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    これで納得!横浜高校野球部監督が代わっても強さは代わらない理由!

    これまでプロ野球選手に育て上げた選手58人を誇る横浜高校野球部。長年チームの監督として多くの功績を遺した渡辺監督から平田監督へ交代してもその強さは未だ変わるところがありません。今回は監督交代でも変わらない横浜高校野球部の強さの理由を探ってみたいと思います!

    横浜高校野球部、主な歴代監督と成績!

    それでは横浜高校野球部のご紹介から始めましょう。

    横浜高校野球部
    創部:昭和21年
    初タイトル:昭和36年市内大会優勝
    甲子園初出場:昭和38年 ベスト4
    国体初出場:昭和38年 ベスト4

    1968年秋、渡辺元智が監督に就任します。
    渡辺元智監督の通算成績
     秋季県大会 優勝14回
     秋季関東大会 優勝3回
     春季県大会 優勝10回
     春季関東大会 優勝6回
     春の選抜甲子園大会 出場15回 優勝3回
     夏季県大会 優勝12回
     全国高校選手権甲子園大会 出場12回 優勝2回
     甲子園通算 51勝22敗 通算勝利数歴代3位
    2015年夏の甲子園をもって監督退任

    2015年秋、平田徹が監督に就任します。
     秋季県大会 優勝1回
     春季県大会 優勝1回
     夏季県大会 優勝2回
     甲子園通算成績 1勝2敗
     

    渡辺監督時代、原貢監督との出会いとは?

    渡辺監督は1968年の秋に横浜高校野球部監督に就任しますが、驚かされるのは就任時の年齢です。
    なんと僅か24歳という若さです。現役バリバリでやれる年齢ですよね。

    渡辺監督が就任した当時の横浜高校はすでに神奈川県の強豪と呼ばれる存在でしたが、甲子園への道のりは険しいものでした。
    その渡辺監督率いる横浜高校の前に立ちはだかったのが原貢監督率いる東海大相模でした。
    原貢監督といえば、あの元読売ジャイアンツで活躍し、その後監督としても活躍した原辰則の実父です。そして読売ジャイアンツのエース菅野投手の祖父にあたります。

    就任翌年の1969年夏の甲子園予選決勝の相手は東海大相模でしたが0対2で完封負け、1972年の選抜出場をかけた秋季県大会も4対8で敗退、夏の甲子園予選も3対4で惜敗と、ことごとく横浜高校の前に立ちはだかりました。

    渡辺監督にとって原貢監督の存在こそ、自らを奮い立たせる存在だと認識し、いつしか「打倒原、打倒東海大相模」とその背中を追いかけることで強豪校に昇りつめたと言っても過言ではなかったはずです。

    そして1980年の春季県大会の決勝で東海大相模に敗れた横浜はリベンジに燃え、春季関東大会の決勝で再び東海大相模と激突し、愛甲猛率いる横浜高校は5対2で初めて東海大相模を破り優勝を果たすと、その年の夏季県大会も優勝、満を持して挑んだ甲子園では決勝まで勝ち進み、荒木大輔、小沢章一要する早稲田実業を相手に6対4で勝利し、初優勝を果たします。

    大きな壁を乗り越えた渡辺監督、その後も神奈川県の強豪として甲子園の常連にまで横浜高校野球部を育て上げ、多村、松坂、筒香、涌井、成瀬など数多くの選手をプロの世界へ送り出すという多大な功績を残しました。

    座右の銘は横浜高校創立者である黒土四郎氏の人生の教訓でした。

    富士山に登る第一歩
    三笠山に登る第一歩
    同じ一歩でも覚悟が違う
    どこまで登るつもりか
    目標がその日その日を支配する

    渡辺監督は常日頃から選手たちに、明確な目標を定め、目標を達成するための最善の行動をとるようにとの意味から「目標がその日その日を支配する」と語り続けたそうです。
    その精神は横浜高校野球部に今でも受け継がれています。

    横浜高校野球部歴代メンバーは?

