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2023/12/28
大今里
2017/11/05 更新
香川真司と言えば、今や日本サッカー界を牽引する存在です。そんな香川真司ですが、ドルトムントに引き抜かれてから年俸が10倍になったという過去を持っています。それでは、今回は、香川真司の年俸の推移についてご紹介していきます。
名前:香川真司
生年月日:1989/3/17
身長:172cm
体重:63kg
利き足:右
ポジション:MF(ミッドフィルダー)、FW(フォワード)
出身地:兵庫県神戸市
中学校:仙台市立八乙女中学校
高校:宮城県黒川高等学校(土木科)⇒ウィザス高等学校(通信制)に転校
香川真司は、アジリティー(俊敏さ)や、足元のテクニックが特徴の選手です。
特にセレッソ大阪時代とドルトムント(2010-11、2011-12)時代のドリブルの切れ味は恐ろしく、海外では、Evil Kagawaと評され、ブンデスリーガの年間ベストイレブンに選出されました。
当時の香川真司のプレイは、日本のみならず世界でもトップレベルのプレイをしており、ドルトムントでは2010-11、2011-12シーズンの香川真司は、もはや伝説レベルのプレイだったそうです。
しかし、残念ながらマンチェスターユナイテッドに移籍して以降は、活躍の勢いを落としてしましました。
その後は、ドルトムントに再加入し、現在でも、世界のトップレベルでプレイしている、日本を代表するサッカー選手です。
香川真司は、当時高校2年生である2006年に、セレッソ大阪とプロ契約しました。
当時、高校生がプロチームと契約するのは、前代未聞であり、当時から香川真司が天才だったという事を物語っています。
セレッソ大阪(2006年)の香川真司の年俸は、380万円です。
通信高校に通いながらプロチームデビューした香川真司ですが、残念ながらこの年は、プロ契約初年度ということで、出場機会は得られませんでした。
2008年からセレッソ大阪の主力として活躍した香川真司の年俸は800万円でした。
当時18歳の香川真司はU-23日本代表に飛び飛び級で選出され、35試合で16得点を挙げるなど、傑出した活躍を見せました。
2009年には、J2得点王に輝き、セレッソ大阪をJ1に導く大黒柱としての活躍を見せました。
ちなみに年俸は2800万円と、3.5倍の大幅アップしました。
育成補償金35万ユーロ(約4000万円)でドイツの名門ドルトムントに加入した香川真司。
ドイツの名門クラブに言わせれば、35万ユーロというのは、ほとんどただ同然の価格らしいです。
この価格で、香川真司というスーパールーキーを購入したことは、ドルトムントの歴史の中でも、超お買い得の購入だったと言われています。
ドルトムント移籍初年度の香川真司の年俸は70,000万ユーロ(約9000万円)でした。
ほとんど一億ということで、一般人からしたらとんでもない額ですが、ヨーロッパの名門サッカーチームの選手の年俸として見ると、かなり安いほうです。
ということで、破格の額でドルトムントに加入した香川真司ですが、ここで大ブレイクを果たします。
なんと、移籍初年度ながら、前半戦17試合8得点を挙げ、シーズンは負傷してしまったもの、ブンデスリーガ最優秀選手並みの活躍を見せ、年間ベストイレブンに輝きました。
ブンデスリーガは世界でも指折りのリーグであり、そこで、最優秀並みの活躍という事は、ほとんど世界でトップの活躍をしたと言っても過言ではありませんでした。
なおこの年のドルトムントは、香川真司をはじめ、マリオゲッツェ、レヴァンドフスキなどの若手が活躍し、9シーズンぶりに7度目の優勝を果たします。
前年度大ブレイクを果たした香川真司の年俸は3000万ユーロ(約4憶円)と一気に跳ね上がります。
この年も、好調のドルトムントをけん引する活躍を見せた香川真司は、31試合18得点でブンデスリーガ年間ベストイレブン、欧州年間ベストイレブンに輝きました。
ドルトムントでの活躍が認められ、鳴り物入りでマンチェスターユナイテッドに移籍した香川真司。
しかし、ケガの影響や、リーグのスタイルとの相性、監督との相性が合わず、停滞の時期が続きました。
サッカー史上もっとも偉大な監督、アレックスファーガソン監督に見いだされた香川真司は、鳴り物入りでマンチェスターユナイテッドに加入しました。
移籍金の額は、約1500万ポンド(約21憶円)で年俸は、550万ユーロ(約8億円)と噂されています。
しかし、香川真司が加入した次の年に、名将ファーガソンが引退し、彼のサッカー人生が狂う事となります。
次のマンチェスターユナイテッドの監督に就任したのは、迷将モイーズ監督でした。モイーズ監督は、現代の流動的なサッカーのトレンドから逸脱した、昔ながらのイングランドスタイルのサッカーを推し進め、7位と低迷してしまいます。
香川真司も戦術的要因から、スタメンから外れることが多くなり、世界中で「Free Shinji」という声が集まりました。
結果的にモイーズ監督は、一年足らずで解任となり、今度はファンハール監督に交代しました。ファンハール監督は、豊富な資金にモノを言わせ、自分好みの選手を世界中から買いまくりましたが、結果は伴わず、4位に終わってしまいました。
ちなみにこの年の香川真司の年俸は約700ユーロ(約11憶円)でした。
マンチェスターユナイテッドによって買い殺されていた香川真司は、年俸よりも出場機会を求めて、古巣であるドルトムントに出戻り加入をしました。
ドルトムントに二回目の移籍を果たした香川真司の移籍金は約700万ユーロ(約10憶円)とされています。
また、年俸は約400万ユーロ(約6億円)とマンチェスターユナイテッド時代の約半分となりました。
しかし、2010-11、2011-12シーズンのドルトムントを優勝に導いた香川真司へのドルトムントからの信頼は厚く、28試合に出場し5ゴールを決めました。
また、移籍二年目もほとんど主力として活躍し29試合9ゴールを決めています。
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