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2023/12/28
大今里
真屋順子
本名 高津詔子(たかつしょうこ)
女優
生年月日 1942年1月8日
出生地 朝鮮 釜山府
出身地 大分県日田市
身長 156㎝
血液型 O型
特技 日舞
松竹歌劇団に入団し、俳優を志したという真屋順子さん。
1975年には円という演劇集団に参加し、1980年には夫である俳優の高津住男さんと劇団樹間舎を旗揚げされました。
真屋順子さんといえば、萩本欽一のバラエティー番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』にお母さん役として出演したことで、一躍人気者に。
「日本のお母さん」というイメージで全国民に愛されてきた女優さんです。
また、バラエティーだけでなく山口百恵さん主演のドラマ『赤い絆』では、国民的スターである山口百恵さんのライバル役を演じ、視聴者から反感を買うほどの迫力の演技をされた、実力ある女優さんでした。
2017年12月28日に死去された真屋順子さん。
死去の原因は「全身衰弱」だったそうです。最期は家族に見守られながらやすらかに死去された真屋順子さん。
ご冥福をお祈りしながら生前の活躍を振り返ってみましょう。
2017年12月28日に死去された真屋順子さん。
2000年に脳出血で倒れ、左半身が麻痺していたといいます。
2000年12月23日、音楽番組の司会をされたいた真屋順子さんですが、開演の挨拶をして下がろうとした時に左足に何の感覚もないことに気づいて転倒されました。原因は「脳出血」。一命はとりとめたものの、左半身に麻痺が残る生活になったそうです。
そして2004年には、4月の朝、様子がおかしいことに気づいた真屋順子さんが長男の健一郎さんに病院へ連れて行かれると、脳梗塞であることが判明します。
また、2010年には夫の高津住男さんを亡くされており、真屋順子さんも2011年には大動脈瘤が見つかるなど、長い間、寝たきりで病と闘い続けていらっしゃいました。
悲しいことに死去された真屋順子さんですが、2000年12月23日に倒れ、3カ月入院した後はリハビリをがんばったといいます。
そして、2002年3月からは詩や小説、虚曲の朗読や司会、講演会で復帰されたという真屋順子さん。
死去される前とても努力した、根性のある女優さんです。
真屋順子さんの最期を看取った長男の健一郎さんは、「17年間の闘病生活の荷を降ろし、夢をみているような、静かで、とても穏やかな最期であった」と死去されたときのことを話されています。
長い闘病生活の後、死去された真屋順子さん。
闘病を続けながら、左半身が麻痺した状態であっても舞台に復帰したといいます。
そんな母親の姿を、健一郎さんは、「ありのまま」を見せることが女優として感謝をするための信念であると感じたといいます。
「信念を貫いた生涯」。
健一郎さんは死去されるまでの真屋順子さんの姿をそう語っています。
2017年12月28日に死去された真屋順子さんですが、その代表作といえばやっぱり『欽ちゃんのどこまでやるの?!』ですね。
当時、『赤い絆』というドラマで主演の山口百恵さんのライバル役を演じ、演技が上手いがゆえに視聴者からの反感を買った真屋順子さんでしたが、萩本欽一さんからのアドバイスで、ドラマが終了したら『欽ちゃんのどこまでやるの!?』のウエイトを多くするように勧められました。
真屋順子さんを「ならば、日本一のいいお母さんにしてあげよう!」と考えた萩本欽一さん。
『欽ちゃんのどこまでやるの!?』に出演した真屋順子さんは、萩本欽一さんの言うとおり、日本一たくさんの人に愛されている女優さんになりました。
2017年12月28日に死去された真屋順子さん。今も、あの笑顔の素敵な「お母さん」の姿を思い出す人も多いことでしょう。
死去された後も、あの笑顔は永遠にファンの方の心に焼きついています。
「日本のお母さん」であった真屋順子さん。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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