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昔のビートたけしの経歴が凄すぎる!生還した男の半生を見てみた!

世界の北野と言われるまでの、昔のビートたけしの人生を振り返ってみました。いろんなことを吸収しながら、段々変化していく様は凄いですね。昔のビートたけしは無謀な部分が見えましたが、死にかけた事故が、自分を変える大きなキッカケになったようにも感じます。

昔は「ツービート」のビートたけし

今では芸能界の大御所であり、映画監督でもあるビートたけしですが、彼もかつては、売れない芸人の一人でした。「ツービート」はビートたけしとビートきよしが組んでいるコンビ名です。

もとは二人でコンビを組んでやっていた芸人でした。東京の下町に生まれたビートたけしは、戦後間もない頃に生まれています。日本自体がまだ戦後復興の最中で、みんな貧乏でした。

その時代の日本は貧乏ではありましたが、今より法律も厳しくなく、意外と自由な国でした。大学を中退して芸人の道を選んだビートたけしですが、最初は売れずにストリップ劇場などでバイトをしたりしていたそうです。

お笑いブーム到来!ビートたけしが昔のお茶の間に現れる!

昭和80年代、お笑いブームが起こります。このブームは凄かったですね。TVのチャンネルを回しても、どこもかしこもお笑い芸人が出ていない時間帯がない程でした。ビートたけしのツービートも、その波に完全に乗っていましたね。

お笑いブームが無かったら、今のビートたけしはいなかったかもしれません。昔のTVの力は大きく、あっという間にビートたけしは売れっ子スターになっていました。昔は茶の間の主役はTVでしたからね。

昔のお笑いは何でもあり!ビートたけしの本領発揮

とにかく、ビートたけしの人気は飛ぶ鳥が落ちるほどの凄まじさがありました。たけしを起用した番組はことごとく大当たりしていったのです。代表格には「たけし風雲上」なんて言いうのもありました。

土曜日の夜8時といえば、子供たちに大人気のドリフターズがやっていた「8時だよ!全員集合」が視聴率50%を超える大人気番組でした。これを超える番組を作ることは困難を極めていました。

そこへお笑いブームの波を使い、芸人を集めて作ったバラエティーが「オレたちひょうきん族」だったのです。これには昔の若手だった明石家さんまや島田紳助、片岡鶴太郎なども出演していました。もちろん、ビートたけしもです。

昔の人気番組の頂点に!ビートたけしの「タケちゃんマン」

オレたしひょうきん族の人気はうなぎのぼり。とうとう、「8時だよ!全員集合」を脅かす存在にまでなりました。その番組の中の「タケちゃんマン」の人気により、ビートたけしはコンビにもかかわらず一人で人気がでてしまいます。

お笑い「ツービート」のビートたけしではなく、一人のビートたけしに成りつつありました。歌も出す、ビデオも出す、昔は芸人がレコードを出すなんてほとんどありませんでした。お笑いブームがきっかけだったように思います。

昔のビートたけしはやりたい放題

昔のTV場組は、あまり今のような規制が厳しくなかったことから、芸人はやりたいことをそのまま番組に反映していたりしていました。ビートたけしもその点のびのびとやっていましたね。

お笑いブームも下火になる頃でも、ビートたけしの人気は不動のものでした。たけし軍団なるものを作ったりしていましたからね。その中には、あの「東国原英夫」そのまんま東もいました。昔の番組は危険すれすれのこともしていました。

風雲たけし城は、たけしとたけし軍団が出ていましたが、爆弾でドカンドカンさせていました。今なら、苦情が来て即、番組側謝罪!番組炎上!なんてなりそうです。間もなく、ビートたけしと映画の出会いが待っています。

昔のビートたけしの初映画出演は大成功!

たけしの初映画は「戦場のメリークリスマス」です。故大島渚監督による、日本、英国、オーストラリア、ニュージーランド合作作品です。故デヴィッド・ボウイと坂本龍一も出ていました。二人とも昔は若くて女性に大人気でした。

そこへビートたけしを起用した大島監督ですが、これは当たりましたね。軍曹の役で主演ではありませんが、ビートたけしの演じたハラ軍曹は、味がありましたね。たけし演じるハラ軍曹のドアップ画像は強烈に印象に残ります。昔の映画ですが、今見ても違和感なく見れる作品です。

ここが、ビートたけしの映画監督になるきっかけになった作品ではないでしょうか。俳優の役もやりながら、自分で映画を作る道へ進んでいきます。

昔のビートたけし襲撃事件!

1986年12月9日未明、ビートたけしはたけし軍団とともに、とんでもない事件を起こします。「フライデー襲撃事件」です。当時のたけしの人気もありましたが、女性関係も派手でした。それをよく週刊誌が盗撮して週刊誌に掲載していたのです。

今も変わりませんが、その時、芸能人のプライバシーをよくすっぱ抜いていたのが「フライデー」という雑誌でした。そこをビートたけしとたけし軍団12名が襲撃してしまったんですね。

結局、たけしは懲役六ヶ月、執行猶予2年の判決を受けています。TVにも執行猶予中を入れて、八ヶ月の謹慎処分を受けました。このようなことをするほど、昔のビートたけしはやんちゃだったのです。

昔のビートたけし、バイク事故で重体!!

1994年8月2日、ビートたけしは原付バイクで自損事故を起こしました。けがの具合はかなりの重傷で、右側頭部頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、右頬骨複雑骨折で面会謝絶時様態でした。よく生きていたというほどの重傷です。

酒気帯び運転による運転ミスでしたが、運ばれた当初、意識不明の状態で、生死の境を彷徨っていました。現在のビートたけしの顔が、昔と違うのは、その時のケガの後遺症によるものです。昔の事故前の画像と現在の画像を比べると判ると思いますよ。

昔より丸くなったビートたけし

若い頃はみんな無謀なことをしやすいですが、さすがに年齢を重ねてくるとおとなしくなるものです。ビートたけしも最近は、孫の話をするなど、落ち着いてきていますね。散々浮気三昧のビートたけしでしたが、奥さんは離婚しませんでしたね。

昔の女性は強いです。今では、世界的にも有名な映画監督「北野たけし」ですからね。すごい変わりようですが、今でも着ぐるみ着てコントしてますからね。芸人、ビートたけしは健在です。

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