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2023/12/28
大今里
中村俊輔のプロフィール
中村俊輔選手は、1978年6月24日生まれで、神奈川県横浜市の出身ですね。高校は神奈川県を代表する名門校である桐光学園高校に進み、2年次と3年次には全国高校サッカー選手権大会に出場し、3年生の時には準優勝を飾っています。
その後もプロとしてのキャリアを横浜マリノス(現横浜F・マリノス)でスタートさせ、華々しい活躍を遂げていきました。
中村俊輔選手は、横浜マリノスに入団後、イタリアのレッジーナ、スコットランドのセルティック、スペインのエスパニョールと活躍の舞台を海外へと移していきました。
その中でもセルティック時代の活躍は目覚しいものがあり、多くのファン、サポーターの記憶にも残っているでしょう。
中村俊輔、セルティックでの活躍
2005年7月にセルティックに加入した中村俊輔選手は、すぐに頭角を現し、その年の国内リーグ戦優勝と、国内カップ戦優勝の2冠を達成しました。
中村選手は、その後2009年までの4年間をセルティックで過ごすことになり、サッカー選手としてのキャリアも絶頂を迎えていきました。
中村俊輔、セルティック時代の全ゴール
中村俊輔選手は、セルティックに所属していた当時、リーグ戦やカップ戦もすべて合わせると34ゴールを奪っています。その1点1点全てが美しいものであり、中村俊輔選手の活躍を彩っていくものでした。これらのゴールの記憶は、セルティックサポーターの中にも、我々日本人サポーターの中にも生き続けていくでしょう。
セルティックサポーターからも大人気
中村俊輔選手は、セルティックの中心選手として活躍し続けましたので、当然サポーターからの人気は絶大なものでした。
セルティックサポーターから「レジェンド(伝説)」と呼ばれるほどの人気ぶりで、チームにも数々のタイトルをもたらしてきました。
中村俊輔選手がセルティックから移籍する際には、一部のセルティックサポーターから「セルティックパーク(セルティックの本拠地)で引退してほしい」という声も上がるなど、その功績を称える声も上がるほどの人気ぶりでした。
また、セルティックの取材歴30年以上の担当記者からも、「セルティックサポーターは、たとえ30年たっても、中村のことは忘れない」と言わしめるほどの活躍ぶりでした。
伝説となった2本のフリーキック
中村俊輔選手を伝説と呼ばせるようになったのが、こちらのマンチェスター・ユナイテッド戦で決めた2本のフリーキックです。ヨーロッパチャンピオンズリーグという世界中のサッカーファンが注目する舞台で決めたフリーキックは、世界中に「中村俊輔」の名前を知らしめるに十分な価値のあるゴールでした。
ジュビロ磐田で活躍
中村俊輔選手は、エスパニョールで海外での挑戦を終え、日本のJリーグに復帰しました。2010年に日本復帰を果たすと、最初は古巣の横浜Fマリノスで活躍を続けていましたが、
2017年からは、同じ左利きの名波浩監督率いるジュビロ磐田で活躍しています。ジュビロ磐田の名門復活に向けて、中村選手のプレーが注目されています。
中村選手が横浜Fマリノスからジュビロ磐田に移籍する際も、多くのマリノスサポーターは残留を懇願し、マリノスに残ってくれることを信じていましたが、最終的にはジュビロ磐田への移籍が決まりました。
横浜FマリノスVSジュビロ磐田の一戦は、中村俊輔選手の所属が絡む一戦とあって、Jリーグの中でも注目を集めるカードとなっています。
まとめ
中村俊輔選手は、国内でも海外でも愛される選手であり、多くのファン・サポーターの心を掴んでいる選手と言うことができます。
セルティック時代もそうですが、数々の印象に残るゴールを決めてきたことや、チームにタイトルをもたらしてきたことが、中村選手の人気につながっていると言えるでしょう。
2018年には40歳を迎える中村選手ですが、今後の活躍にも期待したいですね!
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