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    リュークを通して見る、デスノートの各媒体におけるラストの印象

    正義感溢れる青年が拾ったデスノート。正しかった正義感はデスノートを介し、ラストでは歪になり果てます。しかし誰がどこで何を違えたのかという印象において、ラストを迎えると一概に同じとは思えなません。そこには死神リュークの言動が深く関わっているように感じるのです。

    デスノートのラストを左右する存在、リュークを考察する

    デスノートのラストはアニメ・原作・映画とどの媒体でも同じですが、リュークのセリフ1つで物語その物の印象がとても変わるのはご存知でしょうか?
    今回はそれぞれのセリフから物語の考察をしてみたいと思います!

    原作版デスノートのラストでのリュークのセリフ

    原作である漫画のラストでは

    「結構長い間互いの退屈しのぎになったじゃないか
    色々面白かったぜ」

    と、満足気なリューク。
    リュークの目的は死神界が退屈だったので、人間界で面白いことを探すことでした。
    本来死神のアイテムであるデスノートを人間界に落としたら人間はどう使うのか?
    リュークにとっては退屈しのぎの実験でしかなかったのです。

    デスノートを得て死神を味方につけ、自分は新世界の神となると確信していた月。
    しかしリュークから見た月が死神より死神らしい存在であったように、最終的に彼はただの殺人鬼でしかない。
    彼はリュークに遊ばれた傀儡でしかなかったと思わせるようなラストでした。

    アニメ版デスノートのラストでのリュークのセリフ※ネタバレ

    アニメ版もラストのセリフはあまり変わっていませんが、実際に視聴するとその違いが分かります。
    アニメ版ではオリジナル要素として、ラストにデスノートに出会った月とデスノートに出会わなかった月がすれ違うシーンがあります。
    この邂逅シーンで、リュークがデスノートを手に一人語りをします。

    「お前の負けだ、ライト。
    最初に言ったよな、お前が死んだ時、俺がお前の名前を俺のノート書くことになると。
    牢獄に入れられたんじゃいつ死ぬか分からない。待っているのも面倒だ。
    もうお前は終わりだ。ここで死ね。
    結構長い間互いの退屈しのぎになったじゃないか。
    色々面白かったぜ」

    文章だけで見るととても冷たい言葉ですが、実際のリュークの声はとても温かい声音で静かに語っています。
    デスノートを落とした自分と、拾った月。
    2人で過ごした時間は実際にとても楽しかったのだと思います。
    逮捕されてしまえば月はデスノートを使えなくなり、それこそ気が狂ってしまうでしょう。
    リュークはそんな惨めな月を見ていたくなかったのだと思います。

    お互い楽しかった内に終わらせようぜ。お前もその方がいいだろう?
    そんな雰囲気でした。
    そして
    「色々面白かったぜ」
    と言った後に、まるで名前を呼ぶかのように『夜神月』とノートに記すのです。
    それはあたかも、相棒に対する手向けの言葉のように。

    それによって、アニメ版はとても慈愛に満ちたラストという印象を受けました。

    実写映画版デスノートのラストでのリュークのセリフ※ネタバレ

    実写映画版ではラストの展開その物がガラリと変わっています。
    Lによりキラだと正体を暴かれた月は警察に追い詰められ、リュークにその場にいる全員の名前を書くよう命じます。
    リュークは「あいよ」とデスノートに名前を書き、言われた通り月にデスノートを見せます。そこには大きく『夜神月』と書かれていました。
    そして戦慄に包まれた雰囲気の中、リュークはあっけらかんと

    「残念だが、俺に頼るようじゃあ、お前も終わりだ」

    と言い放つのです。
    その場に居合わせた彼女である海砂や父親を含めた全員を殺せと叫んだ月。
    その切羽詰まった月を見てリュークは察したのです。
    『これ以上コイツといても面白いことは起こらないな』と。
    リュークが再びデスノートで遊ぶには現在の契約者が邪魔なので、契約を終了させるために月の名前を書いたのでした。

    ちなみにこの映画の大きな特徴としてニアとメロが登場せずLも死なないという点があります。
    後にキャラクターとして売れに売れたLのスピンオフ映画として、月に名前を書かれてから死ぬまでの物語が描かれますが、そこでニアは登場してもメロは出てきません。
    メロはどこにいったのか……。

    まとめ。ラストのリュークから見えてくる媒体別のメッセージ

    そもそも『デスノート』という作品は
    ”正義感が強くて頭の良い人間が、名前を書くだけで相手を殺せるデスノートを使ったらどうなるか”
    というテーマで作られている作品群です。

    そして、物語とそのラストは
    ”不完全な法でしか罪人を裁けないのなら、デスノートを使って法で裁かれない人間達を裁き、自分が真に罪人が存在しない新世界の神となろう”
    と崇高な思想を築き
    ”新世界の創造を邪魔してくる奴らは全員罪人だ”
    とただの人殺しに堕ち、ラストは自らがデスノートによって殺されると決まっています。

    にもかかわらず、ラストの印象は媒体によって実に様々です。
    原作である漫画は、調子に乗った天才が勘違いをして足元をすくわれるというラスト。
    アニメ版は、天才をこじらせて本当に自分が新世界の神だと信じてしまったけれど、デスノートさえ拾わなければ父親の後を追い、立派な警察庁刑事局局長になっていたかもしれないというラスト。
    そして映画版は、本当に最後まで正義を貫こうと尽力し、法だけでは正義は完遂できないと悟り、正義のためなら肉親も仲間も恋人も、そして自分すら犠牲にする道を選ぶ、純粋ゆえの狂気を描いたラストでした。

    そのラストに主人公以上に大きな影響を与えているのがリュークだと思います。
    彼は死神でありながら人間より人間臭く、そして人間の心理をとてもよく理解しています。
    その上で自分の欲望に忠実であり、先見の明もあり、とてもヒョウキンな性格です。
    きっと一番頭が良かったのはリュークなのだと思います。

    彼の豊かな表現を使って、各媒体は各々違ったメッセージを込めました。
    各キャラクターはそれぞれ派閥で分けられているのに対し、リュークだけは中立なので可動域が広かったのが理由だと考えています。

    視野が狭く、矛盾した行動を取り、それを正当化する。

    「人間って…面白!!…」

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