HKT48のメンバー宮脇咲良は子役で劇団四季に出演していた!?
2015/10/19
sakurayuzu
HKT48およびAKB48の宮脇咲良が元劇団四季だったのをご存知でしょうか。劇団四季時代を含め、宮脇咲良の活動について調べてみました。
HKT48のオフィシャルHPより
宮脇咲良の紹介ページから。
宮脇咲良が芸能界を志すようになったのは、劇団四季のミュージカルがきっかけのようです。宮脇咲良の母親が2004年3月、福岡シティ劇場(現・キャナルシティ劇場)で公演された劇団四季のミュージカル『オペラ座の怪人』を観たことをきっかけに、ミュージカルにハマり、宮脇咲良もその影響を受けました。
子役時代
劇団四季の「ライオンキング」に出演。
福岡の芸能プロダクション「ナッツプロダクション」に子役として所属した宮脇咲良は、劇団四季『ライオン・キング』福岡公演にも出演した、すごい経歴の持ち主でした。
劇団四季は1953年浅利慶太らによって設立された学生演劇集団で、1960年に法人化し、1970年代に入ると商業ミュージカルに特化していきました。1979年に上演された『コーラスライン』は、劇団四季の年間上演数を飛躍的に上昇させ、劇団四季にとって画期となる演目となりました。
現在では1300人のスタッフを有し、年間総公演回数3000回、総観客数300万人を超える世界でも最大規模の演劇集団となっています。
劇団四季は仮設テント劇場などで上演していましたが、1993年に札幌に初の専用劇場をオープンさせたことを契機に、各地に専用劇場を設立していきました。現在では東京に4か所、大坂、名古屋、札幌にそれぞれ1か所の専用劇場を有しています。
その他、仙台、東京、横浜、福岡に関連劇場があり、東京一極集中ではなく、全国各地に感動の舞台を届けること、演劇をもっと身近にすることをテーマとして活動しています。
『ライオンキング』は劇団四季の代名詞的なミュージカル作品です。動物の王国プライド・ランドの王子として生まれながら、父を殺され、王国を追放されたシンバが、やがて成長して暴君スカーを倒して王国に平和を取り戻す模様を描いています。
四季では1998年より上演を続けており、ロングラン記録を更新しています。2001年には日本映画批評家大賞ミュージカル大賞を受賞し、2015年には上演回数1万回を突破しました。
「みなさん、はじめまして。」
週刊プレイボーイでグラビアデビュー。
2014年8月発売の週刊プレイボーイでは宮脇咲良がグラビアを飾ると同時に、エッセイで劇団四季のことについて、初めて触れた芸能の世界は劇団四季のミュージカルで、それまでで一番心に響いたと語っています。
「私もあの舞台の上で輝きたい」。小学生の宮脇咲良が心の底まで感動し、夢をいだいた瞬間を語っています。今の宮脇咲良を知るのになくてはならないエピソード。宮脇咲良にとって劇団四季との出会いは運命的なものだったと言えるでしょう。
宮脇咲良は小学3年生から鹿児島のミュージカルスクール「マリアミュージカルアカデミー」に通い始めました。同じくそこに通っていたのが、同級生で女優の上白石萌音です。
上白石萌音は、小学1年生のときよりそのスクールに通っており、中学1年生のときに先生の薦めで東宝シンデレラオーディションを受け、審査員特別賞を受賞し、芸能界入りしました。
2014年の映画『舞妓はレディ』で映画初主演を務め、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するなどその演技が絶賛されました。
宮脇咲良は2016年12月に放送された「FNS歌謡祭」(フジテレビ系)にHKT48、AKB48のメンバーとして出演し、同じく映画『君の名は。』の主題歌を歌った上白石萌音と再会を果たしました。宮脇咲良は再会に興奮した様子でツイッターにツーショット写真をアップしています。
劇団四季オーディション風景
