木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
名前:タモリ(たもり)
本名:森田一義(もりたかずよし)
愛称:タモさん
生年月日:1945年8月22日(72歳)
血液型:O型
出身地:福岡県福岡市南区
職業:お笑いタレント
所属:田辺エージェンシー
最終学歴:早稲田大学第二文学部西洋哲学専修除籍
身長:161cm
福岡から上京後、赤塚不二夫にお笑いセンスを見出され同居生活を開始。
1976年4月『空飛ぶモンティ・パイソン』でデビュー。
30歳で芸能界デビューという、非常に遅咲きな芸人さんです。
「お笑いスター誕生!!」の審査員などで活躍した後、1982年に「笑っていいとも!」がスタート。
日本のお笑いBIG3の一角とも言われ、今や日本を代表する超大物コメディアンとなっています。
30歳という年齢で芸能界遅咲きデビューを果たしたタモリさん。
昭和50年に山下洋輔さんなどの目に止まり、カンパによって福岡から上京したタモリさんでしたが、彼の才能に惚れ込んで芸能界デビューのきっかけを作ってあげたのが漫画家の故・赤塚不二夫さんでした。
東京に出てきたばかりでお金がないタモリさんに、赤塚さんは住んでいた高級マンションを貸し出し、自分は仕事場で寝泊まりしていたといいます。
「才能豊かなタモリに貧乏暮らしは似合わない。贅沢させてあげたい」
こんな理由から赤塚さんはタモリの生活の面倒を見ていたといいますが、自分の生活を犠牲にしてまで他人の為に尽くすなんてなかなかできる事ではありませんよね。
10数年後、赤塚不二夫のおかげもあって芸能界で売れっ子になったタモリさん。
一方、赤塚さんの方は連載がすべて打ち切られ仕事のない日々をおくっていました。
「車を1000万円で売ってくれ」
「報酬を払うから会社の顧問になってくれ」
お金がない赤塚さんのプライドを傷つけないために、今度はタモリさんが適当な理由を見つけては金銭援助をしていたそうです。
タモリさんとしては、売れない時代を支えてくれた赤塚さんへの恩返しのつもりだったんでしょう。
しかし、赤塚さんはそのお金に一切手をつけなかったんだとか。
理由は「タモリが売れなくなったらこのお金で生活の面倒を見る」ため。
常にお互いのことを最優先に考えていた2人。本当に美しい師弟愛ですよね。
タモリさんにとっては大恩人である赤塚不二夫さんが亡くなったのは、2008年8月2日のことでした。
赤塚さんの葬儀でタモリさんは、本名の森田一義として弔辞を読みます。
弔辞を読むのは人生で初だったそうですが、この弔辞の内容がとても素晴らしく”伝説の弔辞”として今も語り継がれています。
約8分にも及ぶ弔辞には、タモリさんの赤塚不二夫に対する深い愛情が込められていて、とても心に響く内容でした。
特に最後の締めくくりとなったフレーズ
「私もあなたの数多くの作品の一つです」
は、赤塚さんへの感謝の気持ちをたった一言であらわした名言です。
全体的によく練り込まれた文章になっていて、博識なタモリさんでなければ出来ない弔辞だったのではないでしょうか。
まるで国語の教科書を朗読しているような、非常に完成度の高い文章を弔事で披露したタモリさん。
しかし、この弔事が実は白紙だったというのは有名な話ですよね!
実際の弔辞動画を確認してみると、確かに白紙。
ということは、タモリさんはこの弔辞をすべてアドリブで行っていたということなんでしょうか?
これについては様々な検証がなされていますが、あまりにも完成度の高い弔辞のため、事前に練り込まれた文章なのではないかと言われています。
おそらくは事前にすべて暗記していて、あたかも読んでいるかのように見せるというタモリさんの上質ギャグだったのではないでしょうか。
しかしタモリさん本人が弔辞について言及したわけではないので、真相はわかりません。
とっても頭の良いタモリさんだから、もしかしたら本当にアドリブで弔辞を行ったのかもしれない。
そう思わせてしまうところが、タモリさんの凄さですよね。
タモリさんは弔辞の中でこんなことを言っています。
「あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。」
白紙を見つめながら弔辞を読んだのは、おそらく”武蔵坊弁慶の勧進帳を再現する”というタモリ流のギャグだったのではないでしょうか。
それを裏付けるエピソードとして、タモリさんは後に
「弔辞のオチは、オレのマネージャーの名前がトガシだということ」
と語っています。
弁慶が関所を通過するために白紙の勧進帳を読み上げる「勧進帳」ですが、その読み上げを聞いていたのが富樫(トガシ)左衛門という人物なのです。
内容は真面目でしたが、白紙の弔辞を読み上げるという行為自体が壮大なギャグだったなんて。
こんな事を思いつくなんて、さすがは天才・タモリさんですね!
今回はタモリさんの弔辞にスポットライトを当ててみましたが、いかがだったでしょうか?
師匠である赤塚不二夫さんは72歳でこの世を去りましたが、タモリさんもそれと同じ72歳になりました。
「笑っていいとも」が終わり最近では少し仕事をセーブしている印象がありますね。
それでもレギュラー番組を3本も抱え精力的に活動しているタモリさん。
くれぐれも健康には気をつけて頂いて、いつまでも元気な姿を見せてほしいですよね。
国民的大スター・タモリさんの今後の活躍にますます期待が高まります。
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局