木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
黒柳徹子さんの髪型と言えば、玉ねぎヘアーですよね。
でも、どうしてその髪型になったのか知られていません。
黒柳徹子さんのこれまでの髪型や、プロフィール、そして黒柳徹子さんの交友関係までご紹介しちゃいますよ!
まずは、黒柳徹子さんの髪型特集からご覧いただきましょう。
テレビに50年以上出演してきた黒柳徹子さん
これまでの髪型を一気にご紹介します。
以外と知られていない髪型が、たくさん登場しますよ!?
黒柳徹子さんが、テレビ女優としてデビュー間もない頃の髪型です。
どこかあどけない印象が残る、可愛らしい髪型です。
玉ねぎヘアーが板についてしまっているため、ショートカットの黒柳徹子は見慣れないですね。
黒柳徹子さんが、30代半ばに一度だけやってみたという髪型です。
黒柳徹子にとって、ロングヘアの髪型は貴重でネットでも話題となりました。
しかし、この髪型は風が吹くと前が見えにくく、そのせいで車に引かれそうになった経験から、2度とロングヘアはやらなくなってしまったそうです。
黒柳徹子さんは、現在も舞台に出演しています。
この髪型は、舞台用の髪型です。
舞台に出演する時は、カツラを被ることが多いそうです。
舞台以外でも、雑誌の取材などではカツラを被ることがあるそうです。
アップにした髪型は、いつもの黒柳徹子さんの印象が変わりますね。
自他ともに認める、パンダ好きの黒柳徹子さんが、SNSで公開したパンダバージョンの髪型です。
アイメイクや鼻先も、パンダを意識しています。
2017年8月、秋を先どりした髪型を公開した黒柳徹子さん。
茶髪でボブの髪型は、ネットで話題となりました。
素敵な洋服と、丸いサングラスにも注目が集まりました。
1971年、黒柳徹子さんは38歳でアメリカ・ニューヨークへ旅立ちます。
現地の演劇学校に通い、ダンスと演技を学びました。
ひとり暮らしをする中で、洋服にも着物にも似合う髪型を見つけました。
それが、「玉ねぎヘアー」でした。
これ以降、黒柳徹子さんのトレードマークにもなりました。
黒柳徹子さんは、テレビや雑誌の取材で玉ねぎヘアーの作り方について、話してきていません。
しかし、動画サイトではその玉ねぎヘアーの作り方を紹介していたので、ここでご紹介しちゃいます!
【名前】 黒柳徹子(クロヤナギ テツコ)
【愛称】 トットちゃん
チャック
【生年月日】 1933年8月9日(84歳)
【出身地】 東京都東京市赤坂区(現:東京都港区乃木坂)
【血液型】 A型
【所属事務所】 吉田名保美事務所
父親は、日本を代表するヴァイオリニスト、母親は北海道の名医の家に生まれました。2人は親の反対を押し切り結婚、後に黒柳徹子さんが誕生しました。
中学校時代、黒柳徹子さんは大のお喋り好きでした。
あまりにもうるさいため、「口にチャックしろ」と言われ、そこから「チャック」という愛称が生まれました。
1953年(昭和28年)、テレビ放送開始にともないテレビ女優第1号として、日本放送協会(通称:NHK)に入局しました。
また、ラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』にも出演、お茶の間の人気者へと駆けあがっていきます。
その後、音楽番組の司会や、クイズ・トーク番組にも出演していきます。
1976年「徹子の部屋」の放送が開始されました。録画放送でありながら、編集は一切しない番組としても有名ですが、これは、黒柳徹子さんが番組スタッフに、出演する条件でした。
「徹子の部屋」の司会を42年担当していますが、この記録は「同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持」のギネス記録に認定されており、現在も記録更新中です。
自他ともに認める、パンダ好きの黒柳徹子さん
きっかけは、叔父がアメリカからのおみやげに、パンダのぬいぐるみをくれたことで、パンダを研究、大好きになったそうです。
現在は、日本パンダ保護協会名誉会長として、パンダの保護活動にも貢献しています。
テレビに出演して65年が経つ黒柳徹子さん
その交友関係が広いことでも有名です。NHKの女優として、活動していた頃からの仲や、歌番組やトーク・バラエティ番組で共演したことがきっかけで、仲良くなったりしたそうです。
ここからは、黒柳徹子さんの交友がある有名人5人をご紹介します。
【名前】 向田邦子(ムコウダ クニコ)
【生年月日】 1929年11月28日
【没年月日】 1981年8月22日(51歳没)
【出身地】 東京府荏原郡
【代表作】
・小説『花の名前』、『かわうそ』、『犬小屋』
※直木賞受賞
・寺内貫太郎一家(1974年)
・阿修羅のごとく(1979年)
・あ・うん(1980年)
テレビドラマ脚本家・エッセイスト・小説家として活躍した向田邦子さん。
黒柳徹子さんと向田邦子さんの出会いは、ラジオドラマでした。
女性目線の新たな脚本を書く向田邦子さんと、決まりごとが多いテレビの世界でも、自由に生きる黒柳徹子さんは、すぐに意気投合します。
黒柳徹子さんは、仕事の合間を縫って向田邦子さんの自宅へ行き、お茶をしたりお菓子を食べたりするなど、ゆったりと過ごしたそうです。
