ジブリ映画の人気No.1は?宮崎駿監督の人気映画ランキングベスト3
2016/08/11
konpitsu
ちょっと聴いただけでは、単なる甘い恋の歌のように感じられるけれども、このシャンソンはパリ・コミューンの悲痛な思い出と深く結びついている。
パリ・コミューンは1871年に、パリの労働者たちが権力を握って樹立した、世界初の革命的自治政府だった。
1871年3月28日、パリ市庁舎前でコミューン成立が宣言される。ところが、コミューン評議会は様々な革命派の寄り合い所帯だったため、内部対立も激しかった。それが、ヴェルサイユを本拠地とする国民議会軍につけ込む隙を与えてしまった。
5月21日から28日にかけて、パリを包囲したヴェルサイユ軍によるコミューン連盟兵と一般市民の大量虐殺が行なわれた。これを“血の週間”"la semeine sanglante" と呼ぶ。
コミューン軍はパリのあちこちにバリケードを築き、ヴェルサイユ軍に応戦していたが、徐々に追い詰められていく。
詩人のジャン=バティスト・クレマンが20歳くらいの野戦病院付の看護婦、ルイーズと出会ったのは5月26日、第20区、フォンテーヌ・オ・ロワ通りのバリケードでのことだった。
彼女は手に桜んぼの入った籠を携えていたという。何か役に立つことはないかとやって来たのだった。一同は彼女を敵から守れるかどうかわからない、と断ったが動こうとしなかった。ルイーズは少しも恐れず、かいがいしく負傷兵の手当てをしたのだった。クレマンの妻の証言によると、彼はその娘と再会したいと思い、住所を尋ねたそうだ。が、それは果たされなかった。彼女も犠牲者となってしまったから。
200人の連盟兵が死守していたペール・ラシェーズ墓地をヴェルサイユ軍が取り囲む。午後6時、墓地の門扉が大砲で打ち破られ、ヴェルサイユ軍はなだれ込み、墓石と墓石の間で白兵戦が繰り広げられる。
やがて147人の連盟兵が捕虜となり、敷地内の北東にある壁の前で全員銃殺される。この壁は「連盟兵の壁」と呼ばれ、残されている。
コミューンの評議員でもあったジャン=バティスト・クレマンは、1866年頃に「桜んぼの実る頃」の歌詞を3番まで書いていた。フォンテーヌ・オ・ロワ通りのバリケードで出会ったルイーズの姿に感銘を受けて、彼は4番のクゥプレを書き足した。そのなかにある「あの時から この心には/開いたままの傷がある」とは、2ヵ月で幕を閉じたパリ・コミューンのこと、そしてあの虐殺を指している。
このシャンソンは次の献辞とともに彼女に捧げられた。
「1871年5月28日日曜日、フォンテーヌ・オ・ロワ通りの看護婦,勇敢なる市民ルイーズに」"A la vaillannte cityenne Louise, l'ambulanciere de la rue Fontaine-au-Roi le dimanche 28 mai 1871."
ペール・ラシェーズ墓地「連盟兵の壁」の真正面、ちょっと小高くなった所にジャン=バティスト・クレマンの墓がある。いつまでも壁を見守っているかのようなその墓石には、作り物の桜んぼがそっと添えられている。
宮崎駿がこの歌を劇中歌に選んだのは、左翼的メッセージというよりも過去にあった悲劇を忘れないでほしい。もしくは宮崎駿が気付いてくれる人にだけ向けたメッセージのような気がしました。
物語に出てくる「たたら場」。このたたら場で働く包帯を巻いた人たちが、ハンセン病患者なのではというものです。
ハンセン病はかつて差別の対象で、隔離されてしまう病だったみたいです。
ほかにも、宮崎駿はこのような被差別者を物語の中心に置いていた。
「もののけ姫」には、日本における歴史的な被差別者を想起させる描写が多い。まずはアシタカだが、彼のモデルは日本神話に登場する人物、長髄彦(ながすねのみこ)だとされる。しかし、これは大元のモデルで、実際に描かれているアシタカは、物語中でも言及されているようにエミシ(蝦夷)だ。平安時代初期に活躍した蝦夷の軍事指導者、アルテイの末裔で、エミシの隠れ里に住むという設定になっている。
蝦夷とは古来、大和民族から蔑視されていた日本の先住民族で、彼らに関する記述は日本書紀にもみられる。もともと日本列島の北方や東方を居住地域としていたが、次第に勢力を拡大させていく朝廷の侵略により、居住地域は徐々に北上し、やがて現在の北東北が南限になったとされる。また、侵略を受けた蝦夷のうち、一部は大和民族に吸収および同化されたが、もう一部は蝦夷(えぞ)、すなわち後世でアイヌと呼ばれる人々の祖先になった。
宮崎駿は過去の日本で起きていた差別を物語を通して私たちに伝えようとしていたのでしょうか。宮崎駿は少数民族を主人公にして、現代の国民である大和民族側を悪としているあたりは若干左翼的思考と言えるのかも知れませんが、この映画を見て「宮崎駿は反日思想をもってこの作品をつくったのだ」とは言えない気がします。
ナウシカが手負いの子供王蟲を連れてB-29ならぬ王蟲の大群の前に立ちはだかるのなんて、まさに特攻としか思えません・・・
ただこれがウケるわけですから、日本人の心の奥底で、そういうものが好き、支持してしまう民族性があるんですね。
というわけでナウシカを見て、反戦・平和主義、環境保護の映画だと思ったら大間違い。本当は太平洋戦争を賛美し、慰撫する軍国主義映画かも。
宮崎駿に対してこういった意見もあるようです。見る人が見たら宮崎駿がそう見えるのでしょうね!
