木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
本名:森田一義(もりた かずよし)
生年月日:1945年8月22日
出身地:福岡県
職業はお笑いタレント・司会・漫談家
タモリさんが産まれた1984年8月22日は太平洋戦争終戦の1週間後。
タモリさんは、赤ちゃんコンテストで優勝した経験があるようです。
仰天エピソードといえば、幼稚園のお遊戯があわず、自分にはできないと言って入園拒否
小学校に上がるまで、坂道に1日中立って人間観察をしていたようです!
今でも坂道が好きで有名なタモリさん。
小学校3年生の時、電信柱のワイヤーが目に刺さり、右目を失明。
全然知らなかった事実。サングラスなのはそれでなのか。
料理を覚えたのは祖母から「男も料理できないといけない。見てなさい」と言われて、暇つぶしに見ていたらだし汁の取り方などもすべて覚えて今に生かされているようでうす。
奥様は2歳年上で、タモリさんの個人事務所の社長
タモリさんの名言はちょっと笑えるのもありますが、名言の域を超えた名言も数知れず存在します。
紹介できる限り、タモリさんの名言を紹介したいと思います。
[深イイ名言]
・人見知りじゃない奴は面白くない。
・前を向いて歩いてたって、つまんない。後ろを振り返ったほうが「あれが楽しかった」って楽しいよ
・人間って「自分がいかにくだらない人間か」ということを思い知ると、スーッと楽になれるんじゃないかな。
・好きな言葉は「適当」
・名言は好きです。でも、名言を言おうとする人は嫌いです
・健康のためなら死ねる。
・俺のやる事に意味なんかあるわけないだろ!
[笑える名言]
・あんまり背が高くてもAVでは人気が出ないんだよ。160がちょうどいい。163はダメ。全部オレが基準。
・俺は5歳までは、無意識で生きていた。
・抜け毛は気にするとダメなんだ。オレなんか、気にするのをやめたとたん、ピタっと止まったよ
・下ネタは楽しいよ、誰も傷つけないからね。
みなさんにはどの名言が響きましたか?!
NHK「ブラタモリ」
この番組は受賞
このゆったり感が大好きな番組です。
「笑っていいとも」時代は週5日の生放送でどこへも行けなかったタモリさんなので、この番組でのんびり歩いている姿みると「よかった」と思います。これも仕事ですが。
1982年~2014年まで32年間続いた「笑っていいとも」最終回の日は国民が新宿アルタ前に押し寄せて、タモリさんを労いました。こんなに国民が愛していた番組はありません。
老若男女があの音楽が聞こえるとお昼だとホッして、暗いニュースばかりより、この時間ぐらいは笑いながら息つく時間だったと思います。
視聴率という存在がありますが、これだけ愛されてる「笑っていいとも」が悪かったはずがありません。
タモリさんの言葉に救われていたのは芸能界の中でも、元SMAPのメンバーだと思います。
「笑っていいとも」が32年の幕を下ろす時、当時SMAPだった香取さんが涙しながら「タモリさんに週1回会えるのが癒しだった」という言葉は名言です。
SMAP×SMAP最終回のゲストとして出演。
SMAPに送る名言が話題に。
・スマップは立派だよ。小さい時からずっとずっとメンバーみんなで力を合わせて、これだけ長い間、一生懸命走ってきたんだ。
・人生に勝敗なんてないし、どっちがいいとか悪いとか、そんな判定みたいなことなんてどうでもいいんだ。大切なこと、それは引きずらないことだ。乾杯すればそれで仲良し。やったことはすぐ忘れる。それが大事。人間なんて、そんなものだ。
大親友の井上陽水さんも福岡出身。
NHKの「ブラタモリ」の曲は井上陽水さんの書き下ろし。
タモリさんは「ボクは旅先で情緒が一切ない人間でして。補ってくれる曲を作ってくれる陽水は分かってくれている」と感謝していました。
井上陽水さんの名言も何個か調べてみました。
・「ブーム」っていうのは、ワケのわからない感じになっていく。
・お茶の間は大事だよ。お茶の間はバカにしちゃいけないよ。
・やらざるを得ないという、そんな状態のほうが励める。
国民に愛され、そして芸能界でもお父さん的存在のタモリさん。
写真のような共演はタモリさんの為だからこそ実現したこと。
それでも、自分は前に出ず後ろからみんなを見て喜んで楽しんでるタモリさんの姿には泣けます。すばらしいです。
もっとタモリさんを見れる番組作って欲しい。
これからもタモリさんの笑顔、名言が見れて聞ける機会楽しみにしています。
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