木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
TVのニュース番組の「ZERO」エンディングテーマ曲だった、福山雅治さんの「道標」という曲の歌詞が、何か深い意味があるような感じがしませんか。実はこれ、福山雅治さんの実のおばあちやんのことを歌詞にした曲なんだそうです。
聞いていてその光景が目に浮かぶようだったのは、現実にいたおばあちゃんを思い出して歌詞を書かれたからなんでしょうね。何かジーンとくるような歌詞ですよね。おばあちゃんは、もうこの世には居られないようですが、福山雅治さんの心の中には、今も生き続けているのでしょう。
福山雅治さんの幼少時代は、決して裕福ではありませんでした。働かない父親の代わりに母親が苦労をして、一つ上の兄と福山さんを育てたのです。実は、福山雅治さんのおばあちゃんもやはり女手一つで福山さんの母親を育てた人でした。
おばあちゃんは、生計を長崎のみかん畑で立てていました。子供を育てるためとはいえ、女性一人でみかん畑をやっていくのは、相当な忍耐と努力があったことを伺わせますね。歌詞にある「私はこの手が好きです~」という部分がありますが、あれは福山さんのおばあちゃんの手のことなんです。
TV放映されているニュースZEROから、エンディングテーマを書いてほしいとの依頼の際、条件がありました。その年のエンディング曲のテーマは「命」でした。その時に頭に浮かんだのが、おばあちゃんだったそうです。
命というと、重いテーマになるような感じがしてしまいますが、福山雅治さんの脳裏には大きな規模の命というより、身近な命のテーマで書きたいという気持ちがあったのです。福山雅治さんの脳裏に浮かんだおばあちゃんの姿こそ「命」であり、「道標」なのですね。
「道標」の歌詞の中に、おばあちゃんとのエピソードが上手く表されている部分があります。今から15年前、福山雅治さんは多忙なスケジュールで精神的にも肉体的にも限界に近い状態の時があったそうです。
長崎にいるおばあちゃんが足腰を痛めたと知らせが、福山雅治さんにも届きます。福山雅治さんは、伝言で「ゆっくり休んで」と伝えました。すると、おばあちゃんは「畑が呼んでいる」と言って休むことはなかったのです。
それを聞いて福山雅治さんは衝撃を受けます。『おばあちゃんはたった一人で自然と大地に向き合い、共に生きている。』『それに比べて、おれはなにを甘えているんだ!』と思ったそうです。
その時のエピソードが伺える部分が「道標」の歌詞にはしっかり描かれています。福山雅治さんの母親を育て、自分をいつも笑顔で迎えてくれたおばあちゃんこそが、人生の「道標」になってくれているのですね。
福山雅治さんから見たおばあちゃんの生き方はどのように映っているのでしょう。「贅沢もせず、楽しみは読書ぐらい。みんなが楽しく幸せならいいと考えて素朴で潔い。」そう福山雅治さんは語っていますね。
それから、こうも語っています。「尊敬しています。苦労も人一倍してきたと思う。それでもいつも笑顔。もし素朴で清潔なおばあちゃんの生き方が少しでも僕に受け継がれているならば、失いたくない。原点にしたい。」
福山雅治さんがどれだけおばあちゃんを尊敬いしているかが、すごく伝わってきますよね。このおばあちゃんへの思いが込められている「道標」の曲は、人々に勇気を与えてくれるに違いありません。
福山雅治さんが見ている命の道標は、女手一つで子供を育て、福山家を繋いできたおばあちゃんがいたからこそ、今自分がここにいるのだというようなことも感じる部分があります。苦労をして生き抜いてきた命の強さを受け継いで行きたい、という気持ちが伝わってきます。
大きく見れば、それは人類全体にも言えることではないでしょうか。先祖がいたから自分がいる。生き抜いてきた強さを自分も受け継いで、次の世代にバトンタッチして行く。永遠と続いてきた人類の生き方の中に、自分の人生の道標を見つけられたら幸せではないでしょうか。
福山雅治さんがだけではない、誰にも繋がる意味が道標という歌詞から感じるのです。道標を見失ったら、誰でも迷ってしまいます。自分の道標を見つけてみては如何でしょうか。何か人生の指針が見えてくるかもしれませんね。
自分の手が、おばあちゃんの手に似てきたと語る福山雅治さん。「道標」を歌う際には、祖母の手に似てきた自分の手を見ながら、その笑顔を思い浮かべ、生き方に対する尊敬と命が受け継がれたことに対する感謝を、祖母に伝えるように歌います。
そんなことを語っています。今まで「道標」の歌の意味を知らなかった人は、このような気持ちから生まれた歌なんだと、改めて感じながら聞いてみるのも良いのではないでしょうか。
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局