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    暗黒時代を脱した!?横浜DeNAベイスターズ次期監督は原辰徳!?

    長い低迷期に入っていた横浜DeNAベイスターズ、2016年からラミレス監督が就任して以来2年連続でAクラス入りをはたしました。そこに降ってわいたようにDeNA次期監督候補に原辰徳の名前が!?今回はラミレスの功績、原監督誕生の可能性を検討してみたいと思います。

    横浜DeNAベイスターズのプロフィールまとめ!

    横浜DeNAベイスターズ
    本拠地:横浜スタジアム
    運営母体:ディー・エヌ・エー
    オーナー:南場智子 ディー・エヌ・エー取締役
    所属:セントラル・リーグ

    経歴
    1950年~ 大洋ホエールズ
    1953年~ 大洋松竹ロビンス(松竹ロビンスと合併)
    1954年~ 洋松ロビンス
    1955年~ 大洋ホエールズ
    1978年~ 横浜大洋ホエールズ
    1993年~ 横浜ベイスターズ
    2012年~ 横浜DeNAベイスターズ

    獲得タイトル
    1960年 リーグ優勝 
         日本シリーズ優勝
    1998年 リーグ優勝
    日本シリーズ優勝

    横浜DeNAベイスターズの歴代監督まとめ!

    1960年に三原脩で優勝して以来、関根潤三、近藤貞雄、古葉竹識、須藤豊、江尻亮という監督リレーになるも優勝から遠ざかり低迷期が続きます。
    1993年に横浜ベイスターズに改称してからは、近藤昭仁時代、投手陣は野村を先発の柱に据え、盛田、佐々木のダブルストッパーを形成、打線はローズ、石井琢朗、ブラッグスという布陣で挑むも故障者が続出し、1993年は5位、1994年は最下位という成績で終わりました。1995年はFAで巨人から駒田を獲得し、4位に終わるもこの年限りで解任。

    1996年からは大矢明彦が監督に就任、大胆なコンバートを行い、思い切った改革をすすめますが思うように効果が表れず5位、翌1997年はマンツーマンで指導を続けていた捕手の谷繁が成長して2位に躍進するも辞任します。

    1998年からはバッテリーチーフコーチだった権藤博が監督に昇格。権藤は自分のことを監督とよばせず「権藤さん」と呼ばせたり、ミーティングも基本的に行わない自由放任主義を採用、その効果がいきなりあらわれたのかチームを38年ぶりのリーグ優勝に導き、日本シリーズでは西武を破り日本一に輝きます。翌1999年は不運にも故障者が相次ぎ3位に転落。このあたりから権藤の自由放任主義がいきすぎているとの批判も出始め、チーム内で軋轢がおき、2000年も3位で終了したことからこの年限りで退任。

    2001年からは西武の黄金時代を指揮した森祇晶が監督に就任しますが、森は西武時代に供に戦った黒江、辻、森繁和などを組閣に入れ、前権藤体制とはまるで真逆の徹底した管理野球を展開、その矢面に立たされたのが捕手の谷繁でした。
    その谷繁は森との確執でFA移籍し戦力低下は思いの他大きく森は不本意なシーズンを送り2002年シーズン途中で解任されます。2001年3位、2002年最下位。
    この頃からDeNAの前身横浜の本格的な低迷期がはじまります。

    2003年からは生え抜きの山下大輔が監督に就任します。
    横浜を象徴するともいうべき年であった2003年、それは打高投低というチーム傾向でした。打撃陣は鈴木尚典、金城、多村、古木、村田と爆発力ある打線でしたが、投手陣が崩壊する試合が目立ちました。2003年のチーム本塁打は192と素晴らしい成績でしたが、防御率は4.80と1試合に平均5点近く与えてしまう状況で最下位、翌年も194本塁打に倒して防御率4.47とほぼ変わらない状況で2年連続最下位を喫してしまい任期満了で退任します。


    2010年からは前巨人投手コーチの尾花高夫を招へいします。
    尾花は「アナライジング・ベースボール」をスローガンに掲げ、分析野球を推し進めます。これは1997年から2年間、野村克也監督の下でヤクルトコーチとして日本一に貢献したことから、野村克也の影響があると言われています。
    しかし功を奏さず就任1年目はやはり課題である投手陣の整備ができずに最下位に終わり、翌年はチーム打率が.230代と低迷し2年連続の最下位を喫してしまいます。

    翌2005年からは牛島和彦が監督に就任、木塚、川村、加藤、クルーンの救援投手を整備した「クアトロK」を結成して投手力に力を入れた効果もありAクラス入りを果たします。しかし翌2006年は再び投手陣が崩壊し防御率も4点代まで悪化し再び最下位に沈み、この年限りで退任します。

    2007年からは大矢明彦が再び登板することになります。
    この年から守護神のクルーンが他球団へ流失したため、寺原を抑えへ転向させたり、クアトロKの加藤、川村を先発転向させたりと改革をすすめたことが功を奏して2007年は4位に浮上、しかし後の2年間は投手陣の弱さが露呈して断トツの最下位に終わります。

