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2023/12/28
大今里
2017/11/12 更新
1980年代のトップアイドル松田聖子。その松田聖子の代表的ヒット曲『風立ちぬ』とは、どんな曲なのでしょうか?松田聖子のアイドルとしての軌跡を振り返りながら『風立ちぬ』がどのようにヒットしたのか、『風立ちぬ』の誕生秘話など見ていきましょう。
『赤いスイトピー』『風立ちぬ』といった数々のヒット曲を持つ1980年代のトップスター松田聖子は、1980年にデビューしました。
この年は1970年代のトップアイドルであった山口百恵の引退した年でもありました。トップスターの座は、山口百恵から松田聖子へと引き継がれて行きました。
松田聖子のデビュー曲『裸足の季節』は、資生堂のコマーシャルソングに使われ、曲のヒット共に松田聖子はスタートして認知されるようになりました。
以後、新曲を出すごとにヒットしていきます。『風立ちぬ』もその中の1曲です。
そして、この『風立ちぬ』もコマーシャルソングとして採用されました。
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当時の松田聖子はどれほどのスターだったのでしょうか?当時の流行語『ぶりっ子』『聖子ちゃんカット』からそのスターぶりを見ていきましょう。
まず『ぶりっ子』という言葉は、松田聖子の可愛らしいしぐさや口調を指して使われるようになりました。女性漫才師やすこけいこは、松田聖子の「ぶりっこ」ぶりをネタにしたり、少女たちは日常会話の中で頻繁に『ぶりっ子』という言葉を使っていました。
そして『聖子ちゃんカット』は、もちろん松田聖子の当時の髪型を指したものでした。同年代のスターたちも同じような髪型をし、聖子ちゃんカットは時代の流行となっていました。 また、一般の少女や女性たちも中にも聖子ちゃんカットは広がりました。もちろん、『風立ちぬ』を歌っていた時も聖子ちゃんカットでした。
このように松田聖子は社会現象といっても良いほどのブームの火付け役となりました。
松田聖子 風立ちぬ 【高画質・最高音質】
松田聖子の風立ちぬです。聖子ちゃんカットに裾の広がったフリフリのワンピースという姿が、当時の女性アイドルの定番でした。
当時の松田聖子と並ぶアイドルに中森明菜があげられます。中森明菜の衣装は黒など落ち着いた色調でしたが、松田聖子はパステルカラーの衣装での出演が主でした。
松田聖子/Seiko Matsuda グリコ ポッキー 1
『風立ちぬ』が使われたコマーシャルは、グリコのポッキーでした。また、松田聖子はグリコのポッキーのコマーシャルの別バージョンとして当時男性トップアイドル、ジャニーズ事務所の人気グループ『たのきんトリオ』の田原俊彦と共演していました。
『風立ちぬ』を作詞したのは松本隆、作曲したのは大瀧詠一です。大瀧詠一といえば、1997年の月9ドラマ『ラブジェネレーション』の主題歌『幸せな結末』の作曲をして自らが歌い、ドラマと共に大ヒットしました。
また、森進一の『冬のリビエラ』、小林旭の『熱き心に』といった、ベテラン歌手にも曲を提供していました。
『風立ちぬ』もそんな大瀧詠一から松田聖子に提供されたものでした。
当時のエピソードして、松田聖子が『風立ちぬ』を聴いた第一印象はとても良い曲だとは思っていたようですが「自分には向いていないのではないか。」と歌うことには消極的だったようです。
しかし、周囲の配慮により『風立ちぬ』は、松田聖子の代表曲の一つとなりました。
大瀧詠一自身は『風立ちぬ』を自らカバーすることはありませんでした。
【 本木雅弘、宮沢りえ CM 】サントリー緑茶 伊右衛門『秋の歌』
『風立ちぬ』はお茶伊右衛門のコマーシャルでも使われています。『風立ちぬ」と宮沢りえが歌っています。30年以上の時を経ても今なお受け入れられる『風立ちぬ』。やはり名曲といえるでしょう。
このように、松田聖子の『風立ちぬ』は1980年代から21世紀となった今にも親しまれている名曲ですが、当時のタイトルはどのようだったのでしょうか。
1981年、オリコンシングルチャート第1位
1981年度、人気番組ザ・ベスト10 年間32位(1位あり)
1981年 日本レコード大賞 ゴールデンアイドル賞
1980年のスター、松田聖子の『風立ちぬ』を振り返りましたが、やはり松田聖子の歌唱力といい、楽曲といい、今でも親しまれるに値する良さが実感できるのではないでしょうか。
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