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スタイル抜群!元シンクロ代表青木愛の生い立ちから現在の活動まで

2008年北京五輪にて、シンクロの日本代表として出場した青木愛さん。ビューティーマーメイドと呼ばれるほどのスタイルと美貌が魅力的です。代表を務めた北京五輪ではシンクロのチーム種目で5位入賞を果たしました。そんな青木愛さんの生い立ちから現在の活動をまとめました。

元シンクロ代表・青木愛!プロフィール

元シンクロナイズドスイミング代表の青木愛さんは、1985年5月11日生まれの現在32歳です。
出身は京都府で、なんと0歳10ヶ月の頃からスイミングを始めたそうです。
ベビースイミングですね。
幼い頃から水に慣れさせることで水への恐怖がなくなるので、その後にスイミングが好きになるという子も多いそうです。

京都市立錦林小学校、京都市立岡崎中学校を卒業後は京都文京女子高等学校に進学し、大学はびわこ成蹊スポーツ大学に進みました。

8歳から始めたというシンクロにのめり込み、高校生の時にはあの井村コーチに師事します。
現在はシンクロは引退していますが、次の選手を育てるためにコーチをしたりスポーツコメンテーターとしてテレビ出演などもこなしています。
また、2014年にはデジタル写真集も発売し話題になりました。

身長が高いだけでなく手足も長くてとてもスタイルのいい青木愛さん。
男性だけでなく女性も憧れちゃいますね!

経歴がすごかった!青木愛のシンクロ歴

8歳でシンクロに出会い、メキメキと頭角を表して注目されるようになった青木愛さん。
もともとは、よく遊んでくれていたお姉さんの影響を受けて始めたそうです。
綺麗な水着と美しいメークを施して自由に水中で泳ぐ様子を見て憧れたと語っていましたよ。

そして小学校4年生の時に、国内大会のジュニア五輪で優勝を果たしました!
シンクロを続けた青木愛さんは、中学2年生の時に「シンクロの母」と呼ばれるあの井村コーチ率いる井村シンクロクラブに入ります。
井村コーチといえば、スパルタ指導で有名ですよね。
しかし、それだけ実力のあるコーチです。
井村コーチの指導の元、青木愛さんはシンクロの選手として育っていったんですね。

そんな青木愛さんですが、2005年に世界選手権の代表に選ばれます。
しかし、怪我をしてしまったことが原因で出場の機会を逃してしまいました。

翌年の2006年にはワールドカップに代表として出場しました。
この時には銀メダルを獲得しています。
ちなみに、2005年に怪我をしてしまった時には井村コーチがつきっきりでリハビリをしてくれたんだとか。
そのおかげもあったのか、銀メダル獲得という功績を残しました。

青木愛さんは身長が173cmもあり、シンクロの選手としては恵まれた体格です。
しかし、不運が重なって出場機会に恵まれなかった時期があり、「未完の大器」と呼ばれるようにまでなってしまったそうです。

幼い頃からシンクロをやっていた青木愛さんにとっては、とても苦しい時代だったのではないでしょうか。

ついに五輪に出場!代表を務めた青木愛さん

2006年にワールドカップで銀メダルを獲得するも、翌年の世界選手権では補欠に回りました。
またしても出場の機会を得られず、きっと悔しかったでしょう。
しかし、半年後の北京五輪の出場選考では見事に7位での入賞を果たしました。
この当時、青木愛さんは21歳でした。
最年少での北京五輪出場ということもあり、大きな話題になりましたね。

北京五輪では、結果こそ5位ということでメダルはもらえませんでしたが、シンクロの代表として素晴らしい演技を見せてくれました。

諦めることなく努力を続けてきた結果ですね。

突然の引退!青木愛のシンクロはもう見られない?

北京五輪に出場した当時の青木愛さんの年齢は23歳でした。
次回のロンドン五輪に出場する頃には27歳になるということで、周囲の期待も大きかったのですが、青木愛さんは引退を決めました。

理由は2つあったそうです。
一つは、北京五輪の出場を終えて目指す先輩がいなくなったということ。
そしてもう一つは、お母様の看病をしたいからということでした。

実は青木愛さんのお母様は癌を患っており、あまり先が長くないと言われていたそうなのです。
時期的には北京五輪と重なる時だったようで、お母様の最後を看取りたいということで、青木愛さんは引退の道を選びました。

引退後、スポーツコメンテーターとしてテレビでも活躍していたのは、病室でその姿をお母様に見せたいと思ったからだそうです。
実は、青木愛さんがテレビに出ているのをお母様はとても喜んでいたそうなのです。

「先輩の背中を見てそれを目標にしながらやってきてたので性格的にも目指す先輩がいないと頑張れないなっていうのがあった。その先輩達が(北京五輪後)いなくなって自分は続けれるのかなって考えたときに、違うな、無理かなって」。

番組カメラにこう語った青木は、もう1つの引退理由を「正直なとこ、うちのお母さんがずっと体調悪かった。先も長くなかったのでというのとダブルで」と切り出した。

出典:http://news.livedoor.com

シンクロの楽しさを広めたい!コーチとして活躍する青木愛さん

惜しまれながらも北京五輪後に引退した青木愛さん。
現在は、京都踏水会というスイミングスクールでコーチとして活動しているそうです。
小学生から中学生までの子供達に指導をしています。

青木愛さん本人が今後シンクロの選手として活動することはなさそうですが、シンクロの楽しさを多くの人に伝えるために活動を行なっていくそうです。

2020年には東京でオリンピックが開催されますね。
スポーツコメンテーターとして、青木愛さんが活躍されるかもしれません。
楽しみです!

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