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2023/12/28
大今里
今田耕司は大阪府大阪市出身で1966年3月13日 生まれのよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属です。
現在はMCで自身の番組を持つなど、世間的にはあまりもう印象が無くなっていますが、30年ほど前のデビュー当時から20年ほど前まではダウンタウンファミリーの印象が強く、「ダウンタウンのごっつええ感じ」の出演など、ダウンタウンとの共演が多くありました。
ボクらの時代に、今田耕司、板尾創路、木村祐一と出演した際には、当時を3人目のダウンタウンと勘違いしていたと語り、それくらい一緒にいることが多かったそうです。
そんな「ごっつええ感じ」に出演していた、ダウンタウンファミリーとも当初は交流が長く、ホンコンとはダブルホルモンズというコンビを組んでいたり、板尾とは同居していたり、また今でもですがWコウジとして、東野幸治とコンビではないですが、一緒に番組をすることも今田耕司は多くなっています。
その才能について、ダウンタウンの松本も「今田耕司と千原ジュニアは一生食うのに困らない」という内容を発言したこともあり、それだけ今田耕司の話術や俊敏性は業界内でも高い評価をされています。
M-1のMCを毎年していますが、あの生放送のMCを見事に回せるのは今田耕司しかいないと言われています。
日生学園第二高校は全寮制の高等学校として、1980年に三重県に開校し、現在は青山高等学校という名前になっています。
1990年代までスパルタ教育で有名でしたが、2000年以降は進学校として21世紀型グローバル全寮制教育モデルをコンセプトに、創造と自立をモットーに掲げた教育活動を行っています。
また、部活動にも力を入れており、野球部や放送部などが全国大会に出場したことがある文武両立を重んじる高校です。
お笑い界の大御所となった、ダウンタウン浜田雅功はこの日生学園第二高校の卒業生で、しかも副学寮長という、今田耕司がその地位におののくほど、すごい地位にいたそうです。
どんな時も動じず、大御所芸人として君臨する様は、この高校時代の経験があるからなのかもしれません。
他にも、元プロ野球ヤクルトスワローズの鮫島秀旗もこの高校の出身です。
バラエティー番組の水曜日のダウンタウンで、今田耕司が日生学園第二高校のすごさについて語っています。
なお、動画は「12分30秒くらいから18分30秒くらいまで」が日生学園第二高校について今田耕司が語っている部分になります。
そのすごさをまとめると、
①便器を素手で掃除
②校長先生から目線をそらすとペチペチ
③甘いものは外部の協力者から入手
④差し入れのケーキは山中で
また上下関係も厳しく、今では絶対にいけない体罰的なことも頻繁にあったそうです。
動画でもあるように、浜田雅功が当時について、
「1年生の時に6人部屋同部屋の一人が番長で、その番長のもとに女子寮からお菓子の大半が届けられる。それを日曜などに食べるのが楽しみだった」という話をしています。
普通では考えられない光景がその寮生活のすごさを物語っています。
浜田雅功の高校時代の教師がドッキリで番組に出演した際は、本当にびっくりしていて、本当に当時怖かったと語っています。
別の番組で、
相方のダウンタウン・松本人志が暴露したところによると、ダウンタウン・浜田雅功さんも一回寮から脱走をしているそうです。
寮から脱走したダウンタウン・浜田雅功から電話がかかってきた松本人志は鶴橋駅まで迎えにいき、浜田さんをうどん屋に連れて行ったそうです。
その時に熱々のうどんをひと啜りで浜田雅功は食べたということで、それだけ食事の制限など自由の効かない環境にいたんだとすごさを感じるエピソードでした。
この動画を見ると、浜田雅功や今田耕司が語っていることが本当に事実なんだと分かり、今田耕司が2度退学を考えて、一度は連れ戻されながらも結局退学を選んだというのも、今田耕司の気持ちを考えるとしょうがないと言えるくらいの環境なんだと感じます。
浜田雅功や今田耕司が通った、日生学園第二高校の当時の様子は、今だとかなりの社会問題になりかねないくらいのレベルの環境でしたが、当時はそういう学校も多かったのは時代の流れを感じます。
ただ、浜田雅功も今田耕司も今は当時を笑って話せているということは、お笑い芸人としては結果的にいい経験を持っているということなのかもしれません。
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