木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
最近では「アイドル」という言葉を聞くと多くはAKB48やモーニング娘。のようなグループアイドルを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。これらのグループアイドルはいわゆる平成のアイドルの象徴ではないでしょうか!
しかし、昭和のアイドルといえば松田聖子さんや南野陽子さん、薬師丸ひろ子さんのようなソロで活躍する人が多かったように感じます。今回紹介する本田理沙さんも昭和を代表するアイドルの一人です!そんな本田理沙さんですが一体どんな人物だったのでしょうか!
本田理沙さんは1971年5月27日大分県中津市で生まれます。本名は公開しており、本名は本田こずえ。
本田理沙さんは1986年、大塚製薬が主催する第一回ポカリスエットイメージガールコンテストの全国大会に出場します。そこでフロム・ファーストプロダクションにスカウトされ芸能界デビューを果たします。
1988年「lesson2」で歌手デビューを果たします。同時期にデビューしたアイドルは高岡早紀さん、西田ひかるさん、藤谷美紀さんなどがいます。いわゆるアイドル黄金世代ですね!
その後、テレビ朝日系列で放送されたアニメ「おぼっちゃまくん」の第二期のエンディングテーマを務めました。このエンディングテーマ「容赦無く愛して」は「おぼっちゃまくん」の原作者である小林よしのりさんが作詞を担当しました。
本田理沙さんはアイドル歌手として活躍する傍、数々のテレビドラマに出演します!本田理沙さんのドラマ初出演作となったのが、1988年に放送されたフジテレビ系列の「桃色学園都市宣言」でした。その後毎年のようにテレビに出演し、人気女優の仲間入りを果たしました。
元人気アイドルの本田理沙さんですが、ここにストーカー被害を受けたそうです。ではどのような経緯で事件が発覚したのでしょうか!
2017年5月8日に放送されたフジテレビ系列の情報番組で、以前ストーカー被害に悩まされていたと激白した。一度ではなく何回もhがいにあったそうなので恐ろしいですよね!
1度目は高校生の時だそうです。自宅マンションのエレベーターに乗っていた際、同じく乗っていた見知らぬ男性に急に羽交い締めにされ、ナイフを突きつけられたそうです。
二度目の被害はなんと自宅内で怒ったそうです。本田理沙さんが自宅で電気をつけずテレビを見ていたところ、ストーカーと思われる男性が入ってきたそうです。パニックになりながらも助けを呼び、窓から脱出したそうです。偶然通りかかった俳優の金山一彦さんにも助けてもらったそうです。
二軒目の被害に関して、偶然通りかかった金山一彦さんが助けたという話にネットでは「怪しすぎる」「話が出来すぎてる」「胡散臭い」など辛辣なコメントが寄せられました。
これに関して、「バイキング」のMCの坂上忍さんは金山さんが同じマンションに住んでいたことを説明したあと「芸能人が住めるマンションは事情により限られている。出来すぎた話かもしれないが十分ありえる話。」とコメントしました。
人気の芸能人や一流の芸能人だと自宅前にマスコミなどが殺到することもあるので、不動産屋がNGをだすことがあるみたいです。そのため気に入った部屋があっても借りることが出来ないケースもあるため、1つのマンションに集中することもあるそうですね!
昭和の人気アイドルも現在は47歳です。そんな本田理沙さんの結婚はどのようなものなのでしょうか!
本田理沙さんは1997年に結婚をしたそうです。この同時期に芸能界を引退しています。この当時本田理沙さんは26歳。適齢期に結婚したのではないでしょうか。しかし、アイドルとして絶頂期だったため、悲しんだファンも少なくないのではないと思います!
幸せを掴んだかのように思えた本田理沙さんですが実は結婚相手がかなりヤバい人物だったそうです。なんとこの男性は日本最大規模の暴力団・山口組の臥龍会という組織の幹部だったそうです。この男性が本田理沙さんとの結婚後4ヶ月後、銃刀法違反で捕まります。これがきっかけで離婚したそうです。
そもそも本田理沙さんとこの男性との出会いは共通の知人の高知東生さんの紹介だったそうです。紹介後、2年間の交際期間を経て、結婚しました。今になってみると高知東生さんの紹介というあたりで納得ですね!また、2年間の交際期間がありながら裏の顔がバレなかったという点も少し怪しいですよね!
この事件発覚後本田理沙さんは相当ショックだったそうです。ストーカー被害に悩んでいたときにあったときに救いの手を差し伸べてくれた男性が暴力団構成員だったとなればそのショックは計り知れないですよね!
しかし本田理沙さんは2002年に一般人男性と結婚します。今度の旦那さんは「一般人」だったそうです。結婚後、この男性との間に二人の女の子を授かります。幸せに見える夫婦生活ですが長くは続かず、離婚します。
1997年、絶頂期に引退した本田理沙さんですが、芸能界を引退した理由はなんなのでしょうか!どうやらこの時期に発表した結婚だけが原因ではないようです!
芸能界引退を表明した1997年当時、本田理沙さんはどうやら突発性難聴に悩まされていたそうです。本田理沙さんがテレビ東京系列の番組「ヨソで言わんとい亭~ココだけの話が聞ける(秘)料亭~」に出演した際、突発性難聴を発症したことを告白。これが引き金となり引退を決意したそうです。
突発性難聴とは原因は明確にはわかっていませんが、ウイルスや心身のストレスが原因で発症する病気だと考えられています。症状は難聴の他に耳鳴りやめまいがするそうです。重度だと仕事もできない状態に陥るそうです。本田理沙さんはストレスからくる突発性難聴だとされています。
突発性難聴を引き起こした原因はストーカー被害だったそうです。先にも述べたように、度重なる過度なストーカー行為によるストレスで本田理沙さんの心身は蝕まれたそうです。
また、このような事件があったこともあり、人間不信に陥ったそうです。ファンからのプレゼントや通行人を怪しむようになっていったそうです。このようにして負のスパイラルにハマりったそうです。
凄惨な過去をもつ本田理沙さんですが、現在彼女はどのような活動をしているのでしょうか!
本田理沙さんは2008年に芸能界復帰を果たします。復帰作は同年5月に発売された週刊誌「FLASH」のグラビアページです。30代後半でのグラビア、しかもセミヌードだったこともあり話題になったそうです。
しかし、2010年、本田理沙さんの父が他界します。地元・大分には高齢の母が一人だったため、帰郷します。その後、地元大分でママドルとして活動し、地元のローカルテレビで視界などを務めます。
また、タレント育成スクールの代表も務めています。育成だけでなく、ご当地アイドルの発掘にも力を入れており、アイドル活動を通して地域興しに貢献しているようです。
二度の離婚や凄惨なストーカー被害、突発性難聴など堪え難い経験をしている本田理沙さんですが、現在二児の母です。女手一つで二人の娘を育てながら、高齢の母を支えるという苦労は計り知れないですよね!
また、芸能活動では、地元の番組を中心に司会業などで活躍しています。タレント育成スクールでは自らが代表となり、新人タレントの育成や発掘に注力しています。公私ともにバリバリ働く本田さんですが、心配なのは体調面ですね!これからも一層活躍して欲しいですが体調に気をつけながら頑張って欲しいですね!
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