2015/10/09
kinako1225
タモリ(1945年8月22日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー、作詞家、作曲家、作家、実業家。本名:森田 一義(もりた かずよし)。
福岡県福岡市出身。田辺エージェンシー所属。妻は2歳年上の一般人で自身の個人事務所の社長を務める。夫人との間に子供はいない。
1976年4月、東京12チャンネル(現:テレビ東京系列)の深夜番組『空飛ぶモンティ・パイソン』で正式に芸能界デビューを果たす。その後、バラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ系列)にもレギュラー出演が決まるが、この時期は「タモリ専用のコーナー」で密室芸をするという形が取られていた。30歳で芸能界デビューを果たしたため、ビートたけし、笑福亭鶴瓶、明石家さんまなどは年齢が下だが先輩になる。
当時の芸は、イグアナのような体芸、反知性を打ち出した中洲産業大学教授、デタラメ言語ハナモゲラなど、他の芸人とは一線を画しており、テレビ的にはキワモノ芸人的存在と考えられていた。このことに対して本人は、キワモノとしての当時を「江頭2:50が出てきた様なもの」と評している。深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)でラジオパーソナリティーとして、徐々にマニアックな層からの支持を集めていく。
当時のタモリさんは、今とは全く印象が違いますね♪
ミュージックステーション
タモリ倶楽部
ヨルタモリ
ブラタモリ
スペシャル番組
世にも奇妙な物語 春・秋の特別編
ミュージックステーションスーパーライブ
笑っていいとも!
笑っていいとも!増刊号
今夜は最高!
タモリのボキャブラ天国 など。
小田 和正(おだ かずまさ、1947年9月20日 - )は、日本のニューミュージックシンガー、シンガーソングライター、音楽プロデューサー。元オフコースのリーダーでボーカル。株式会社ファー・イースト・クラブ (FAR EAST CLUB INC.) 代表取締役社長。身長172cm。血液型はA型。
オフコース(OFF COURSE)は、1969年から1989年まで活動した日本の音楽グループ。
オフコースの始まりは神奈川県横浜市の聖光学院高校に在学中だった小田和正、鈴木康博、地主道夫らが結成したフォーク・グループ。1970年に「群衆の中で」でレコードデビュー、当初は生ギターを中心としたフォークソング的な曲を歌っていたが、長年ヒット曲に恵まれなかった。
結成10年目の「さよなら」の大ヒットで多大なる人気を獲得、それ以降も数多くのヒット曲を生み出し、時代を代表するビッグ・グループになった。しかし、音楽番組全盛の時代にあって、テレビ出演で人気を高めていった他のグループとは一線を画し、テレビ番組にはほとんど出演せず、レコード制作とコンサートに力を注ぐという独自の姿勢を頑なに貫いた。
Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に(1991年2月6日)
そのままの君が好き(1992年7月25日)
真夏の恋(1994年7月15日)
伝えたいことがあるんだ(1997年7月24日)
キラキラ(2002年2月27日)
たしかなこと(2005年5月25日)
タモリさんが名指して、当時小田和正さんが在籍していたグループを挙げたんですね!
タモリは芸能界入りする前、福岡の伝説的ライブ喫茶「照和」の近くで喫茶店のマスターをしていたのだが、その頃の出来事でフォーク嫌いになったという。音楽関係者が語る。
「タモリさんの店にフォークグループが来た際、彼らはロックバンドの文句を言い、別の時はフォーク仲間を悪く言っていた。タモリさんは生い立ちが複雑だったこともあり、前向きな人生をモットーにしています。元々、女々しく暗い雰囲気を持つフォークが好きじゃなかったのが、この出来事で『さらに嫌いになった』と言っていましたね。ただ、自分が見たのが全てとは思っていませんし、そこまで本気でフォークが嫌いなわけではないですよ。『いいとも!』が始まる前のタモリさんは過激さが売りでしたから、半分はネタです」
たまたま出会った人達の印象が悪かったのでタモリさんは、フォークに嫌なイメージを持ってしまったんですね。。。
そして、タモリさんがラジオでこの発言をした後に「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングで小田和正さんと共演することになります。。
タモリが32年間司会を務めた『笑っていいとも!』のメインコーナー、テレフォンショッキングのなかで、最も印象に残っているゲストだと語ったのが歌手の小田和正。
タモリさん的には、この気まずさでは逆の意味で印象に残ってしまいますよね。
小田和正さんもフォークが貶されて怒り心頭のご様子ですね。タモリさんも腕組みしてしまっています。。。
フォークソング嫌いを公言していたタモリが「レコードお出しになった?」と振ると、小田は「きっと気に入らないと思いますけど」と苦笑。さらに「専門的な話をしてもつまらないから」などとタモリを攻撃。
この時、観覧に来ていた人はさぞ気まずかったでしょうね 笑 それにしてもタモリさんも小田和正さんも尖ってますね!
タモリさんも一歩も引きません。終始このようなムードでコーナーが終わりました。
相当昔の共演以来会っていないというのは、やっぱりNGが出たんでしょうかね。タモリさんが側からなのか、小田和正さん側からなのか。。。
そして、あるきっかけでタモリさんと小田和正さんは再会することになりました。
果たして二人が会った結果とは?
2月8日、フジテレビの中村光宏、生野陽子の両アナウンサーが都内で披露宴を行い、その会場で長年「不仲」と言われたタモリと小田和正が握手を交わし、和解したという。芸能関係者が語る。
まず動いたのが小田和正さん。
タモリさんに会いに行き、最初の握手をしたんだそうです。
小田和正さん的に早く和解をしたかったのでしょう。
そしてタモリさんが
「普段はあまり披露宴に出ないけど、きょうは小田さんと会えて良かった」
このように話し、小田和正さんと再び握手を交わしました。
タモリさんも、小田和正さんも色々な経験を経て、和解に至ったんでしょうね。お互いに意地っ張りだったのかもしれませんね♪
今後、タモリさんと小田和正さんの共演をテレビで見てみたいですね。お互いに音楽が好きという気持ちは根底にあると思うので、対談番組などで見たいです♪
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