木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
今回注目するのは、2012年にグループを卒業するまで「絶対的エース」「不動のエース」と言われる存在であった、元akb48の前田敦子さんです。
卒業後は演技の仕事を中心に活動している前田敦子さんの「これまでとこれから」に迫っていきたいと思います!
akb48時代の前田敦子さん
ほとんどの曲でセンターを務めていました。
前田敦子さんは、1991年7月10日に千葉県市川市で生まれます。
akb48に入る前の前田敦子さんは一般の中学生の女の子であり、中学時代の同級生に同じく元akb48の仲谷明香さんがいたそうです。
そして、中学2年生だった2005年にakb48のオープニングメンバーオーディションに応募し合格。芸能界に入ることになりました。
akb48のオープニングメンバーオーディションに合格して、芸能界デビューすることになった前田敦子さん。
オーディションで審査にあたったコレオグラファー・夏まゆみさんは、ダンス課題の練習に没頭する前田さんの集中力を見て合格を決めたということです。
そして2005年12月8日、オープニングメンバー候補生の一員として劇場のグランドオープンの舞台に立ちました。
翌年の2006年2月1日には「桜の花びらたち」でインディーズデビュー。
10月25日には「会いたかった」でメジャーデビューを果たします。
しかし今のakb48からは想像できないことですが、初めて劇場公演を行ったオープニングの日の来場者は7名であったということです。
メジャーデビュー曲「会いたかった」のライブ映像
元akb48・大島優子さん
akb48の第1期メンバーとしてデビューした前田敦子さん。
2007年には「あしたの私のつくり方」で映画デビュー。
その年の10月期に放送された「スワンの馬鹿!~こづかい3万円の恋~」でドラマデビューを果たし、女優としての活動も開始します。
元々憧れの人として、女優・柴咲コウさんの名前を挙げている前田敦子さん。
akb48のオープニングメンバーオーディションの際に歌った曲も柴咲さんの「Glitter」だったそうです。
女優としてもakb48のメンバーとしても活躍の場を着実に広げた前田敦子さん。
2009年からはakb48の中でファンの投票によって順位が決まる総選挙が開始されると、開始された年の1位に輝いたのは前田敦子さんでした。
それ以降、毎年の恒例イベントとなりテレビ中継もされるようになったakb48の総選挙。
前田敦子さんが1位に輝いた2009年の総選挙でしたが、翌年2010年の総選挙で1位となったのは前田さんと同じく人気メンバーの1人であった大島優子さんでした。
しかし再び2011年の総選挙では1位に返り咲いた前田さん。
前田さんが最後に参加した2011年の総選挙まで、大島さんと前田さんのどちらが1位に輝くのか、はたまた新たな1位のメンバーが出現するのか、注目されていましたよね。
akb48での人気を不動のものとした前田敦子さん。
2012年3月25日、さいたまスーパーアリーナでの3日目公演のアンコールにおいてakb48から卒業することを発表しました。
またそれに伴い、4月4日に2012年の総選挙には参加しないことを表明。
8月27日に劇場での卒業公演をもって、akb48から卒業しました。
akb48では絶対的な人気を誇り、デビュー前から演技の仕事がしたいといずれはソロでの活動を見据えていた前田敦子さん。
しかし、akb48というグループやメンバーへの愛着も相当大きなものを持っていたようです。
akb48に属していた時にコンサートでソロ曲を披露する話があった際には「1人だけ目立つのが嫌」という理由で号泣したり、akb48の総選挙でのスピーチでは「私のことは嫌いでも、akb48のことは嫌いにならないでください!」と言ったエピソードがあります。
総選挙のスピーチでのセリフは有名ですが、自分が目立つことだけでなくグループのことを考えていたことが感じられる前田敦子さんのエピソードには、心温まるものがありますね。
今回はグループにいた頃を中心に、元akb48・前田敦子さんに迫ってきましたがいかがでしたか?
早くも卒業から5年が経ちましたが、芸能界に入る前からの憧れであった柴咲コウさんのように歌手・女優としてのこれからの活躍を楽しみにしたいですね!
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局