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2023/12/28
大今里
本名:村田 諒太
階級:ミドル級
身長:183cm
誕生日:1986年1月12
現年齢:32歳
出身地:奈良県奈良市
村田諒太さんは、5歳から水泳を始め、中学では陸上部に入部し、1500メートルで奈良市大会で4位の成績を残していますが、長続きせず…。
その後家庭の事情のもあり、喧嘩をしたりとやんちゃな生活をしていたそうです。
今では、ミドル級王者までに成長した村田諒太さん。
村田諒太さんがボクシングを始めるきっかけとなったのは一体何なのでしょうか。
金髪で登校してきた村田諒太さんに担任が「何かやりたいことないのか」と質問。
村田諒太さんの答えが「ボクシングだったらやるわ」でした。
そのやりとりがきっかけで、地元高校が主催する週末ボクシング教室に足を運ぶように。
ここから村田諒太さんのボクシング生活が始まりました。
しかし、ボクシング教室の練習が辛くて、2週間ほどで通うのをやめてしまいました。
しばらくして再びボクシング練習に顔を出すようになりましたが、2か月で足首を負傷しその後は全く顔を出さなくなってしまったそうです。
高校での初戦は黒星スタートだった村田諒太さんは徐々に頭角を現し、高校2年の時に選抜・総体・国体の高校3冠を達成。
また3年の時でにも選抜と総体を制して高校5冠を達成!
最後の国体で史上2人目の高校6冠の達成がかかっていましたが、2府4県が団体戦により3枠を争う国体近畿予選で村田諒太さん自身はミドル級で優勝!
ですが、京都チームが団体戦4位に留まり(大阪・兵庫・奈良が全国に進出)、惜しくも国体出場を逃してしまいました。
国体に出場できなかった代わりに全日本選手権に参戦。
決勝で1回RSC負けに終わってしまいました。
村田諒太さんは、大学に進学しボクシング部に所属。
そして、数々の試合をこなしオリンピック選手になるほどメキメキと成長していきました!
アマチュア
2005年 アジア選手権ミドル級銅メダル
2011年 インドネシア大統領杯ミドル級金メダル
2011年 世界ボクシング選手権大会ミドル級銀メダル
ロンドンオリンピックミドル級金メダル
プロ
WBA世界ミドル級王座(防衛0)
WBA世界ミドル級暫定王者でWBA世界ミドル級1位のハッサン・ヌダム・ヌジカムとWBA世界ミドル級王座決定戦を行ったがプロ初黒星となる12回1-2(の判定負けを喫し王座獲得に失敗してしまいました。
WBAはこの判定は、村田諒太さんはもちろん、誰もが納得のいかない判定でした。
ヌジカムと村田諒太さんの間で行われたWBA世界ミドル級王座決定戦の採点に問題があったとしてヌジカムと村田諒太さんに対し再戦するよう指令を出したそうです。
5か月の時を経てヌジカムと再戦!
村田諒太さんは、5か月間の成長を見せてくれました!
村田諒太さんは、ヌジカムに、7回終了TKO勝ちをし、、日本人として竹原慎二さん以来、22年ぶり2人目のミドル級世界王者となりました!
前戦の悔しさが村田諒太さんを成長させてくれたのでしょうか。
2017年5月20日の試合結果に村田諒太さんは、言い訳を一切せず、真摯(しんし)な態度が大きな反響を呼びました。
村田諒太さんの父親・誠二さんは「勝てばいいという人には、なってほしくなかった。うれしかった。『心技体』と言うけれど、さらにその上の精神性の扉が開けたような気がする」と村田諒太さんの精神面の成長を誇らしげに語ったそうです。
2017年10月22日の王座に輝いた村田諒太さんは、「自分が成長したとは思いますね。自分で成長したとは思っていない。他者が成長させてくれるのでこの気持ちは忘れたくないですね。」と話しています。
とても謙虚な方なんですね。
また、雑誌の雑談では「僕は最近、人間のキャリアって、一歩一歩、徐々に進行していくように思えますけど、実はそうじゃない気がしていて…人間ってドカンと一気に成長する瞬間があって、それが大きなキャリアになると思うんです」とエンダムとの試合でドカンと成長したことを話しています。
村田諒太さんの初防衛戦が2018年4月15日に決定しました!
相手は、欧州王者を返上したばかりの同級10位エマヌエーレ・ブランダムラ。
会場は横浜アリーナで横浜アリーナは、同王者だった竹原慎二さんが初防衛に失敗した日本ボクシング界因縁の地。
ここで、また村田諒太さんは成長した姿を見せてくれるのでしょうか!
村田諒太さんのボクシングを始めたきっかけから現在までの成長を紹介しました。
自身でも成長を感じた王座決定戦から約半年で初防衛戦に挑む村田諒太さん。
半年間の間にどれだけ成長してくれているのかを観るのが楽しみです!
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