競争率高し!劇団四季の子役オーディション。
子役の世界でも劇団四季の人気はトップ。そのオーディションは過酷です。宮脇咲良も幼い頃からその過酷な世界でしのぎを削ってきました。小学6年生でついに劇団四季の舞台に立つことができました。
小学生ながら、何度も挫折を味わってきた宮脇咲良。そのたびにくじけず前を向くことを幼いながらに学んでいったのですね。劇団四季に入るということがどれだけ人間を成長させるのか分かります。
「宮脇咲良は元ミュージカルスター」
有吉HKTラジオ局より。
劇団四季の厳しさをご存知でしょうか。オーディションも過酷ですが、選ばれたその先も並大抵の稽古ではないのです。宮脇咲良も、小学生でもプロとして大人と同様のハイレベルなパフォーマンスが求められる壮絶なところであったと語っています。劇団四季の舞台裏を知ることのできる動画があるのでご覧ください。
劇団四季の過酷な稽古風景。
子役といえど、劇団四季の稽古は非常に厳しいことの分かる動画ですよね。宮脇咲良もこの厳しい稽古をのりこえて、劇団四季の舞台に立っていたわけです。
四季芸術センター
見学レポートより。
宮脇咲良が学んだという劇団四季の「慣れは去れ」とは何でしょうか。四季芸術センターにもその言葉が見られます。それは、舞台に立つなかでの「慣れ」はやがて「だれ」「崩れ」につながる、自身を顧みられない者は劇団を去れ、という厳しい教えです。
演技者を目指す宮脇咲良にとって、この劇団四季の戒めは非常に大きな影響を与えたようですね。稽古風景を見ていると、「慣れは去れ」と同時に「一音落とすものは、去れ」を劇団四季が厳格に守っていることが分かります。
ライオンキングのキャスト一覧
「ヤングナラ」のところに「宮脇咲良」の名前が!
宮脇咲良が子役として劇団四季に出演したのは「ライオンキング」でした。当時の動画が残っているのでご覧下さい。
宮脇咲良の子役時代
劇団四季「ライオンキング」に出演する宮脇咲良の練習風景です。すごい演技力&歌唱力だと思いませんか?
アイドル「宮脇咲良」
AKB48 希望的リフレイン 推しタオル
どれだけ劇団四季が厳しい劇団であり、そしてプロ意識を高くもっているかということをお分かりいただけたことでしょう。宮脇咲良は、劇団四季で学んだことはHKT48に加入してからも役に立っている、今あるのはあのときの経験のおかげと述べています。アイドルの姿からは分からなかった宮脇咲良の本音です。
2018年8月、宮脇咲良はオーディションによって日韓合同のアイドルグループ「IZ*ONE」のメンバーに選ばれました。2021年までAKB48グループの活動を休止し、IZ*ONEの活動に専念することとなりました。
IZ*ONEは、オーディション番組「PRODUCE 48」での合格者12人からなるグループで、2021年4月まで2年6か月間、活動する予定となっています。日本からは宮脇咲良のほか、HKT48の矢吹奈子、AKB48の本田仁美が選ばれています。
2018年10月にはデビューミニアルバム『COLOR*IZ』がリリースされ、オリコン週間チャート1位などを獲得しています。
宮脇咲良が韓国のラジオ番組にIZ*ONEのメンバーとして出演した際に披露したのが、ライオンキングの名ゼリフ「心配ないさ~」を日本語で全力で叫ぶというネタで、多くの笑いを取りました。何事にも全力で思い切ってやるのが宮脇咲良の魅力であり、韓国でもそれを出すことが出来ています。
さくら咲け!
宮脇咲良の応援スレより。
劇団四季で学んできたことが役に立っていると語っていた宮脇咲良。プロ意識が高く、常に高みを目指す姿勢は劇団四季時代に磨かれたものかもしれません。これからどのように成長していくのか?彼女の夢は女優になることです。アイドルを卒業した後、どんな女優になっていくのか宮脇咲良の今後に期待です!
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