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    海外でも絶賛されるhydeの美しいメイク画像と凛々しい素顔をご紹介!

    hyde と言えばビジュアル系バンド『L'Arc〜en〜Ciel』のボーカリスト。その綺羅びやかなメイクと凝ったヘアスタイルで有名ですが、素顔も48歳という年齢を感じさせない美貌で知られます。そこでここでは hyde のメイク姿や素顔画像を集めてみました。

    女性と見紛うようなメイクとファッションの hyde

    hyde (ハイド)は22歳の1991年、現リーダーの tetsuya さんに誘われてセッション後、『ラルクアンシエル』(L'Arc〜en〜Ciel)と命名したバンドグループを共に立ち上げました。

    結成当初から現在に至るまで、その美しい容姿にアーティスティックなファッションで世界中にも人気が広がりました。

    それ以降、日本のみならず世界中でライブツアーを展開しています。

    国内外での人気が年齢に関わらず衰えることのない hyde の魅力をご紹介していきます。

    hyde プロフィール:ノーメイク画像

    出身地:和歌山県和歌山市
    生年月日:1969年1月29日(水瓶座)ー現在48歳
    本名:寶井秀人(たからいひでと)
    身長:161cm
    家族:妻は大石恵(女優、キャスター、タレント)ー現在44歳、2000年結婚
    2003年長男「玲(れい)」誕生(現在14歳)

    学歴:大阪市内のデザイン専門学校グラフィックデザイン科卒業
    特技:絵画・イラストレーション・デザイン・英語による作詞

    音楽以外の公職:USJ 主催『ユニバーサル・クールジャパン』のオフィシャル・サポーター就任(2015年)
    音楽以外の親交:日本画家、金子國義(2015年逝去:享年78歳)
    画家の天野喜孝(『ファイナルファンタジーシリーズ』デザイナー)ーコラボ展覧会開催

    年齢的に、もう中高年なのにも関わらず、hyde の素顔は俗に言う「おっさん」という風貌からは程遠いですね。穏やかで上品な目鼻立ちの男性です。

    このように美しく整った顔立ちだからこそ、華やかで個性的なメイクが驚くほど似合うのではないでしょうか。

    奥さんの大石恵さんは高校時代はフィギュアスケート選手。短大在学中に読売ジャイアンツのマスコットガールとして活躍していたそうです。短大2年時にスカウトされ芸能界入りしました。

    hyde とは1998年音楽バラエティ番組『うたばん』に出演したのが馴れ初めで、hyde からラブアタックされたとのことです。

    大石恵さんは目元や鼻筋などの顔立ちがご主人の hyde によく似ていますね。

    真似をしたくなる hyde のメイク方法とは?

    hyde はどうやってメイクをしているのでしょう?その仕方が気になりますね。

    hyde の華やかなメイクの最初にベースとなるのが、顔の輪郭や陰影をつけるシェーディングの上手な活用です。

    パウダータイプのシェーディングをフェイスラインにサッと入れると、hyde のようなシャープな輪郭になります。

    また小さめのブラシで、眉頭から鼻筋をシェーディングで丁寧になぞると、hyde のような整った陰影ある鼻となり、顔立ちが小顔で美しく見えます。

    素顔でもメイクでも、まず顔をはっきりと印象づけるのは眉のラインです。毛流れを整えるために、無駄な毛や伸びた毛は丁寧に剃ります。

    hyde 眉のようなきれいな形を描くためには、目頭のすぐ上辺りにアイブロウを持って来て、すっと斜め上に描くようにすると、hyde の雰囲気に近づきます。

    さて更に、hyde 風メイクの最大のポイントはアイメイクですね。アイシャドウが大きなキーとなりますが、ナチュラルに決めたい場合はブラウン系がお勧めです。

    クールでミステリアスな印象により近づけたい場合はグレー系です。

    二重まぶたにしっかりとベースシャドウ、そして一番濃い色を二重の幅に塗ったあと、自然になるようぼかしていきます。下まぶたにもしっかりとアイシャドウを塗ると、よりhyde 風な神秘的インパクトが出ます。

    くっきり二重でない人にはアイプチをまずしてからがいいでしょう。

    仕上げはマスカラ、そしてカラコンです!

    マスカラは自分の睫毛の長さと分量をよく考えて、ロングタイプかボリュームタイプを選択しましょう。マスカラの下地も忘れずに!

