ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
大物歌手で芸能界の女番長とも言える、和田アキ子さん。和田アキ子さんを恐れている芸能人は多いですが、同時に愛されてもいますよね。
そんな和田アキ子さんは、2016年に「シェーグレン症候群」とい病気であることを告白しました。和田アキ子さんは、日常的にこの病気に悩まされているようです。
そこで今回は和田アキ子さんという人物と、和田アキ子さんが患っていると告白した「シェーグレン症候群」という病気について見ていきます。
まずは和田アキ子さんのプロフィールから見ていきましょう。芸能界の中でもかなり立場が上でえらい人、大物歌手という印象が圧倒的な和田アキ子さんですが、詳しい年齢などは意外に知らない人が多いのではないでしょうか?
和田アキ子さんの基本情報や略歴から、和田アキ子さんが一体どんな人物かを知りましょう。
本名:飯塚 現子(再婚後の本名)
生年月日:1950年4月10日(68歳)
出身地:大阪府大阪市天王寺区舟橋町
活動期間:1968年 -
事務所:ホリプロ
和田アキ子さんは1950年生まれで、現在は68歳です。いくつになってもパワフルなので、とても70歳前には見えませんよね。
また和田アキ子さんの明子と言う文字は、漢字で「現子」と書くようです。当て字のため読めない人が多いので、現在の表記になったそうです。
和田アキ子さんは小学5年生の頃から洋楽に憧れ、15歳の頃からジャズ喫茶などで歌うようになったそう。そんな中、当時ホリプロの社長であった堀威夫直々さんにスカウトされ、「和製リズム・アンド・ブルースの女王」と言うキャッチコピーでデビューしました。
その後1968年に「星空の孤独」でレコードデビューし、翌年の2枚目のレコード「どしゃぶりの雨の中で」ですでに人気歌手の1人となりました。
1972年に有名な「あの鐘を鳴らすのはあなた」で第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。
1973年からはバラエティ番組にも出演するようになり、さらに名前と人気を広げました。1985年からは現在も続く『アッコにおまかせ!』の司会に。このように歌手として成功しながらも、タレントとしても仕事をしています。
デビュー当初から人気があり、年齢を重ねても変わらず活動している和田アキ子さんですが、実は病気を患っていることを2016年に告白しました。
その病気とは「シェーグレン症候群」と言う病気です。あまり聞いたことがありませんが、一体どのような病気なのでしょうか?
和田アキ子さんとシェーグレン症候群という病気について見ていきます。
2016年に和田アキ子さんが患っているとラジオで公表した「シェーグレン症候群」という病気。これはどのような病気なのでしょうか?
シェーグレン症候群とは、外分泌腺に慢性的に炎症が生じるもので、涙や唾液の分泌が低下してしまい、乾燥症状が起きる自己免疫性疾患だそうです。国の指定難病にもなっています。
原因は明確なものはなく、現在はさまざまな原因の推測があるようです。
和田アキ子さんはこのシェーグレン症候群という病気により、目の乾きや口の中の乾きといった症状が出ているそうです。
和田アキ子さんはこのような症状に悩んでいると、ラジオ番組で発言していました。
和田アキ子さんはシェーグレン症候群による症状により、水を手放すことができなく、また常に満身創痍であると告白。
しかし和田アキ子さんは、病気と闘いながらも歌手活動や芸能活動を精力的にしています。このような姿は、同じ病気の人も勇気付けることにつながっていることでしょう。
ここからは、和田アキ子さんという人物そのものについて見ていきます。まずは和田アキ子さんといえば歌ということで、和田アキ子さんの歌手活動について見ていきます。
和田アキ子さんは、どのような歌手としての人生を歩んできたのでしょうか?
先述したように、和田アキ子さんは歌っているところを当時のホリプロの社長さんにスカウトされて歌手デビューを果たしました。
「和製リズム・アンド・ブルースの女王」というキャッチコピーでデビューした和田アキ子さんは、2枚目のレコードでは人気を確かなものにし、1970年には「笑って許して」で『NHK紅白歌合戦』に初出場しました。
その後はバラエティ番組に出演することも多くなりましたが、歌手活動に専念するために一時期はすべてのバラエティ番組を降板しました。
実は和田アキ子さんはこのバラエティ番組降板により、この時出演していた番組の一つの曲であった日本テレビへの出入りが2年間禁止になったそう。しかしそこまでしてでも、歌手活動を頑張りたかったということでしょう。
このように歌手活動に集中したこともあり、2008年はデビュー40周年記念として、ニューヨークのアポロ・シアターで単独公演行いました。これは、日本人・東洋人のソロ歌手としては初となることでした。
どんなにすごい歌手でも、なかなかニューヨークで公演を行うことなんてできません。和田アキ子さんがすごいということがわかりますね。
なお和田アキ子さんは、2018年に歌手デビューをしてから50周年という節目を迎えました。半世紀も止まったり衰えたりすることなく一線で活躍しているのは、本当に素晴らしい功績です。
これを記念して「WADAfes」というイベントも行われ、和田アキ子さんに関係ある大物芸能人とともに盛大なイベントとなりました。
一見恐れられている和田アキ子さんですが、やはり多くの芸能人から愛されています。
和田アキ子さんの歌手人生を語る上で欠かせないのが、歌手の人には目標の一つである紅白歌合戦です。和田アキ子さんは1970年に紅白歌合戦初出場してから、1978年(昭和53年)まで連続出場。
それから再び1986年から2015年まで連続出場し、30年連続出場となりました。なおこの記録は、当時の女性歌手の最多出場記録でした。
和田アキ子さんは紅白の紅組のトリを7回、司会を3回務めています。
知らない人も多いと思いますが、和田アキ子さんは実は元は日本人ではなく韓国人でした。一体どういうことなのでしょうか?
和田アキ子さんの国籍などを見ていきましょう。
和田アキ子さんは大阪で生まれましたが、父は済州島出身、母は朝鮮半島出身で在日韓国人2世だったのです。そのため昔の本名は金福子でした。
しかし和田アキ子さんが芸能界デビューをする時に、和田アキ子さんの父が在日韓国人だとわかってしまうとよくないと思ったそうです。そのため、すでに帰化していて「和田」という苗字になっていた和田アキ子さんの叔父養子になったそう。
そして「現子」と改名して「和田現子」となったそうです。
和田アキ子さんはかつてのインタビューで、自分が日本人ではないと知ったのは中学生の頃で区役所に行って分かったと語っていたそう。また、和田アキ子さん本人が日本に帰化しています。
これは知らない人が多かったのではないでしょうか。現在は日本に帰化して芸能界にも欠かせない存在になっている和田アキ子さん。これもすごいことですね。
今回は和田アキ子さんと彼女が患っている病気「シェーグレン症候群」というものを中心に、和田アキ子さんという人物をご紹介してきました。
70歳を前にしても年齢と病気であることを感じさせずに、パワフルに歌手活動や芸能活動をしている和田アキ子さん。そんな和田アキ子さんを、これからも応援していきましょう。
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