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2023/12/28
大今里
主に極道や任侠の世界を描いた暴力映画やドラマで、チンピラヤクザ役などを演じて人気者となり、かつて「Vシネマの帝王」と呼ばれていた哀川翔。
現在までに100本を超える作品に出演しています。
そんな哀川翔は、カブトムシ好きであることも有名です。
しかも、趣味として自宅でカブトムシを育てるだけでなく、自らカブトムシの飼育キットも販売、カブトムシ用のゼリーの共同開発まで手掛るほどの熱中ぶりです。
哀川 翔(あいかわ しょう)
本名 福地 家宏(ふくち いえひろ)
生年月日 1961年5月24日
出身 鹿児島県鹿屋市
生まれ 徳島県徳島市
身長 178cm
哀川翔が20代の頃の1980年代、渋谷区のNHK前広場で活躍していた路上パフォーマンス集団「劇男一世風靡」に、所属。
哀川翔は、1984年に一世風靡セピアのメンバーとして、「前略、道の上より」でレコードデビューします。
このグループでの哀川翔は、柳葉敏郎らのメンバーとともに「そいや!そいや!」と男気あふれるパフォーマンスを披露しています。
そして、長渕剛から依頼を受けて、出演したテレビドラマ「とんぼ」をきっかけに、俳優としても活動をはじめます。
哀川翔は、徳島県で誕生しました。その後、海上自衛隊だった父親の転勤により、幼少時代はあちこち転々とします。
しかし、哀川翔が5歳のとき、父親が徳島沖での訓練中に航空機同士の衝突で事故死し、母親とともに、母の実家の鹿児島県鹿屋市に移り住みます。
哀川翔がカブトムシ好きになったのは、5歳のころ、父親が持ってかえってきたカブトムシがきっかけ。その後、現在まで哀川翔のカブトムシ愛は続いています。
哀川翔は、4、5年程前から、茨城県かすみがうら市の株式会社ミタニの養殖場の一角で、毎年5,000匹以上もカブトムシを育てているそうです。
なかには、88ミリを超すカブトムシもいて、ギネス申請(ギネスホールディングではなく日本の「むし社」のギネスです。ここでのギネスは、カブトムシ愛好者にとっての、名誉とステータスの証らしいです。)したことも話題になりました。
哀川翔は、ここで養殖したカブトムシの販売もしています。
哀川翔が育てたカブトムシの値段は、オス、メスのカップルで1,219円。
幼虫から孵って傷のついてない身体のキレイなカブトムシは、一般的に1,400円くらいするので、利益度外視の値段だと思います。
子ども時代の夏休み、だれもがカブトムシやクワガタを飼育した経験があると思います。
ただ、現在では、自然のなかでカブトムシをつかまえるのは至難のわざ。
たいていは昆虫売り場で、親に一匹数百円のカブトムシを買ってもらい、虫かごに土(虫かごに敷くカブトムシ用のマット)や木を入れて育てるのが普通になっています。
ただ、オス一匹メス一匹の1つがいから孵化した成虫は早死にしてしまいます。本格的に、カブトムシを交尾させて産卵させるためには、オス一匹メス三匹のハーレム状態が理想だそうです。
しかし、どのみち9月を過ぎると、成虫になったカブトムシは死んでしまうので、夏休みの飼育にはちょうどいいと思います。
哀川翔アニキのカブトムシ飼育セット
哀川翔は、カブトムシの飼育セットと産卵セットもプロデュースしています。
この飼育セットと産卵セットには、哀川翔のこだわりがいっぱいつまっています。
また、哀川翔が共同開発したカブトムシ用ゼリー(カブトムシに、すいかやきゅうりをあげるとお腹をこわしてしまうそうです)もあわせて販売しています。
平成29年9月23日(土曜日:祝日)に北海道紋別郡遠軽町の丸瀬布昆虫生態館でオープン20周年の記念事業として、開催された哀川翔の飼育教室は大盛況だったそうです。
いつまでも、哀川翔は、熱いカブトムシ愛を語る少年の心をもったアニキとして、みんなの心に存在し続けることでしょう。
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