    次に透き通ったような瞳になるために、グレーか青のカラコンをつけます。これでhyde 風メイクが完成します。

    ラルクアンシエルの結成とワールドツアーまで

    『ラルクアンシエル』は略称「ラルク」とも呼ばれます。リーダーの tetsuya さんが、Jelsarem's Rod のギタリストをやっていた hyde を誘い、兵庫県西宮市でセッション。

    このセッションで手応えを感じた hyde は Jelsarem's Rod を解散、仲間だった pero と共にラルクアンシエル結成に参加しました。

    1991年、hyde 22歳の時でした。

    ラルクアンシエルのネーミングと意味

    「ラルクアンシエル」(L'Arc〜en〜Ciel)はフランス語で「虹」という意味です。これはラルクリーダーの tetsuya さんが大阪の喫茶店名にヒントを得て、新しいバンドのネーミングとした、という説があるそうです。

    グループ名はフランス語において「虹」を意味する l'arc〜en〜ciel (フランス語発音:ー中略ー ラルカンスィエル、ラフカンスィエル)。

    グループ名決定の経緯は諸説あり、阪急梅田三番街にある喫茶店の名前をtetsuyaが気に入り、そこから取ったという説が有力であるとされてきたが、tetsuyaによって否定された。

    実際には、当時本屋などで資料を探していたtetsuyaがこの言葉をたまたま見つけ、見た目や響き、さらには様々な色を表現する「虹」が「音楽」の表現という点で共通していると感じたため、この名前をつけたという。また、tetsuyaは「長くて覚えにくいけど、ローマ字表記にしたらインパクトがあると思った」とも語っている。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    「ラルクアンシエル」ー本当にステキな響きですが、七色でできていると言われる色彩の魔術のような虹、この自然現象を様々な音で構成される音楽と同じととらえたリーダー tetsuya さんのセンスは実に優れていますね。

    ラルクのリーダー、tetsuya さん(左)と hyde。結成してからほぼ10年ほど経った頃の画像と思われます。

    現メンバーの構成と担当は次のとおりです。

    hyde :作詞・ボーカル・ギター・ブルースハープ(ハーモニカ)・サクソフォーン担当
    tetsuya :ベース・コーラス・レコーディング・ギター・キーボード担当
    ken:ギター・コーラス・キーボード担当
    yukihiro:キーボード・プログラミング・DJ 担当

    ラルクアンシエル当初の活動ーhyde をボーカルに迎えて

    1991年2月頃結成されたラルク初のライブは5月30日。ホームグラウンドにしていた大阪市浪速(なにわ)区のライブハウス『難波ROCKETS』において他のバンドも呼んだ対バンライブでした。

    地道なスタートながらも観客100人以上を動員。

    ラルクアンシエル初のワンマンライブは同年9月27日、同ライブハウスで開催されました。この際は300人以上の動員。この観客数は、どこにも所属しないインディーズバンドとしては異例とされました。

    それだけラルクへの人気が急速に高まっていった証拠なのではないでしょうか。

    L'Arc~en~Ciel - Lies and Truth ( live )

    こちらは1993年7月3日、難波ROCKETS で行われたラルクアンシエルのライブ映像です。この時 hyde は24歳。眉やアイメイクは控えめです。

    生まれつき眉が整った、睫毛が長い美形なので、うっすらアイシャドウメイクだけでもキレイです。ヘアスタイルも素のままといった感じで、美声を響かせています。

    とても24歳に見えず、まだ16歳ほどの美少年といった印象ですね。バンド結成から2年後のライブですが、もう会場は満員、当時の人気ぶりが伝わって来ます。

    L'Arc~en~Ciel - Shutting from the Sky [Dune]

    この動画も難波ROCKETS での1993年ライブ。結成後2年目、この hyde の男性らしく優しいボイス、そしてやはりアイメイクはほとんどしておらず、素顔のままです。髪を長く伸ばしたスタイルだけですが、この hyde はエマ・ワトソンに似ていますね。この中性的な魅力にもう観客は大歓声です。