    2012年からは新しく新設されたGMに元巨人の高田繁が就任し、本格的にチーム改革に乗り出します。その第一弾が同じく巨人で活躍した中畑清の監督就任でした。就任1年目は最下位に終わりますが、翌年は中日からソト、ソーサ、ブランコを獲得し、6年ぶりに最下位を脱して5位、2014年はオリックスからバルディリスを獲得しますが肝心の投手力の強化はできずに5位、2015年もやはり投手力の強化には至らず3年ぶりに再び最下位に落ち辞任する。


    2016年はアレックス・ラミレスが球団史上初の外国人監督として就任します。
    このシーズン終了時点での通算負数は12球団最多の4827に伸びてしまいますが、11年ぶりにAクラス入りを果たします。梶谷、筒香、宮崎など若手が台頭して打線は好調、投手も井納、石田、今永の先発、中継ぎは田中、須田、抑えは山崎が務めて整備されて就任1年目から3位でAクラス入りを決めてクライマックスシリーズに出場します。
    クライマックスシリーズはファイナルまで進みますが広島に敗れシーズンを終えます。
    翌年も投手力の課題は克服され、打線も若手が育ち3位で2年連続でクライマックスシリーズに進出し、3位からの下剋上を果たし日本シリーズ進出。日本シリーズは王者ソフトバンクを追い詰めますが惜しくも敗れます。

    横浜DeNAベイスターズ ラミレス監督の功績!

    長きにわたりBクラスに沈み、暗黒の時代の中でもがき苦しむ横浜DeNA監督に就任し、1年目から2年連続Aクラスへ押し上げたラミレス監督ですが、その手腕はどのようなものだったのでしょうか?

    ラミレス監督はDeNA監督に就任してから、絶対に責めないコーチングを徹底してきました。そして徹底して分析を行ってきました。

    選手がミスを犯した場合でも「そんなときもある」と言い続けていたそうです。
    また、ラミレス監督の特徴としては、監督に就任した後の変なプライドがないところです。一般的には新たに監督に就任すると前年までの方針とは違うスタイルを打ち出し、差別化を図ろうとする傾向にあります。

    例えば、自由放任主義の権藤監督の後に就任し、徹底的な管理野球に変えた森監督は典型的な例といえます。
    ラミレス監督は新たにDeNAの監督に就任しても、前任の中畑監督の方針の多くを引き継いでいたといえます。

    確かに若手投手陣の井納、須田、田中、山崎などは中畑監督が我慢して使い続けて1軍に定着した選手たちですし、攻撃陣も桑原、倉本、筒香、梶谷など、中畑監督の元で育った選手たちです。

    ラミレス監督はこれら中畑監督が育てた選手たちを上手に操縦し、さらにドラフトで即戦力を獲得することができた、つまりフロントとの連携が功を奏したといえます。

    変なプライドを持たず、選手たちとうまくコミュニケーションをとること、そしてデータ分析が正しかったことにより、DeNAの若手選手たちにクライマックスシリーズという緊張感のある試合を2年連続で経験させたことは素晴らしい功績だったと言えます。

    横浜DeNAベイスターズ 次の監督候補は原辰徳!?

    ポストラミレスの名前になんと、あの原辰徳元巨人監督の名前があがっているという噂があります。
    在京テレビ関係者の話として、原辰則元巨人監督が側近を通じて横浜DeNA側に売り込みをかけているとされています。

    その理由が、巨人から首を切られたことによる反発心、それと元東海大相模監督で原辰徳氏の父にあたる原貢氏から生前、巨人以外の監督を経験し、野球人としての器を大きくしなさいと言われたことも影響しているそうです。

    まさか、と思っていましたが、その噂は現実味を帯びているのも事実です。

    原氏と横浜DeNA側との下交渉は原氏が巨人監督を退任した2015年から始まっていたとの情報もあります。
    2020年東京オリンピック侍ジャパンの監督候補としても名前があがっていた関係上、話が頓挫してしまいましたが、どうやら稲葉監督に落ち着きそうな風向きです。
    そうなれば今となっては原氏が横浜DeNA監督になるのに障壁は無くなったと言っても良いと思います。

    更に今季Bクラスが決定し、老川オーナーの口から早々に高橋監督の続投が飛び出したのが9月14日、それから来季の組閣が発表されたのが吉村2軍監督のポストだけです。

    原辰徳氏が横浜DeNA監督に就任した場合に備えてどちらにつくかコーチ陣が手ぐすねしていると考えられてもおかしくありません。

    そして横浜DeNAの南場オーナーも集客力で言えばラミレス監督よりも原氏のほうがお客を呼べることを知っていますし、渡辺恒雄氏とも親交が深いため障害はありません。

    ここまで見てみると現実味が増してきますよね。

    おわりに

    暗黒の長いトンネルをようやく抜け出そうとしている横浜DeNAベイスターズ。
    そこに至るまでには様々な監督交代や試行錯誤がありました。

    そして横浜DeNAはGMというポストを新たに設け、高田繁が就任してからチーム改革に成功しつつあります。

    中畑清が種をまき、水をやり、ラミレス監督が太陽の日差しを注いで花が咲き始めてきました。

    実績も十分あり、観客動員、商業的には原辰徳も魅力的かもしれませんが、今後の監督人事から目がはなせません。

    最後までお読みいただきありがとうございました。

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