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黒柳徹子さんの髪型は、玉ねぎヘアーだけじゃなかったって本当!?

女優・タレントとして、マルチに活躍する黒柳徹子さん。トレードマークである「玉ねぎヘアー」の髪型ですが、過去や現在までにさまざまな髪型に挑戦していることは、あまり知られていません。今回は、黒柳徹子さんの髪型や、その作り方をご紹介します。

黒柳徹子さんの髪型を大解剖!

黒柳徹子さんの髪型と言えば、玉ねぎヘアーですよね。
でも、どうしてその髪型になったのか知られていません。

黒柳徹子さんのこれまでの髪型や、プロフィール、そして黒柳徹子さんの交友関係までご紹介しちゃいますよ!
まずは、黒柳徹子さんの髪型特集からご覧いただきましょう。

黒柳徹子さんの髪型《画像集》

テレビに50年以上出演してきた黒柳徹子さん

これまでの髪型を一気にご紹介します。
以外と知られていない髪型が、たくさん登場しますよ!?

若いときの黒柳徹子さんの髪型

黒柳徹子さんが、テレビ女優としてデビュー間もない頃の髪型です。
どこかあどけない印象が残る、可愛らしい髪型です。

玉ねぎヘアーが板についてしまっているため、ショートカットの黒柳徹子は見慣れないですね。

黒柳徹子さんの超貴重なロングヘアの髪型

黒柳徹子さんが、30代半ばに一度だけやってみたという髪型です。

黒柳徹子にとって、ロングヘアの髪型は貴重でネットでも話題となりました。

しかし、この髪型は風が吹くと前が見えにくく、そのせいで車に引かれそうになった経験から、2度とロングヘアはやらなくなってしまったそうです。

舞台用の髪型

黒柳徹子さんは、現在も舞台に出演しています。

この髪型は、舞台用の髪型です。
舞台に出演する時は、カツラを被ることが多いそうです。

髪型アップな黒柳徹子さん

舞台以外でも、雑誌の取材などではカツラを被ることがあるそうです。

アップにした髪型は、いつもの黒柳徹子さんの印象が変わりますね。

パンダヘアーで喜び全開

自他ともに認める、パンダ好きの黒柳徹子さんが、SNSで公開したパンダバージョンの髪型です。

アイメイクや鼻先も、パンダを意識しています。

黒柳徹子さんInstagramでボブ髪型を披露

2017年8月、秋を先どりした髪型を公開した黒柳徹子さん。

茶髪でボブの髪型は、ネットで話題となりました。
素敵な洋服と、丸いサングラスにも注目が集まりました。

黒柳徹子さんの髪型『玉ねぎヘアー』誕生秘話

1971年、黒柳徹子さんは38歳でアメリカ・ニューヨークへ旅立ちます。

現地の演劇学校に通い、ダンスと演技を学びました。
ひとり暮らしをする中で、洋服にも着物にも似合う髪型を見つけました。

それが、「玉ねぎヘアー」でした。
これ以降、黒柳徹子さんのトレードマークにもなりました。

黒柳徹子さんの髪型『玉ねぎヘアー』の作り方

黒柳徹子さんは、テレビや雑誌の取材で玉ねぎヘアーの作り方について、話してきていません。

しかし、動画サイトではその玉ねぎヘアーの作り方を紹介していたので、ここでご紹介しちゃいます!

黒柳徹子さんプロフィール

【名前】    黒柳徹子(クロヤナギ テツコ)
【愛称】    トットちゃん
        チャック
【生年月日】  1933年8月9日(84歳)
【出身地】   東京都東京市赤坂区(現:東京都港区乃木坂)
【血液型】   A型  
【所属事務所】 吉田名保美事務所

父親は、日本を代表するヴァイオリニスト、母親は北海道の名医の家に生まれました。2人は親の反対を押し切り結婚、後に黒柳徹子さんが誕生しました。

中学校時代、黒柳徹子さんは大のお喋り好きでした。
あまりにもうるさいため、「口にチャックしろ」と言われ、そこから「チャック」という愛称が生まれました。

1953年(昭和28年)、テレビ放送開始にともないテレビ女優第1号として、日本放送協会(通称:NHK)に入局しました。
また、ラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』にも出演、お茶の間の人気者へと駆けあがっていきます。


