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    メークドラマを生み出す長嶋茂雄さん、数多くの伝説をご紹介

    読売巨人軍の選手・監督として活躍した長嶋茂雄さん。数多くのプロ野球記憶を残していますが、同時に数多くの伝説も併せ持っています。長嶋茂雄さんのプロフィールと共に、YouTubeで話題の伝説を5つご紹介します。動画は笑い必死のため視聴の際は、注意して見てください。

    長嶋茂雄さんプロフィール

    【生年月日】 1936年2月20日(81歳)
    【出身地】  千葉県印旛郡(現:佐倉市)
    【身長】   178㎝
    【経歴】   
    1958-1974年 読売巨人 選手
    1972-1980年 読売巨人 監督
    1999-2001年 読売巨人 監督 

    長嶋茂雄さんは、4人兄弟の末っ子として生まれました。

    野球が大好きな少年で、当時は大阪タイガース(現在の阪神タイガース)の藤村冨美男選手のファンで、プロ野球への道を目指しました。

    立教大学へと進んだ長嶋茂雄さんは、首位打者になるなど大活躍をします。
    高校時代から、プロ入りが確実視されていた長嶋茂雄さんは、大学卒業後、読売巨人軍に入団します。

    読売巨人軍のエースとして活躍

    長嶋茂雄さんの人気は高く、オープン戦(公式戦前の試合)ですでに7本のホームランを打っています。

    当時のプロ野球は、大学野球よりそれほど人気がありませんでした。
    しかし、長嶋茂雄さんを見たいがために、多くの人がプロ野球の試合に足を運んだそうです。

    長嶋茂雄さんは、期待に応え、入団初年だけで、ホームランを28本打ちました。
    この記録は、当時の新人本塁打プロ野球新記録でした。

    王・長嶋の『ONコンビ』でホームランを量産

    2年目を迎えた1959年、王貞治さんが読売巨人軍に入団しました。

    1年目ながら、主力として活躍を期待された王貞治さんは、長嶋茂雄さんと共にホームランを量産していきました。この2人のコンビは、3番・王貞治、4番・長嶋茂雄の『ON砲』と称されました。


    長嶋茂雄さんたちの活躍もあり、読売巨人軍は1965年~1973年までセントラル・リーグ優勝、日本シリーズ制覇を達成しました。
    当時の功績は『V9』と称して、当時の読売巨人軍の強さを後世に残っています。

    監督として活躍した長嶋茂雄さん

    1974年、長嶋茂雄さんは現役を引退しますが、翌年からは監督として読売巨人軍を率いることが決まりました。

    監督1年目は、最下位という苦いスタートでしたが、その後トータルで15年監督としてリーグ優勝5回、日本シリーズ2回制覇しています。

    現在も、巨人軍を活躍を見守る、長嶋茂雄さん

    長嶋茂雄さんは現在、株式会社読売巨人軍の専務取締役、終身名誉監督を務めています。

    読売巨人軍のキャンプ・試合視察などを数回行い、若い選手へ叱咤激励をしています。


    また、長嶋茂雄さんの背番号『3』は、読売巨人軍の永久欠番となっています。

    長嶋茂雄さんの伝説を、youtubeで振り返る

    選手・監督として、偉大な伝説的な記録を残してきた長嶋茂雄さん

    しかし、長嶋茂雄さんはプレー以外でも伝説を残しています。
    数ある伝説の中から、5つをご紹介します。

    長嶋茂雄さんの伝説①<皇室観覧試合>

    プロ2年目の1959年6月25日、後楽園球場(東京ドームの前にあった球場)で、読売巨人軍対阪神タイガースの試合が行われました。

    この試合は、昭和天皇がご観覧した、プロ野球史上初の天覧試合でした。


    試合は、4対4のまま9回の裏まで進みました。
    長嶋茂雄さんに打席が回り、2ストライク・2ボールからの5球目、長嶋茂雄さんは内角高めのボールを叩き、レフトスタンドへ伸び劇的なサヨナラホームランを放ちました。

    大学時代からスーパースターだった長嶋茂雄さんが、天覧試合でサヨナラホームランを打った出来事は、当時の新聞やテレビで大きく報道され、伝説の試合と後世に語り継がれています。

    この試合から、プロ野球人気が高まり、「プロ野球の興隆が始まった」とも言われています。
    長嶋茂雄さんの伝説的なプレーから、現在のプロ野球人気が始まったと聞くと、感慨深いですね。

    長嶋茂雄さんの伝説②<引退セレモニー>

    長嶋茂雄さんが38歳になった1974年、読売巨人軍はV10を逃してしまいます。

    この事がきっかけで、長嶋茂雄さんは現役引退を発表しました。
    引退を発表した翌日、試合後に長嶋茂雄さんは引退セレモニーで「我が巨人軍は永久に不滅です」と声高らかに宣言しました。


    このスピーチはその後、何度もテレビで放映され、伝説的なスピーチとなりました。

    長嶋茂雄さんの伝説③<長嶋茂雄語録>

    長嶋茂雄さん語録は有名で、伝説として語り継がれています。

    インタビューでも「パッ」や、「バシッ」などの擬音を多く使用して、熱く語るのが定番となっています。
    分かるようで、分からない、長嶋茂雄さんの語録は常に話題の的となってきました。

    長嶋茂雄さんの伝説④<仰天のエピソードの数々>

    1991年~1996年まで放送された、フジテレビの伝説的深夜番組『北野ファンクラブ』で、北野武さんが、長嶋茂雄さんの仰天エピソードを語っています。

    嘘のような本当の話ばかりで、伝説として語り継がれています。

    長嶋茂雄さんの伝説⑤<天然?狙ってる?>

    長嶋茂雄さんは、ファンサービス精神旺盛で、キャンプなどでも駆けつけたファンによく声をかけていました。

    その掛け合いが面白く、YouTubeでも伝説として多くの人に視聴されています。
    15年以上前ですが、今見ても笑いが止まりません。

    【まとめ】伝説が多い長嶋茂雄さん

    長嶋茂雄さんの伝説をご紹介しました。語りつくせない程の、伝説をお持ちの長嶋茂雄さん


    これからも数多くの伝説を生み出していくことを、多くの人が期待しています。
    いつまでも、元気でいてほしいですね。

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