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2023/12/28
大今里
ワンダーコアのCMや逃げるは恥だが役に立つでは主人公の父親役をコミカルに演じていた宇梶剛士。テレビでは女性もののエプロンを披露している姿もあり、とても温厚で優しそうな俳優のイメージが強くある方が多いのではないでしょうか?
しかし、実際には宇梶剛士は歴史に残るほどの伝説のヤンキーだったんだとか!元ヤンとしての恐ろしさはまさに芸能界ナンバーワン。そんな宇梶剛士にはたくさんの武勇伝や伝説が残っているといわれています。
俳優宇梶剛士の長きに渡り語り継がれている武勇伝について、まとめてみました。
生年月日:1962年8月15日
出身地:東京都
身長:188センチ
血液型:B型
チャップリンの伝記を読んだことから俳優になりたいと思うようになり、18歳の頃に錦野旦の付き人をするようになりました。
その後菅原文太から声をかけられスカウトされ、美輪明宏にも見出され初舞台を踏むことになります。
1980年代からは、トレンディドラマに出演するようになり、徐々に知名度を上げていきました。最近では、2016年最もヒットしたといわれるドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の主人公である森山みくりの父森山栃男役をコミカルに演じました。
宇梶剛士は現在では芸能界で成功を収めていますが、実は野球を少年時代から続けていてプロ野球選手になることが夢だったようです。しかし、高校2年生の頃友人とともに暴力事件を起こしてしまい逮捕されてしまいました。
そして少年鑑別所に入れられることになり、甲子園大会への出場停止になってしまいその結果高校も中退することになってしまいました。
そんな高校中退した宇梶剛士さんでしたが、その後入ったのが日本最大の暴走族だといわれていたブラックエンペラーに入ることになったそうです。
ブラックエンペラーは全部で2000人以上構成員がいるといわれており、更に傘下のチームを合わせると1万人にも上るといわれている伝説の暴走族です。
そんな暴走族に入ると、元々体格も良く喧嘩が強かったという宇梶剛士は、当時7代目三多摩本部総長にまで上り詰めていったようです。
宇梶剛士が日本最大級の暴走族ブラックエンペラーの総長を務めあげるほど不良だったということは、わかっていただけたかと思います。
この宇梶剛士には、実はたくさんの武勇伝が存在しています。しかし、その武勇伝があまりにも凄すぎて、本当なのかどうかの真偽もわからないほどです。
今でも語り継がれている宇梶剛士の喧嘩武勇伝についていくつかご紹介していきましょう。
宇梶剛士の武勇伝1つ目は、小学生でありながら、中学生と喧嘩をして勝ったというものです。宇梶剛士は元々体格も良く、小学校6年生ですでに喧嘩が強かったといいます。
そして中学生23人が小学校6年生の宇梶剛士に喧嘩を持ち掛けてきたようですが、実際には全員をタイマン勝負でやっつけてしまったというものです。
小学生の頃から誰もが認める喧嘩の強さだったという武勇伝ですね。
小学生の頃から何十人相手の喧嘩にも勝っていた宇梶剛士ですが、暴走族総長の時代にはもっとすごいレベルの武勇伝があるようです。
それが、1000人の人数を1人で倒したというものです。これは宇梶が300人~400人ほどで湘南に走りにいっていた際に、地元の暴走族と鉢合わせになってしまい、相手は1000人ほど。
驚いた宇梶剛士の仲間は一目散に逃げていったようですが、宇梶剛士だけは1000人に立ち向かい、あっという間に20人ほどをやっつけてしまったようです。
それを見た1000人の相手は宇梶剛士に恐れおののいて逃げていったということです。
次の武勇伝は、宇梶剛士が漫画のモデルになったという武勇伝です。これは、噂なので本当なのかどうかは定かではありませんが、有名ヤンキー漫画である「特攻の拓」に出てくるキャラクターが、どうやら宇梶剛士がモデルだといわれているようです。
横浜の暴走族チームである夜叉神の総会長である鰐淵春樹という人物のモデルが宇梶剛士だといわれています。
ヤンキー漫画のモデルになるというのは、それ相応の知名度やふさわしさがあると思います。
宇梶剛士がどれほどすごかったのか、よくわかるエピソードですね。
日本中に名を知られる俳優になった宇梶剛士ですが、過去には様々な武勇伝を作り出すほどやんちゃをしていた時代があったということです。芸能界に入るタイミングで更生し、今ではどんな役でも演じてしまうような俳優へと成長しています。
たくさんの武勇伝は、今もなお語り継がれています。芸能界で活躍し続ける限り、宇梶剛士の武勇伝は残っていくでしょうね。
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