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2023/12/28
大今里
1981年に伝説のオーディション番組「スター誕生」で山口百恵さんの「夢先案内人」を歌って合格し歌手デビューを果たした中森明菜さん。
番組史上最高得点の392点だったといいます!
そんな中森明菜さんのデビュー当時の
キャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」でした。
エッチというのはどこか大人びているという意味を指していたものだと思われます。
それだけ、十代とは思えない風格を感じさせるアイドル歌手だったことが
伺えますね。
デビュー曲は「スローモーション」。
当時の80年代女性アイドルはハツラツとした明るい曲が多かった中
しっとりとしたこの曲は中森明菜さんのイメージにぴったり
たちまち人気アイドルになりました。
たちまちトップアイドルの座に躍り出た
中森明菜さんですが、紅白歌合戦出場は意外にも
2年後の1983年、6枚目のシングル「禁区」での初出場でした。
「禁区」の作詞は売野雅勇さん
作曲は細野晴臣さんでした。
細野晴臣さんは坂本竜一さん、高橋幸宏さんとの
テクノユニット「YMO」で有名ですね。
売野雅勇さんはチェッカーズの曲を数多く作詞されました。
前年の紅白歌合戦出場に続き9枚目のシングル「十戒」で出場した
中森明菜さん。
ベストテンやトップテンでも1位を獲りまくっていて
押しも押されぬスーパーアイドルでした。
作詞は売野雅勇さん
作曲は高中正義でした。
紅白歌合戦3回目の出場となった中森明菜さんの
「ミ・アモーレ」はラテン系の楽曲でした。
今となっては明菜さんと言えばラテン系の曲!を連想する方も
多いかもしれませんが、アイドル歌手としては珍しいものでした。
作詞は康珍化さん
作曲は松岡直也でした。
中森明菜さんの人気も絶頂期でしたね。
中森明菜さん紅白歌合戦4回目の出場で歌ったのは
「DESIRE-情熱-」、14枚目のシングルでした。
中森明菜さんがデビューを果たすきっかけとなった
「スター誕生」で歌った曲が山口百恵さんの「夢先案内人」でしたが
中森明菜さん自身、山口百恵さんの大ファン。
この「DESIRE」は山口百恵さんの楽曲の詞を数多く手掛けた
阿木耀子さんが担当し話題となりました。
また、中森明菜さんのこれまでのイメージとガラリと変わった
髪型と和風のファッションが大きな話題を呼びました。
作曲は鈴木キサブローさんが手がけています。
中森明菜さん紅白歌合戦5回目の出場曲は
20枚目のシングル「難破船」でした。
「難破船」は1984年に加藤登紀子さんがリリースした曲でしたが
中森明菜さんに歌って欲しいと願い提供されたものです。
中森明菜さんが歌っている間は
加藤登紀子さんは自身で歌うのを封印するほど
明菜さんに託す思いは強かったようで。
中森明菜さん紅白歌合戦6回目の出場となった曲は
元BLANKEY JET CITYの浅井健一さんが活動していたグループ
SHERBETのメンバーであった福士久美子さんが
「QUMICO FUCCI」名義で手がけた23枚目のシングルでした。
歌詞の内容、曲の雰囲気も
当時の明菜さんとオーバーラップするものがありました。
中森明菜=孤独なヒロイン、そんなイメージが色濃く出ています。
紅白歌合戦連続出場がストップしてしまった中森明菜さんが
久しぶりに出場したのは2003年でした。
しかもこの時歌ったのは10枚目のシングル
「飾りじゃないのよ涙は」でした。
元々「紅白歌合戦」はその年にヒットした曲を歌うのが通例でしたが
この頃から変化が見られ始め、ヒット曲というよりも
話題の人、紅白歌合戦に出たら話題になるのでは?という
アーティストが出場するようになってきました。
作詞・作曲は井上陽水さんです。
2010年から2013年までの休業、
テレビ出演も長い間控えていた中森明菜さんが
久しぶりに紅白歌合戦に出るということで大きな話題を呼んだのが
2014年、特別枠での出場。
しかも中継での出演、レコーディングスタジオで
ヘッドホンを当てながら、まさにレコーディングをするように
歌う明菜さんの姿に感激したファンも多かったです。
この時歌われたのは49枚目のシングル「Rojo -Tierra-」
作詞は川江美奈子さん、Miran・Miranさん
作曲は浅倉大介さん という
これまでの雰囲気とは違った打ち込み系の曲でした。
最近では完全復活を果たしたと言われている中森明菜さんは
ディナーショーを開催しており往年のファンで大盛況。
また新たなる新曲で紅白歌合戦に登場して欲しいですね!!
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