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2023/12/28
大今里
2017/11/06 更新
元は阪急ブレーブスだったオリックス。オリックスになってからも、3度も球団名は変更され、監督も次々と変わっています。歴代監督と一緒に、オリックスの成績を振り返り、誰もが願うイチロー監督が実現するかどうか見てみようと思います。
上田利治監督
オリックスという球団が出来たのは、1988年のこと。
球団「阪急ブレーブス」が、阪急電鉄からオリックス・リースに譲渡され、「オリックス・ブレーブス」が誕生したのです。
オリックス・ブレーブスの、初代監督は上田利治監督。
上田監督は、阪急時代からの監督で、合計14年もの間監督を務めました。
残した成績も輝かしく、優勝5回、準優勝も5回しました。
1990年に監督を勇退すると、野球解説者や評論家として活躍し、その後1995年から4年間、日本ハムファイターズの監督も務めました。
2017年に、80歳で肺炎で亡くなっています。
2代目は、土井正三監督でした。1991年から1993年までの3年間務めました。
順位は3年間とも3位でしたが、1991年のドラフトで、後に有名になる鈴木一郎(イチロー)を4位で獲得しています。
選手時代は巨人だった土井監督。巨人OBの色が濃く、ファンに受け入れてもらえなかったとも言われています。
その後、巨人のコーチや野球評論家、解説者として活躍し、2009年がん闘病の末、67歳で亡くなられました。
仰木彬監督
3代目が、仰木彬監督です。
言わずと知れた、イチローを生み出した監督です。
1994年から2001年までの8年間監督を務め、優勝2回、準優勝2回しています。
1995年に阪神・淡路大震災が起きた時も、市民に元気を与えるためにと、神戸で試合を続けました。
1996年には、オリックスとして初めて、球団としても19年ぶりの日本一に輝きました。
2005年に、オリックスと近鉄バファローズが合併したことで、両チームで監督経験のあった仰木監督が、再度、監督として就任しました。
「グラウンドで倒れたら本望」と、癌であることを周囲に隠し監督を続けましたが、その体力の衰えは周囲から見ても明らかで、シーズン終了後に監督を辞め、その年の12月に70歳で亡くなられました。
本当に、最後の最後まで、グランドで野球を続けられた仰木監督でした。
石毛監督の現役時代
4代目が石毛宏典監督。2002年2003年の2年間監督を務め、2年とも最下位6位で終わりました。
オーナーとの確執、成績が悪かったことなどから、2003年に解任されました。
5代目は、レオン・リー監督。石毛監督の解任を受けて、当時、打撃コーチをしていたところを、急遽監督に任命されました。
成績は振るわず、この2003年だけで終わりました。
6代目は、伊原春樹監督。この監督も、2004年の一年だけです。一部主力選手との確執も噂され、成績も最下位の6位に終わりました。
7代目は、中村勝広監督。もともと、阪神などで活躍していた選手で、2003年には、オリックス・ブルーウェーブの取締役常務兼GMとなっていました。
2005年の仰木監督の後、2006年に監督になりましたが、成績が振るわず、一年で監督を退きました。
8代目は、コリンズ監督。
2007年、2008年と監督を務めましたが、選手の不祥事や、契約問題などでチームの中が混乱し、成績も最下位の6位。2008年のシーズン途中で辞任しました。
9代目は、大石大二郎監督。2008年は2位と好調でしたが、翌年2009年は、選手のケガなど不運に見舞われ、最下位6位に終わりました。
岡田彰布監督
10代目は、岡田彰布監督。2010年から2012年の3年間務めましたが、5位、4位 6位と成績は振るいませんでした。
森脇浩司監督
11代目は、森脇浩司監督。2013年から2015年まで務めました。2014年に2位という成績を残しましたが、2015年には再び成績が伸びず、森脇監督がチーム低迷の責任をとり休養し、併せてヘッドコーチだった福良淳一が監督代行として指揮をとりました。
12代目が、現在も指揮を執る福良淳一監督。現在までのところ、5位、6位、4位で、良いところがありません。
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仰木監督とイチロー
イチローは、ドラフト4位で入団しましたし、入団してからも芽が出ずにいました。そんなイチローに目を付けたのが仰木監督で、イチローという名前の名付け親でもありますよね。
最初は「イチロー」という名前を拒否したイチローでしたが、先輩の佐藤 和弘がパンチ頭で「パンチ」と付けられ、それを了解したことから、イチローも、しぶしぶ登録名を「イチロー」にしたとのこと。
オリックスを去っても、イチローは、仰木監督を尊敬し、その尊敬ぶりは崇拝に近いものだったそうです。記者の質問に「僕の唯一人の師匠ですから」とまで答えています。
そんなイチローですから、仰木監督と同じ、オリックスの監督をしてみたいという気持ちはあってもおかしくないですよね。
米大リーグでのシーズンオフは、イチローはオリックス球場で練習をし、CMなどはオリックス関係のCMには出続けています。
イチローとオリックスは、離れていても良好な関係が続いています。
そして、2018年の監督候補として、イチローの名前が噂されていました。
オリックス側も、かなり力を入れていたようです。
メディアも、
「イチローがロサンジェルスのコンドミニアムを売却した。アメリカの資産整理を始めた。」
「イチローが新人時代に教育係だったB氏が、現在イチロー選手の窓口を担当している」
など言っています。
福良淳一監督
結果、2018年、イチロー監督は実現しませんでした。現監督、福良淳一監督が続投します。
ビッグニュースは飛び込んできませんでしたが、もしかしたら2019年かと、まだ可能性があると感じているのは、私だけでしょうか。
イチロー監督を願っているのは、オリックスファンだけではないと思います。
日本の中年世代にとっては、イチローは希望の星でもあります。
上に書いたように、イチローが去ってからのオリックスは、監督が次々と変わり、成績も低迷、良いところがありません。
ここでイチローが帰って来て監督になってくれれば、オリックスだけでなく、日本中の中年世代がどれだけ喜び、野球に注目するでしょうか。
きっといつか、オリックスのイチロー監督を見たいですね!
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