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2023/12/28
大今里
1985年のバブル時代真っ只中に発売された荻野目洋子さんの代表作といえば、ダンシング・ヒーローですね。
当時のシングル売上30万枚突破するなど、荻野目洋子さん自身最大のヒット曲となりました。
今でも耳にしたりと、時が流れても色褪せることのない名曲となっています。
そのダンシング・ヒーローが発売から32年経過した今、再び人気急上昇しています。
その理由は一体何なのでしょうか?それから荻野目洋子さんはどんな方なのか、色々調べてみました!
名前 荻野目洋子(本名 辻野洋子)
誕生日 1968年12月10日
出身地 千葉県柏市
学歴 堀越高等学校
1979年に小学生アイドルグループ「ミルク」として歌手デビューをします。
しかし、2枚目のシングルがミルクでの最後の曲となり、グループは僅か1年で自然解散し、芸能活動も一端終了となりました。
高校生となった1984年「未来航海-sailing-」でソロデビューをしましたが、デビュー当初は大きなヒット曲に恵まれませんでした。
デビューから2年経ったころ、7枚目のシングル「ダンシング・ヒーロー」が初めてのオリコントップ10入りし、一躍有名となり、CMやバラエティー番組にも多く出演しました。
荻野目洋子さんの代表作ダンシングヒーローは1985年に発売されたAngie Gold(アンジー・ゴールド)のEat You Up(イート・ユー・アップ)のカバー曲となっています。
曲名候補には、「シンデレラ・ボーイ」もありましたが、荻野目洋子さんの所属事務所の社長の一声により「ダンシングヒーロー」となりました。
平野ノラさんといえばバブル芸人ですね!実は平野ノラさんは荻野目洋子さんの大ファンなのです!平野ノラさんのネタの中でも、よくダンシングヒーローが使われています。
平野ノラさんはバブル時代をネタにし、人気のある芸人さんです。
彼女のネタを見てバブル世代の方々は懐かしさを感じていることでしょう。一方でバブル時代を知らない今の10代から20代の若い世代の方々にはバブルネタがとても新鮮に感じます。平野ノラさんがネタに使うバブル用語も、若い世代の方々の中には全くわからないという方もいると思います。しかし、そこに面白さを感じ、若い子達の間でもとても人気があります。
そのバブルネタの中でよく使用されているのが、荻野目洋子さんのダンシングヒーローです。平野ノラさんのネタにダンシングヒーローが使われていることで、若い世代にもダンシングヒーローが伝わっていき、発売から32年経過した今、再び人気が急上昇しました。
ダンシングヒーローが再び人気が出始めた時に、大阪府にある登美丘高校のダンス部の部員たちによるダンシングヒーローのダンス動画がyoutubeにアップされました。
登美丘高校のダンス部員の子達がバブル時代の女性のメイクや髪型にボディコン姿でダンシングヒーローを踊っている動画がアップされたことでバブル世代の方々や若い世代の方々から反響がありました。
登美丘高校はダンスで有名な高校で、ダンス部に入部したくて受験する学生が年々増えているそうです。そんな登美丘高校のダンス部によるダンシングヒーローのダンスを観た荻野目洋子さんは大絶賛しました。
登美丘高校のバブリーダンスが日本中で反響を呼び、ダンシングヒーローも高校生の間でも人気となっていきました。
バブリーダンスの振り付けを考えたのは登美丘高校の卒業生で、ダンス部OGのakaneさんです。実はakaneさんも今年25歳になったばかりの若いコーチです。なのでバブル時代も経験していません。
akaneさんは元々80年代の曲が好きで、ダンシングヒーローの原曲である、Eat You Up(イート・ユー・アップ)が好きだったのがきっかけで、バブルを演出しようと思い、そこからバブリーダンスの振り付けを考えたのだそうです。
でもやはり、バブル時代を経験していないので、80年代の歌番組やドラマをみて、髪型や衣装の研究をしたようです!
ダンシングヒーローが再注目され、荻野目洋子さんのメディアへの出演が増えてきました。
しかし、ダンシングヒーロー以外での荻野目洋子さんの目立った活動が今のところないので、再ブレイクした今、紅白にでるのでは?などとも噂になっているので、今後の荻野目洋子さんの活動も楽しみに期待しています。
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