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2023/12/28
大今里
2017/11/17 更新
2017年大谷翔平は来年メジャー球団に移籍するということをあかしました。そんな大谷翔平選手の動向を探ると共に、プロフィール、日ハム球団での成績や、ユニフォームを着ていた日ハムの成績を紹介します。日ハムのユニフォームを着た大谷翔平の全てを振り返っていきましょう。
大谷翔平
生年月日 1994年7月5日23歳
出身地 岩手県
身長193センチ
体重97キロ
右投げ左打ち
ポジション ピッチャー 外野手
高校 花巻東高校
プロ球団 日ハム
ユニフォーム背番号 11
大谷翔平は高校では花巻東高校のユニフォームを通しました。
そのユニフォームは紫色が特徴です。
1人大きなユニフォーム姿がいました。
それが大谷翔平でした。
大谷翔平は最後の大会で甲子園に出ることはできませんでした。
しかし、160キロを越すなどピッチャーとして素晴らしい成績を残すだけでなく。
打者としても成績が良かったです。
そして、プロ野球のユニフォームには袖を通さず、メジャーに行ってメジャー球団のユニフォームに袖を通したいといっていました。
しかしその年のドラフトで、日ハムが大谷翔平を強行指名しました。
大谷翔平は断るつもりでいましたが、他に類を見ない二刀流という投手と打者を両方するという提案をされ、さらにメジャー球団に将来的に挑戦できるという提案もされました。
それに承諾して大谷翔平は日ハムのユニフォームに袖を通すことになりました。
日ハムのユニフォームを着た大谷翔平の成績はなかなか素晴らしいものがあります。
日ハムのユニフォームを着た和製ベーブルースといわれ、日本人記録をことごとく更新していきます。
162キロ163キロ164キロと大谷翔平が打ち出した記録を自分でこえてきました。
そして2016年に165キロという記録を出しました。
今後プロ野球のユニフォームをきた人がこの記録を抜くのかどうかわかりません。
そして10勝100安打20本塁打という記録を打ち立てました。
そんな大谷翔平のユニフォームは非常に価値があるものになります。
そしてメジャー球団のユニフォームを着ることになります。
2017年このシーズン大谷翔平がユニフォームを着た日ハムはどんなシーズンだったのでしょうか。
2016年には黄色のユニフォームのソフトバンクが序盤大差をつけ、1位でした。
2位についていた日ハムは中盤に連勝を重ねます。
最高で連勝15までのばします。
そこで最大11.5差あったソフトバンクとの差を詰め、見事優勝します。
ソフトバンクには屈辱的だとは思いますがこの勢いは止められず、
クライマックスシリーズも日ハムがソフトバンクを破り日本シリーズに進みます。
対するセリーグはダントツの強さをみせた赤いユニフォームの広島カープです。
そして広島の大黒柱黒田選手がユニフォームを脱ぐのが今季となり、広島カープはなんとか優勝するぞと意気込んでいます。
しかし日ハムもずっと日ハムを支えてくれていた武田勝選手がユニフォームを脱ぎ、俺のために勝てというユニフォームでなくTシャツを着て練習するなど、日ハムも優勝するぞと意気込んでいます。
試合はなんと初戦大谷翔平が打たれ負け投手になり、2戦目も落としてしまいます。
そんな崖っぷちの中舞台は北海道に移り、なんと連勝し、優勝することができました。
そんな日ハムは2017年も期待されシーズンが始まりましたが、wbcの疲労からか、中心選手で4番を打っていた中田選手が不調でした。
そして怪我が心配されていた大谷翔平が怪我をしてしまいシーズン中盤まで出場できませんでした。
やっと戦力が揃ったときにはもう終盤。
結局2017年は5位という結果でシーズンを終えてしまいます。
2017年は怪我が心配され、wbcも欠場し、キャンプでも別メニュー調整をおこなっていました。
そしてシーズンが始まり投手はお休みし、野手で出場しました。
全力疾走禁止というルールまでつくられていました。
キャンプでも怪我をしないように走塁でベースを踏む足を入念にチェックしました。
普通のキャンプではなかなか見れない光景を日ハムキャンプでは見ることができました。
しかし、やはり怪我をしてしまい終盤まで出場できませんでした。
それでも終盤リアル二刀流ができるまで回復し、最終登板では4番ピッチャーという野球ファンの夢を見せてくれました。
そんな大谷翔平はオフに手術をし、今は順当に回復しています。
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