    それでは渡辺監督がどれだけすごいか、プロに排出してきた歴代選手を独自にスターティングメンバーにしてご紹介していきます!

    1番 ショート 石川雄平 2004年ドラフト6位でベイスターズ入団
    2番 キャッチャー 近藤健介 2011年ドラフト4位でファイターズ入団
    3番 ライト 鈴木尚典 1990年ドラフト4位でベイスターズ入団
    4番 ファースト 筒香嘉智 2009年ドラフト1位でベイスターズ入団
    5番 センター 愛甲猛 1981年ドラフト1位でロッテ入団
    6番 レフト 多村仁志 1994年ドラフト4位で横浜入団
    7番 サード 後藤武敏 2002年ドラフト自由枠で西武入団
    8番 セカンド 高濱卓也 2007年高校生ドラフト1位でロッテ入団
    9番 ピッチャー 松坂大輔 1999年ドラフト1位で西武入団

    このメンバー以外にも涌井や成瀬といったエース級のピッチャーもいます。
    渡辺監督はこれだけの選手を育てあげました。
    ある意味、横浜高校だけではなく、日本球界にとっても多大な功績を遺した人物であることは間違いありません。

    横浜高校野球部・渡辺監督時代から平田監督時代へ!

    横浜高校イコール高校野球といわれるほど全国的に知名度も上がったところでバトンを手渡された平田徹監督。
    その平田監督も高校時代、渡辺監督の元で鍛えあげられた一人でした。

    どん底のチームを作り上げるのではなく、出来上がっているチームを引き受けるのですから、壊さないようにとのプレッシャーは尋常ではなかったはずです。

    過去に同じようなケースは他競技でもいくつかありました。
    思い起こせば、サッカーの強豪校で知られる長崎県の国見高校。
    当時の監督である小峰監督は国見高校を21年連続で全国大会へ出場、6回の全国優勝に導いた名将と言われていましたが、退任後の国見高校は低迷に苦しんでいます。

    同じようなケースでバスケットボール、秋田県の能代工業は加藤監督が率いて伝統を受け継ぎ、創部から秋田県で54連覇という驚異的な成績を残していましたが、監督が交代した後はやはり低迷、連覇も途絶えてしまいました。

    しかし横浜高校はそうではありませんでした。
    平田監督時代が始まった2016年秋季県大会優勝、春季県大会優勝、春季関東大会準優勝、夏季県大会優勝、甲子園に出場、翌2017年秋季県大会準優勝、春季県大会準優勝、夏季県大会優勝で2年連続で夏の甲子園出場と結果を残しています。

    平田監督は渡辺監督時代のスパルタ、対話野球から、「目標がその日その日を支配する」という基本を受け継ぎながら、選手の主体性を引出す自立野球への転換を進めました。

    ウォーミングアップも全体で整列して行わず、選手個人が主体的に行うこととし、ミスをしても何故ミスをしたかを選手に考えさせるという指導法を取り入れました。

    現代の部活動は昔のような気合い・根性とは違い、自主性・自立性を重んじるウェートが大きくなっいることから時代に則した指導法と言えます。

    横浜高校野球部はその時代に則した指導法の転換を上手く行っているということが伺えますよね。

    おわりに

    58人
    これは横浜高校出身のプロ野球選手の数で、PL学園の76人に次いで2番目の多さです。
    今や常に優勝候補の一角に名前があがる横浜高校ですが、そこに至るまでには東海大相模・原貢監督という大きな壁が立ちはだかりました。

    「目標がその日その日を支配する」

    平田監督にバトンは受け継がれ、指導方針が代わっても、基本理念は代わりません。
    その証拠が監督交代後の選手権神奈川県地区予選大会2連覇です。

    これからの平田監督率いる横浜高校野球部から目が離せません。

    最後までお読みいただきありがとうございました。

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