『風の谷のナウシカ』では、旧エフタル王国群(風の谷、砂の谷など)がギ リシア的王権に、トルメキア王国がローマ的王権に、土鬼神聖帝国がイラン的 王権にと、それぞれの王権に当たっており、その特徴をよく伝えてくれている。
ナウシカは、この血みどろの輪廻をくりかえす王権の時代に、「その者、青 き衣をまといて金色の野に降り立つべし」という予言とともに降り立つのだっ た。その様は、揚子江流域から稲作文化を伝えた弥生人の神、ニニギノミコト を彷彿とさせ、その後に、ナウシカが語りはじめる「人々の和」と「自然への 敬愛」は、縄文人と弥生人の出会いのなかで作られたといわれる、『古事記』 の精神を思い出させる。
宮崎駿が作ったナウシカの世界で描かれている国にはモデルがあったんですね。しかもよく戦争を起こす(起こした)国ですね。宮崎駿はこういった国をモデルにすることで隠れたメッセージを私たちに投げかけていたのでしょうか。
風の谷のナウシカから伝わってくるメッセージは、人間同士の無意味な争いは結果として世界を滅ぼすんだということなのかなという印象です。戦争や自然破壊によって人間の住める範囲が狭くなっていき、みんなで協力すべきところを、人間はまた戦争でその限りある土地を奪い合う。どこまでいっても人間は愚かなんだという宮崎駿の怒りのような印象を受けました。
私の感じ方としては、左翼とはちょっと違うのかなと思います。
創価ジブリ宮崎駿、とんでもない反日発言開始!!「慰安婦問題謝罪しろ歴史認識改めろ憲法改正反対竹島尖閣は半分に分けろアベノミクスは失敗しろ中韓の奴隷になれ」 ⇒ 「風立ちぬ」にゴミレビューが「この映画見て中韓に謝罪したいと思いましたぁぁぁ」… 2ch「うわぁ…こんな人だったんだ…」「メルヘンな映画作る奴は考えもメルヘンなんだよ」「ラピュタは反日映画」「ジブリはもう見ません」
宮崎駿を左翼として見る少し極端な意見かもしれませんね(笑)。
宮崎駿が左翼なのかも知れないということに対しての妙に納得させられるつぶやきです。
左翼系作品の特徴は、権力者や上位階級者は絶対悪(反天皇・反武家・反貴族)、戦争は悪(エセ平和主義)、戦争で死んでも犬死に(命をかけて戦うべき時があることを否定)・・・など。
宮崎駿、実は東映の労組書記長までやった筋金入り左翼。
しかも、ホントの苦労をしたことないボンボン。鳩ポッポと似たようなところがある。
マスコミが宮崎の経歴をほとんど報道しないので、このことは一般に知られていない。
宮崎のイデオロギーは日教組とほぼ同じ。だからマスコミや学校は、それを隠して、宮崎アニメを盛り上げようと囃し立てる。
本当に様々な考えをお持ちです。
ここまで宮崎駿の左翼的反日思想や反戦主義を調べてきましたが、結論から言えば私には、「宮崎駿が左翼だった!」とは言えませんでした。
左翼思想という、日本人に対しての反発というよりも、もっと大きな見方で見ている気がしました。
宮崎駿にとって、左翼も右翼も国籍も国家も無意味なものなのかもしれません。(国家そのものを無意味と思うのが左翼なんだとすれば、宮崎駿は左翼かもしれません)。
つまり、国家があるから戦争が起こる。国籍があるから人種差別が起きる。自分の力では到底覆すことが出来ない、世の中の常識に対しての怒りや鬱憤を自分の作品にぶつけて、そして作品を通してみんなに訴えかけているのかなと感じました。
宮崎駿の言動から、「あいつは左翼だ!」とか「反日」とかという意見も見られますが、宮崎駿からして見れば、そういった反感は想定内で、国家があればその国家を愛する者たちがいるのは当然の事だと考えているのではないかと思います。
日韓の「慰安婦問題」で、日本は謝罪すべきとの考えでいるようですが、その発言も左翼思想というよりかは、戦争を起こしその戦争で苦しんだ人たちを思っての発言なのかなと思いました。
なので、聞いたことはありませんが、きっとどこの国に対しても、戦争で犯した罪で、苦しんだ人がいるならば、当然謝るべき!と思っているかも知れませんね。
宮崎駿からすれば左翼も右翼も国家も国籍も無意味なのですから。(私見)
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局