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2023/12/28
大今里
ビートたけし
お笑い芸人 俳優 映画監督
本名 北野武
生年月日 1947年1月18日
出身地 東京都足立区島根
血液型 O型
1980年の漫才ブームの中、「ツービート」としてシニカルな笑いが評判になったビートたけしさん。
「オレたちひょうきん族」では全国で有名になりました。
その後は、司会や映画監督を中心に活躍。
人を笑わせる天才であるビートたけしさんには、どんな伝説があるのでしょう。
その、数々の伝説を見てみましょう。
まずは、ビートたけしさんと、つまみ枝豆さんのエピソード。
今がら20年以上前、枝豆さんがビートたけしさんの運転手をしていたときのこと。ある日、運転中に突然好きな車の話になり、枝豆さんは好きな車を「ベンツ」と答えました。
すると、その翌日、たけしさんを向かえに行ったら「これ持ってけ」とくしゃくしゃの紙袋を渡されたそうです。
その中には、なんと現金800万円が入っていたのです。
これだけで終わっても伝説ですが、続きがあります。
その翌日、ビートたけしさんから、「ベンツ買ったか?」と聞かれて、その次の日も聞かれたそう。
枝豆さんは、一週間悩み、結局「やっぱり自分で稼いだお金で買います」と、ビートたけしさんにお金を返したそうです。
その時のビートたけしさんの言葉が伝説に。
「お前ならそうすると思っていたよ。がんばれよ」
ビートたけしさんは、現金を渡して枝豆さんがどうするのか見ていたのかもしれませんね。大金を見せて、まず、決して楽をせずに自分の力で手に入れることの大切さを感じて欲しかったのかもしれません。
こんなエピソードがあれば、「たけしさんのようになれば、さっと800万円を出してしまえるようになるんだ。いつかはあの大金を手にできるような人間になるぞ!」と励みになることでしょう。
お金がすべてではありませんが、駆け出しだった枝豆さんにとっては夢を持ち続けるきっかけになれたのかもしれませんね。
続いては、ポール牧さんとのビートたけしさんの伝説。
売れない頃、ビートたけしさんは、ポール牧さんに公私共にお世話になり、仕事の紹介をしてもらったり、ご飯をご馳走になったりしていたそうです。
その後、たけしさんが売れ出して立場が逆転し、古い芸風のためにポール牧さんがテレビでは活躍できなくなったことを感じた、たけしさんは、「こんばんは、ポール牧です。」と言ったり、「ばかやろう!お前はポール牧か!」
などと、ポール牧さんの名前をテレビで口にし、認知度が上がったポール牧さんにもテレピ出演の仕事が来るようになったそうです。
ビートたけしさんなりの恩返しを感じられる伝説ですね。
その後、ポール牧さんと番組で共演し、その後の飲み会でビートたけしさんが代金を払おうとすると、「たけちゃん、それはまだ10年早いよ。」と言って、自分で2人分の会計をし、ビートたけしさんをタクシーに乗せてくれたそうです。
そのタクシーの中でビートたけしさんが作った曲が「浅草キッド」。
とてもステキな師弟関係の伝説ですね。
お世話になった方には、どんな形をとっても恩返しをするべきですが、自分が忙しくなると忘れてしまいがちです。
ビートたけしさんがこれだけ大物になれたのは、そういう人柄もあるのかもしれませんね。
たけし軍団に対する、ビートたけしさんの伝説。
たけし軍団の誰かが引越しをするとき、「引越し祝いは何がいい?」とビートたけしさんに聞かれて、「洗濯機が欲しいです」と応えると、後日、引越し先にタライと洗濯板が届いたそうです。
これだけもオロシロ伝説ですが、続きがあります。
タライの裏を見ると100万円が入った封筒があり、「コレでいい洗濯機を買え!」とメッセージがあったのが本当の伝説。
洗濯機に100万円もくれるところも驚きの、ギャクのセンスが効いたビートたけしさんの伝説ですね。
やはり、大物は伝説も大物ですね。まだまだある、ビートたけしさんの伝説。
芸人でありながら、俳優、監督までこなしてしまうのは、日々の努力と心がけの賜物なのかもしれません。
才能ありながらも、発揮できない人もいる中、大成功をされいるビートたけしさん。見習うべき心意気がたくさんありそうです。
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