元大統領夫人?!実は壮絶すぎだった!デヴィ夫人の昔とは?

昔から、何でもズバズバ発言する「芸能界のご意見番」と言われるデヴィ夫人。現在の活躍は知る人も多いですが、昔は何をしていたのか謎の包まれていますよね。昔からセレブだった?!それとも...?!ヴェールに包まれているデヴィ夫人の昔についてまとめました。

まずはデヴィ夫人のプロフィールから!

デウィ夫人
本名 ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
昔名・日本名 根元 七保子
生年月日 1940年2月6日
出生地 東京府東京市麻布区霞町 (現 東京都港区西麻布)
国籍 インドネシア

出身は日本でありながら、国籍はインドネシアであるデヴィ夫人。
そのオーラから、セレブ感がただよっているデヴィ夫人ですが、昔は何をしていたのでしょう。

昔、東京で生まれたデヴィ夫人

昔の東京都港区西麻布市にあたる、東京府東京市麻布区霞町で日本人の父、兵七郎と母、政子との間に生まれる。

日本人同士の子供なのに、日本人離れの顔立ちですね。デヴィ夫人は昔からとても綺麗だったのですね。

弟が1人いて、裕福ではなく多額の借金をしていた家庭で生まれたというデヴィ夫人。定時制の高校に通いながら、弟を大学に行かせるために赤坂でホステスの仕事をしていました。

子供の頃は苦労していたデヴィ夫人。昔からのセレブでは無いようです。
では、どのようにしてセレブへの階段を上っていったのでしょう。

昔は、無名のエキストラやホステスとして働いていたデヴィ夫人

昔、デヴィ夫人が15歳だった1955年、新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』にエキストラ出演されました。

弟さんの学費を稼ぐために、定時制の高校に通っていたデヴィ夫人ですが、経済的な問題から自身の高校は中退することになります。
そして、赤坂の超一流ナイトクラブであった「コパカバーナ」のホステスとして人気を博すことになります。


この、「コパカパーナ」は水割り一杯で大卒の初任給が無くなるといわれた高級店で、海外の偉い人の接待にも使われていたほど。
昔から美貌の持ち主であったデヴィ夫人は、お客さんを飽きさせないような接客術、会話が弾む頭の回転の早さを兼ね備えていました。

デヴィ夫人には、昔から周りの人を惹き付ける魅力があったのですね。

インドネシアの初代大統領スカルノに見初められたデヴィ夫人!

昔からとても美しかったデヴィ夫人。
たまたま来日していたインドネシアの建国の父であるインドネシアの初代大統領スカルノに見初められます。スカルノ大統領が帝国ホテルで行われたティ・パーティに参加した際、パーティコンパニオンをしていたのがデヴィ夫人でした。

当時の日本政府は、インドネシア政府に敗戦処理のために賠償金830億円を支払っており、インドネシア政府はそのお金で日本から船舶を買うことが決まっていました。
この賠償金ビジネスに群がっていた人達は、デヴィ夫人の話を聞きつけて、デヴイ夫人を口説き落とし、東日貿易の秘書という触れ込みで、19歳であったデヴィ夫人をインドネシアに送りこみました。

昔、インドネシアに渡ってからのデヴィ夫人は、スカルノ大統領の愛人という立場にあり、第一夫人からのイジメもあったようです。

ですが、デヴィ夫人は、インドネシアに渡るにあたり、日本にいくつかの条件を出していました。
その一つが「スカルノ大統領とは正式な結婚をする」というもの。
当時、根本七保子さんであったデヴィ夫人はこのこともあり、1962年、ようやく、ラトナ・サリ・デヴイ・スカルノと改名し、正式にスカルノ大統領の第三夫人になることができました。

昔、フランスへ亡命することになったデヴィ夫人!

昔、デヴィ夫人がインドネシアにいる頃、日本を見捨てた人としてマスコミに報道され、日本に残った家族は苦しめられたようです。
離れた国で、母の死、弟の死を経験したデヴィ夫人。昔は、相当な心労があったことは間違いありません。
弟の死を忘れられないデヴィ夫人は、後にジャカルタの宮殿の一つに弟の名前をつけています。この宮殿は、のちに軍事博物館になりました。

1965年のクーデターにより、スカルノ大統領失脚など苦労の中、デヴィ夫人はスカルノ大統領の8番目の子供に恵まれました。
1967年、娘のカリナを出産しています。
そして、フランスへ亡命したデヴィ夫人。

昔、スカルノ大統領の死後、日本へやってきたデヴィ夫人!

1970年代には日本に返り、芸能活動を始めたデヴィ夫人。
気の強そうな、遠慮の無い発言で大ブレイクしたデヴィ夫人ですが、そんな強い女性になれたのは過去の苦労があったからなのかもしれません。

強くなれければ生きていけない世界で生き抜いてきたデヴィ夫人。昔、テレビではよく、お説教をする姿が見れましたが、昔の自分に比べれば、人はまだまだ生ぬるいことを言っていると感じての発言だったのでょう。

最近では、テレビでの発言もやわらかくなり、バラエティにも積極的になったデヴィ夫人ですが、その姿、発言には学ぶことも多そうです。

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