    公式発売CD からメジャーデビューまで

    1993年1月には初の公式CD アルバム『DUNE』を発売したラルクアンシエルでした。レコーディングに約1ヶ月を費やした初のアルバムです。

    その後も実に地道に活動を続け、翌年1994年7月1日には、メジャーレーベルとしての本格的なデビューとなるビデオシングル『眠りによせて』を発表。

    その2週間後に『Tierra』(メジャー初アルバム)、またそのわずか1週間後に『Blurry Eyes』(ファーストシングル)を発売しました。

    メジャーデビュー後は頻繁にTV音楽番組出演をするようになったラルクアンシエル。この理由を、hyde 自ら次のように語っています。

    「ロックバンドを普通の人が見る機会って実は少ないと思ってて、僕らみたいなキャラクターの人間が出ることによってこういう音楽があるって知らしめられると思った」

    出典:https://ja.wikipedia.org

    この言葉は、hyde 自身が「アーティスティックな独特の美的感覚のファッションに身を包んだボーカルが自分の担当であり、ラルクの見せ所である」こと、そして「そのスタイルがラルクアンシエルのためにも大きなメリットなのだから、どんどん表に姿を出そう」と思っての発言だったと思われます。

    初の武道館公演からアルバムミリオンセラーまで

    ラルクアンシエルにとって、国内での大舞台、武道館コンサートは結成から4年後の1995年が最初でした。

    1996年12月には初のオリコン1位獲得となったアルバム『True』を発売。この曲は発売後ほんの1ヶ月半でミリオンセラー(100万枚以上売上)となります。

    映像ディレクターを迎え CM で全国にアピール

    1999年~2000年の時期(結成8~9年目)にはフリーの映像ディレクターがラルクの活動を第三者の視点から広告や CM にし、ファンやロックバンドを知らない人々の目を一層惹きつけるようになりました。

    後年に箭内(やない)道彦(東京芸術大学准教授・クリエイター・映像ディレクター)は当時のディレクションを振り返り、「アンチで人を驚かせるようなものはマイナーな場所には山ほどあるが、それをメジャーシーンでやることに意義がある」として、「メジャーで、アンチで、びっくり」をテーマに広告を制作していたと述べている。また、「常に世の中やファンを裏切るような、次に何が出てくるかわからないような流れを作りたかった」と述懐している。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    箭内ディレクターは、hyde の音楽嗜好であるイギリスの「ニュー・ウェイブ」「ゴシック・ロック」アメリカの「ハードロック」「ヘヴィメタル」や、やはりイギリスの「スパンダー・バレエ」「デペッシュ・モード」などのニュー・ウェイブ系旗手グループを考えたようです。

    主として「イギリスのミュージシャンにはまっていた」という hyde の好みを考慮し、そのような、常に世の中に新鮮な驚きを与える傾向のバンドとして、ラルクアンシエルを世間に広めていったと思われます。

    ラルク結成13年目ー初の海外ライブ:アメリカ及びアジア公演

    またラルクにとっての初の海外公演は2004年、結成13年目のことです。米メリーランド州ボルチモアで開催される『OTAKON 』(東アジアの文化を紹介する一大イベント)の一環としての参加でした。

