったようです。しかし、情緒不安定な彼女を一人にさせるわけにはいきません。
そんな彼女を思って、照實さんが監視役として同居させていたのが、転落時に部屋にいた30代の男性だったのではないかと言われています。亡くなったのは早朝だったため、彼は眠っている間の出来事でした。
藤圭子さんは20年以上もの長い期間、精神の病に苦しんできました。そして藤圭子さん本人とともに苦しんで来られた、宇多田照實さん、宇多田ヒカルさんの心労を思うと胸が痛みます。
藤圭子さんが亡くなって5年余りとなりますが、安らかに眠られていることを祈るとともに、宇多田ヒカルさんの今後のさらなる活躍を願いたいと思います!
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