1981年、向田邦子さんは取材旅行で台湾へ赴きますが、行きの飛行機が墜落し、帰らぬ人となってしまいます。
向田邦子さんと黒柳徹子さんの交友関係は、突然切られてしまいました。
【名前】 渥美清(アツミ キヨシ)
【本名】 田所康雄(タドコロ ヤスオ)
【生年月日】 1928年3月10日
【没年月日】 1996年8月4日(68歳没)
【出身地】 東京都台東区
【身長】 173㎝
【血液型】 B型
【主な出演作】
・映画『男はつらいよシリーズ』(1969年-1995年、1997年 全49作)
・映画『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)
・映画『学校』(1993年)
コメディアン・俳優として活躍した渥美清さん。
渥美清さんと黒柳徹子さんは、NHKの番組で知り合いました。
5歳年上の渥美清さんは、黒柳徹子さんのことを「お嬢さん」と呼び、また黒柳徹子さんは「お兄ちゃん」と呼び合う仲でした。
2人の仲の良さは有名となり、当時の週刊誌に熱愛報道が出るほどでした。
1991年、肝臓がんが見つかった渥美清さんですが、黒柳徹子さんには伝えず、闘病生活を送りました。
渥美清さんの異変に気付いた黒柳徹子さんですが、決して病気のことは話さなかったそうです。
渥美清さんは1996年、転移性肺がんでこの世を去りました。
没後、渥美清さんは国民栄誉賞を受賞しました。
【名前】 野際陽子(ノギワ ヨウコ)
【生年月日】 1936年1月24日
【没年月日】 2017年6月13日(81歳没)
【出身地】 石川県河北郡
【身長】 163㎝
【血液型】 A型
【所属事務所】 ラヴァンス
【主な出演作】
・キイハンター(1968年-1973年)
・必殺仕事人シリーズ(1985年、2007年-2016年)
・TRICKシリーズ(2000年-2003年、2005年、2010年、2014年)
テレビドラマ脚本家・エッセイスト・小説家として活躍した向田邦子さん。
黒柳徹子さんと向田邦子さんの出会いは、ラジオドラマでした。
女性目線の新たな脚本を書く向田邦子さんと、決まりごとが多いテレビの世界でも、自由に生きる黒柳徹子さんは、すぐに意気投合します。
黒柳徹子さんは、仕事の合間を縫って向田邦子さんの自宅へ行き、お茶をしたりお菓子を食べたりするなど、ゆったりと過ごしたそうです。
1981年、向田邦子さんは取材旅行で台湾へ赴きますが、行きの飛行機が墜落し、帰らぬ人となってしまいます。
向田邦子さんと黒柳徹子さんの交友関係は、突然切られてしまいました。
【名前】 森繫久彌(モリシゲ ヒサヤ)
【生年月日】 1913年5月4日
【没年月日】 2009年11月10日(96歳没)
【出身地】 大阪府枚方市
【身長】 171㎝
【主な出演作】
・映画『次郎長三国志シリーズ』(1953年-1954年)
・映画『社長シリーズ』(1956年-1970年)
・映画『駅前シリーズ』(1958年-1969年)
・映画『男はつらいよ 純情篇』(1971年)
歌手・俳優・コメディアンとして、昭和の映画やテレビドラマを支えた森繁久彌さん。
まだ女優として駆け出しだった黒柳徹子さんと、演劇界の大物として君臨していた森繁久彌さんの出会いは、NHKの番組でした。
女性に目がない森繁久彌さんは、黒柳徹子さんと会うたびに「1回どう?」と口説いたそうです。
黒柳徹子さんは、「また今後ね」と毎回上手くかわしていました。
「徹子の部屋」の第1回のゲストは、森繁久彌さんが出演するなど、親密な間柄だったそうです。
1991年、文化勲章を受賞します。大衆芸能分野では、初めての受賞でした。
2009年、森繁久彌さんは老衰で亡くなりました。
【名前】 タモリ
【本名】 森田一義(モリタ カズヨシ)
【生年月日】 1945年8月22日(72歳)
【出身地】 福岡県福岡市
【身長】 161㎝
【血液型】 O型
【所属事務所】 TANABE AGENCY.Co.Ltd.
【主な出演作】
・ラジオ『タモリのオールナイトニッポン』
・笑っていいとも!
・タモリのボキャブラ天国
・トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜
・タモリ倶楽部
・ブラタモリ
コメディアン・タレントとして活躍しているタモリさん。
タモリさんと黒柳徹子さんの出会いは、生放送番組でした。
同番組内でタモリさん演じる牧師を見て、黒柳徹子さんは「今の人、誰? すごいじゃない」と番組スタッフに連絡、その後「徹子の部屋」にタモリさんが出演しました。
「徹子の部屋」に出演したことがきっかけで、タモリさんは一躍人気タレントとして活躍していきいます。
2013年まで、年末最後に放送する「徹子の部屋」のゲストは、タモリさんが出演するのが恒例でした。
黒柳徹子さんの髪型や、トレードマークである玉ねぎヘアーの作り方などをご紹介してきました。
テレビ放送が始まってから現在まで、第一線で活躍し続ける黒柳徹子さんですが、その活躍とともに髪型も変わっていったことが分かりましたね。
今後、どんな髪型を披露してくれるのかにも期待したいです。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局