その後、音楽番組の司会や、クイズ・トーク番組にも出演していきます。
1976年「徹子の部屋」の放送が開始されました。録画放送でありながら、編集は一切しない番組としても有名ですが、これは、黒柳徹子さんが番組スタッフに、出演する条件でした。

「徹子の部屋」の司会を42年担当していますが、この記録は「同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持」のギネス記録に認定されており、現在も記録更新中です。

誰よりもパンダを愛してる♡

自他ともに認める、パンダ好きの黒柳徹子さん

きっかけは、叔父がアメリカからのおみやげに、パンダのぬいぐるみをくれたことで、パンダを研究、大好きになったそうです。

現在は、日本パンダ保護協会名誉会長として、パンダの保護活動にも貢献しています。

黒柳徹子さんの交友関係

テレビに出演して65年が経つ黒柳徹子さん

その交友関係が広いことでも有名です。NHKの女優として、活動していた頃からの仲や、歌番組やトーク・バラエティ番組で共演したことがきっかけで、仲良くなったりしたそうです。

ここからは、黒柳徹子さんの交友がある有名人5人をご紹介します。

黒柳徹子さんの交友関係①【向田邦子】

【名前】   向田邦子(ムコウダ クニコ)
【生年月日】 1929年11月28日
【没年月日】 1981年8月22日(51歳没)
【出身地】  東京府荏原郡

【代表作】
・小説『花の名前』、『かわうそ』、『犬小屋』
 ※直木賞受賞
・寺内貫太郎一家(1974年)
・阿修羅のごとく(1979年)
・あ・うん(1980年)

テレビドラマ脚本家・エッセイスト・小説家として活躍した向田邦子さん。

黒柳徹子さんと向田邦子さんの出会いは、ラジオドラマでした。
女性目線の新たな脚本を書く向田邦子さんと、決まりごとが多いテレビの世界でも、自由に生きる黒柳徹子さんは、すぐに意気投合します。

黒柳徹子さんは、仕事の合間を縫って向田邦子さんの自宅へ行き、お茶をしたりお菓子を食べたりするなど、ゆったりと過ごしたそうです。


1981年、向田邦子さんは取材旅行で台湾へ赴きますが、行きの飛行機が墜落し、帰らぬ人となってしまいます。

向田邦子さんと黒柳徹子さんの交友関係は、突然切られてしまいました。

黒柳徹子さんの交友関係②【渥美清】

【名前】    渥美清(アツミ キヨシ)
【本名】    田所康雄(タドコロ ヤスオ)
【生年月日】  1928年3月10日
【没年月日】  1996年8月4日(68歳没)
【出身地】   東京都台東区
【身長】    173㎝
【血液型】   B型

【主な出演作】 
・映画『男はつらいよシリーズ』(1969年-1995年、1997年 全49作)
・映画『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)
・映画『学校』(1993年)

コメディアン・俳優として活躍した渥美清さん。

渥美清さんと黒柳徹子さんは、NHKの番組で知り合いました。
5歳年上の渥美清さんは、黒柳徹子さんのことを「お嬢さん」と呼び、また黒柳徹子さんは「お兄ちゃん」と呼び合う仲でした。
2人の仲の良さは有名となり、当時の週刊誌に熱愛報道が出るほどでした。


1991年、肝臓がんが見つかった渥美清さんですが、黒柳徹子さんには伝えず、闘病生活を送りました。
渥美清さんの異変に気付いた黒柳徹子さんですが、決して病気のことは話さなかったそうです。

