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    男気あふれる哀川翔アニキは50歳を過ぎてもカブトムシを愛する少年

    哀川翔は、歌手としてデビュー後、俳優、レーシングドライバーなど幅広い活躍をしている人気タレントです。現在では、テレビのバラエティ番組への出演も多く、そこでカブトムシについて熱く語る哀川翔のカブトムシ愛も話題をあつめています。

    哀川翔のカブトムシ愛が止まらない

    主に極道や任侠の世界を描いた暴力映画やドラマで、チンピラヤクザ役などを演じて人気者となり、かつて「Vシネマの帝王」と呼ばれていた哀川翔。
    現在までに100本を超える作品に出演しています。
    そんな哀川翔は、カブトムシ好きであることも有名です。
    しかも、趣味として自宅でカブトムシを育てるだけでなく、自らカブトムシの飼育キットも販売、カブトムシ用のゼリーの共同開発まで手掛るほどの熱中ぶりです。

    哀川翔のプロフィール

    哀川 翔(あいかわ しょう)
    本名 福地 家宏(ふくち いえひろ)
    生年月日 1961年5月24日
    出身 鹿児島県鹿屋市
    生まれ 徳島県徳島市
    身長 178cm

    哀川翔が20代の頃の1980年代、渋谷区のNHK前広場で活躍していた路上パフォーマンス集団「劇男一世風靡」に、所属。
    哀川翔は、1984年に一世風靡セピアのメンバーとして、「前略、道の上より」でレコードデビューします。
    このグループでの哀川翔は、柳葉敏郎らのメンバーとともに「そいや!そいや!」と男気あふれるパフォーマンスを披露しています。
    そして、長渕剛から依頼を受けて、出演したテレビドラマ「とんぼ」をきっかけに、俳優としても活動をはじめます。

    哀川翔がカブトムシ好きになったきっかけ

    哀川翔は、徳島県で誕生しました。その後、海上自衛隊だった父親の転勤により、幼少時代はあちこち転々とします。
    しかし、哀川翔が5歳のとき、父親が徳島沖での訓練中に航空機同士の衝突で事故死し、母親とともに、母の実家の鹿児島県鹿屋市に移り住みます。
    哀川翔がカブトムシ好きになったのは、5歳のころ、父親が持ってかえってきたカブトムシがきっかけ。その後、現在まで哀川翔のカブトムシ愛は続いています。

    哀川翔は5000匹のカブトムシを養殖している

    哀川翔は、4、5年程前から、茨城県かすみがうら市の株式会社ミタニの養殖場の一角で、毎年5,000匹以上もカブトムシを育てているそうです。
    なかには、88ミリを超すカブトムシもいて、ギネス申請(ギネスホールディングではなく日本の「むし社」のギネスです。ここでのギネスは、カブトムシ愛好者にとっての、名誉とステータスの証らしいです。)したことも話題になりました。
    哀川翔は、ここで養殖したカブトムシの販売もしています。

    哀川翔のカブトムシの値段

    哀川翔が育てたカブトムシの値段は、オス、メスのカップルで1,219円。

    幼虫から孵って傷のついてない身体のキレイなカブトムシは、一般的に1,400円くらいするので、利益度外視の値段だと思います。

    子ども時代の夏休み、だれもがカブトムシやクワガタを飼育した経験があると思います。
    ただ、現在では、自然のなかでカブトムシをつかまえるのは至難のわざ。
    たいていは昆虫売り場で、親に一匹数百円のカブトムシを買ってもらい、虫かごに土(虫かごに敷くカブトムシ用のマット)や木を入れて育てるのが普通になっています。

    ただ、オス一匹メス一匹の1つがいから孵化した成虫は早死にしてしまいます。本格的に、カブトムシを交尾させて産卵させるためには、オス一匹メス三匹のハーレム状態が理想だそうです。
    しかし、どのみち9月を過ぎると、成虫になったカブトムシは死んでしまうので、夏休みの飼育にはちょうどいいと思います。

    哀川翔プロデュース カブトムシ飼育セット&産卵セット

    哀川翔アニキのカブトムシ飼育セット

    哀川翔は、カブトムシの飼育セットと産卵セットもプロデュースしています。
    この飼育セットと産卵セットには、哀川翔のこだわりがいっぱいつまっています。
    また、哀川翔が共同開発したカブトムシ用ゼリー(カブトムシに、すいかやきゅうりをあげるとお腹をこわしてしまうそうです)もあわせて販売しています。

    少年の心をもったアニキ 哀川翔

    平成29年9月23日(土曜日:祝日)に北海道紋別郡遠軽町の丸瀬布昆虫生態館でオープン20周年の記念事業として、開催された哀川翔の飼育教室は大盛況だったそうです。
    いつまでも、哀川翔は、熱いカブトムシ愛を語る少年の心をもったアニキとして、みんなの心に存在し続けることでしょう。

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