    翌年2005年には東アジアを中心とした『ASIALIVE 2005』と称したライブツアーを開催、主としてソウル及び上海でライブ公演を行いました。

    結成14年目、ラルクアンシエルはこのように海外でもファンの裾野を徐々に広げていきます。

    結成17年目ー初の欧州公演:アジアからパリまで

    結成17年目に当たる2008年には『TOUR 2008 L'7 〜Trans ASIA via PARIS〜』を開催。

    このライブツアーでは世界7都市(東京、大阪、ソウル、香港、上海、台北、パリ)での公演を実施、パリでの公演はラルクにとって初の欧州公演ともなります。

    この頃にはほぼ世界中に『ラルクアンシエル』の存在は知れ渡っていたと思われます。

    最初は大阪市でも南部の難波でマイナーバンドとして活動していたラルクアンシエル。

    世界を舞台に羽ばたいていった姿のバックボーンには、国内の熱狂的ファンの存在とメンバーの清々しいスター意識の成長が感じ取られます。

    WORLD TOUR 2012ー結成21年目:ニューヨークMSG でも日本人初のライブ公演

    結成21年目に当たる2012年には『WORLD TOUR 2012』を実施。

    このライブツアーでは実に世界10カ国14都市を廻り、日本公演を含め45万人の観客を動員。

    アメリカではニューヨーク市マンハッタンにある世界的にも有名なエンターテイメント会場『マジソン・スクエア・ガーデン』(略称:MSG)でもライブを開催。

    この MSG での公演は、日本人ミュージシャンとして初の快挙です。

    アメリカ、ヨーロッパの人気を大々的に獲得するということは、世界的成功を成し遂げたに等しいことです。

    ラルクアンシエルはこうして日本人ロックバンドとして全世界に不動の地位を築き上げました。

    普通の化粧品メイクだけでお化粧した女性よりも美しい hyde

    ラルクアンシエルのライブでは綺羅びやかなロングウィッグにやや濃いアイメイクといったスタイルが多い hyde ですが、

    他にも軽いメイクとロングヘアだけで、とても男性とは信じられない美女に変身することができます。

    いくら男性で顔立ちが良いと言っても、メイクの仕方でここまで素晴らしくミステリアスな美女になれる人はそうそういないでしょう。

    本当に hyde という人は、真っ直ぐな額から眉、彫りの深い目元、真っ直ぐで高い鼻筋、また唇と鼻の距離が近いので、ほとんど基盤からして日本人離れした美貌の持ち主です。

    こちらは4年前、44歳の hyde です。この程度のメイクなら、一般的な女性とそう変わりません。それでもこの信じがたい美貌に見とれてしまいますね。

    この hyde はやはりナチュラルメイクを薄くしただけです。

    レースにパールが輝くヘアアクセサリーを首の後ろに付け、黒いロングヘアをふんわりと流し、純白のコスチュームを身に着けた姿は、まるで15歳の夢見る少女のような可憐さです。

    こちらの hyde は1993年の画像です。実年齢は24歳。

    目元に軽くアイシャドウ、口紅もほんのり桜色に留めただけのメイクです。あとは流れるようなロングヘアを白い衣装にふわりと垂らしているだけ。

    背景の紺碧の海と相まって、まるで19歳の北欧の美女としか思えませんね。

    実に神秘的な人です。

    普段の素顔も凛々しく美しい hyde

    もともと顔立ちが愛らしく生まれて来たからでしょうか、素顔の hyde は凛として可愛い面や、優しい雰囲気を持っています。

    素顔の hyde も大変魅力に富んでいます。

    作詞作曲の苦労と努力

    hyde の音楽以外の優れた才能は、絵画です。

    デザイン専門学校で学んだだけあり、日本画家の金子國義氏と長い間親交がありました。
    ソロアルバムのジャケット制作を金子氏に依頼することもあったと言われます。

    作詞は、hyde がすべて手がけています。以前の作詞方法は、やはり得意な絵を活かして、自分の描いたデザイン画にインスピレーションを受けて創作するやり方を実践していたそうです。

    現在でも、邦楽で尊敬する歌手はオフコースの小田和正氏とのことです。

    絵が上手いことを活かし、L'Arc〜en〜Ciel初期のライブ告知ポスターなどのデザインや、現在でもソロ活動時のプロモーションビデオの絵コンテを自ら描いている。また、作詞するとき、製作中の曲を聴いて浮かんできたイメージを画用紙に絵を描き、それを見て歌詞を作っていた時期があった。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    歌手やバンド活動をする人たちの、音楽への情熱や曲作りの苦労は、ファンには分からない部分も多いことでしょう。

    「オリジナルデザイン画で歌詞を自ら考えていく」という地道な努力を世界的ロックスターがこつこつと行っていることを知る機会もないだけに、このエピソードには新鮮な驚きを感じます。

    40代になってもまだ20代前半のような素顔

    こちらの hyde もノーメイクです。ヒット曲『XXX (kiss kiss kiss)』がアルバムになった頃です(2011年)。既に42歳の hyde ですが、まだ25歳ほどの青年のようですね。

    こちらもまったくのノーメイク。ちょっとお洒落なアップスにエスニックなアクセをプラスしただけで、女性モデルも顔負けの美貌とセンスの良さが光っています。

    終わりに:日本人ロックスターとして「最高に美しい」hyde への期待

    hyde はラルクアンシエルの花形スターであり、そのファッションと確かな歌唱力とは世界中のファンを魅了し続けています。

    少女時代からずっと憧れていたという女性ファンもいるほどで、「彼は私の人生を変えてくれた」と心酔する女性たちが後を絶ちません。

    日本人としてこれほどまでに天性の美に恵まれたロックスターは存在しなかったでしょう。

    hyde の今後の活躍がますます楽しみですね!

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