渥美清さんは1996年、転移性肺がんでこの世を去りました。
没後、渥美清さんは国民栄誉賞を受賞しました。

黒柳徹子さんの交友関係③【野際陽子】

【名前】    野際陽子(ノギワ ヨウコ)
【生年月日】  1936年1月24日
【没年月日】  2017年6月13日(81歳没)
【出身地】   石川県河北郡
【身長】    163㎝
【血液型】   A型
【所属事務所】 ラヴァンス

【主な出演作】
・キイハンター(1968年-1973年)
・必殺仕事人シリーズ(1985年、2007年-2016年)
・TRICKシリーズ(2000年-2003年、2005年、2010年、2014年)


テレビドラマ脚本家・エッセイスト・小説家として活躍した向田邦子さん。

黒柳徹子さんと向田邦子さんの出会いは、ラジオドラマでした。
女性目線の新たな脚本を書く向田邦子さんと、決まりごとが多いテレビの世界でも、自由に生きる黒柳徹子さんは、すぐに意気投合します。

黒柳徹子さんは、仕事の合間を縫って向田邦子さんの自宅へ行き、お茶をしたりお菓子を食べたりするなど、ゆったりと過ごしたそうです。


1981年、向田邦子さんは取材旅行で台湾へ赴きますが、行きの飛行機が墜落し、帰らぬ人となってしまいます。

向田邦子さんと黒柳徹子さんの交友関係は、突然切られてしまいました。

黒柳徹子さんの交友関係④【森繫久彌】

【名前】   森繫久彌(モリシゲ ヒサヤ)
【生年月日】 1913年5月4日
【没年月日】 2009年11月10日(96歳没)
【出身地】  大阪府枚方市
【身長】   171㎝

【主な出演作】
・映画『次郎長三国志シリーズ』(1953年-1954年)
・映画『社長シリーズ』(1956年-1970年)
・映画『駅前シリーズ』(1958年-1969年)
・映画『男はつらいよ 純情篇』(1971年)


歌手・俳優・コメディアンとして、昭和の映画やテレビドラマを支えた森繁久彌さん。

まだ女優として駆け出しだった黒柳徹子さんと、演劇界の大物として君臨していた森繁久彌さんの出会いは、NHKの番組でした。

女性に目がない森繁久彌さんは、黒柳徹子さんと会うたびに「1回どう?」と口説いたそうです。
黒柳徹子さんは、「また今後ね」と毎回上手くかわしていました。

「徹子の部屋」の第1回のゲストは、森繁久彌さんが出演するなど、親密な間柄だったそうです。


1991年、文化勲章を受賞します。大衆芸能分野では、初めての受賞でした。
2009年、森繁久彌さんは老衰で亡くなりました。

黒柳徹子さんの交友関係⑤【タモリ】

【名前】    タモリ
【本名】    森田一義(モリタ カズヨシ)
【生年月日】  1945年8月22日(72歳)
【出身地】   福岡県福岡市
【身長】    161㎝
【血液型】   O型
【所属事務所】 TANABE AGENCY.Co.Ltd.

【主な出演作】
・ラジオ『タモリのオールナイトニッポン』
・笑っていいとも!
・タモリのボキャブラ天国
・トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜
・タモリ倶楽部
・ブラタモリ


コメディアン・タレントとして活躍しているタモリさん。

タモリさんと黒柳徹子さんの出会いは、生放送番組でした。
同番組内でタモリさん演じる牧師を見て、黒柳徹子さんは「今の人、誰? すごいじゃない」と番組スタッフに連絡、その後「徹子の部屋」にタモリさんが出演しました。

「徹子の部屋」に出演したことがきっかけで、タモリさんは一躍人気タレントとして活躍していきいます。
2013年まで、年末最後に放送する「徹子の部屋」のゲストは、タモリさんが出演するのが恒例でした。

時代と共に髪型も変化していた

黒柳徹子さんの髪型や、トレードマークである玉ねぎヘアーの作り方などをご紹介してきました。

テレビ放送が始まってから現在まで、第一線で活躍し続ける黒柳徹子さんですが、その活躍とともに髪型も変わっていったことが分かりましたね。

今後、どんな髪型を披露してくれるのかにも期待したいです。

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