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2023/12/28
大今里
学年ビリのギャルが1年で偏差値40上げて、慶應大学に現役合格した。
というビリギャルが、有名になりました。
ビリギャルのモデルとなったさやかさんを指導した、塾の先生が書いた本もバカ売れ。
ビリギャルは映画化もされ、モデルとなったさやかさんを、有村架純さんが演じました。
そんなビリギャルのモデルだったさやかさんの、当時と今について調べました。
ビリギャルの本の表紙のモデルは、さやかさんご本人と思っている方が多いのではないですか?
ビリギャルの本の表紙のモデルになったのは、モデルの石川恋さんです。
金髪、超ミニスカートのギャルが、モデルの石川恋さん。
この本からビリギャルという言葉が流行りました。
そして、モデルの石川恋さんも話題になりました。
そんなモデルの石川恋さんは、イメージはビリギャルそのものですが、実は私生活では、ビリでもなく、ギャルでもなく、超真面目な方です。
あのビリギャルの表紙モデルは、あくまでもお仕事です。
と、偽りの自分を強調していました。
ビリギャルのモデルとなった小林さやかさん。
さぞかし、高校もランクが低く、その中でも成績が悪いんだろう。
と思っていましたが、ビリギャルのモデルとなった小林さやかさんは、愛知県のお嬢様中高一貫校の、愛知淑徳高校に通っていました。なんと、偏差値は60超えの進学校で、毎年東大に進学する人を多く排出しています。
ということは、ビリギャルのモデルとなった小林さやかさんは、エリートでありながらおバカ?だったということでしょうか。
そんなさやかさんは、ある予備校の先生と出会ってから、一生懸命受験勉強をして、現役で慶応大学SFCの総合政策学部に合格しました。
ビリギャルのモデルとなった小林さやかさんは、小6の時に受験して、お嬢様進学校へ入学しました。
ですが、入学したとたん、勉強をしないで好きなことばかりしていたので、高2になった時点で学年でビリになっていました。
このままでは大学へ行けない!
そう思っていたところ、母親に薦められて塾に入りました。
その頃、父親は非協力的で、母親がパートを増やしたり、結婚指輪を売ったりして、何とか塾の費用を捻出してくれました。
さやかさんは塾では最初、数学は小学校5年生のドリルから始めました。
歴史に関しては漫画を読んで覚えたのです。
もともと、さやかさんは中学受験を経験していますので、地頭が良く、勉強の仕方やコツをよく分かっていました。
入塾後、約3週間で中学英語をマスター。
高3の9月には、英語の偏差値は70を超えました。
しかし、他科目は伸び悩み、9月のこの時点では、慶應合格はE判定でした。
ビリギャルの本の内容に関しては、多少盛っている箇所があるようです。
確かに、ビリギャルのモデルとなった小林さやかさんは、慶應大学と言っても、経済でも文学でも不合格となりました。
ビリギャルのモデルとなったさやかさんが合格したのは、マークシートの英語と、小論文が試験の総合対策科でした。
目標としていた経済には合格していない訳なんです。
それを、成功と言ってもいいのかと、そんな声もありますが、慶應ブランドに入学できたわけですから、受験勉強は間違っていなかったのだと思います。
結果が全てですね。
ビリギャルのモデルとして、一躍注目を浴びた小林さやかさんは、慶應大学を卒業した後、どんな職業に就いたのでしょうか。
バイトやサークル活動でサービス業に目覚めたさやかさんは、リッツ・カールトンなど、ホテルへの就職を目指し、結局は大手のブライダル会社に入社しました。
2年半で辞めて、実家の名古屋に戻ったのですが、再び東京へ出て、別のブライダル会社に再就職しました。
ブライダルプランナーとして、やりがいを感じ、バリバリ仕事をしていました。
そんな花嫁さんの相談に乗るブライダルプランナーの立場が逆転しました。
2014年7月にさやかさん自身も結婚したのです。
相手は、学生時代バイトしていた、下北沢の居酒屋の店長さんです。
ビリギャルのモデルとなり、一躍有名になった小林さやかさんも、就職してブライダルプランナーとして、地に足をつけた生活をしています。
ビリギャルのモデルになったことで、世の中のおバカ?が、一流大学を目指せるんだという、希望の光を与えてくれて、勇気づけられた人も多くいました。
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