【画像アリ】坂口杏里さんの顔がもはや別人だとネットで話題に!
2016/08/07
ももくれ
坂口杏里は1991年3月3日に生まれました。兄弟は兄が一人、細身で身長は168cmです。モデルとしても活躍できそうですね。
坂口杏里が芸能界入りを決めたのは、子供の頃に憧れたモーニング娘。がきっかけだそうです。
坂口杏里の母親・坂口良子はミス・セブンティーンに選ばれデビューします。大きくてタレ目な目元が可愛いですね。女優として人気が高まる中、1986年に不動産会社の役員と結婚し、二人の子供をもうけました。
しかし8年後の1994年に離婚することになります。坂口杏里と兄の親権は坂口良子が持つことになりました。二人の子供を育てながら、大人の女優として活躍の場を広げていきました。
1976年に公開された坂口良子が出演した「犬神家の一族」のワンシーンです。横顔の雰囲気とか、ふとした表情と坂口杏里が似ていますね。
幼い丸顔の坂口良子に対して、ぱっちりと大きな目と大人っぽい顔の坂口杏里ですが、やはり親子ですね。表情や瞳の雰囲気が似ています。
坂口良子は不動産会社の役員の夫と離婚後、知人の紹介で知り合ったプロゴルファーの尾崎健夫と交際を始めます。坂口杏里にとっては、後に父親となる人との出会いでした。
坂口良子と尾崎健夫は、事実婚を10年以上続けていました。尾崎健夫はその間も坂口杏里に父親のような愛情を示していました。
そのため元々は仲が良かった坂口杏里と父親尾崎健夫ですが、二人には大きな確執が生まれることになります。それは、二人にとって大事な存在だった坂口良子が関係していました。
坂口良子と尾崎健夫は10年の交際(同居生活)を経て結婚をしました。坂口杏里も10年間、尾崎健夫を「パピー」と呼び、父親のように接していました。
坂口杏里と尾崎健夫が本当の父親と娘のように過ごしているのを見て、坂口良子も嬉しかったようです。しかし、一つの大きな不幸が親子の心を引き離すことになります。
尾崎健夫と坂口杏里の間の溝が生まれてしまったのはなぜ・・・?
坂口杏里と父親の心を引き離すきっかけとなったのが2013年の3月、大腸がんによる肺炎により坂口良子が死去したことでした。
坂口良子は2011年に自身の病気を知り、闘病しながら芸能活動を続けていたそうです。その頃坂口杏里は新人として頑張っていたときでした。
坂口杏里は父親である尾崎健夫から「ガンは全て(転移も)取った」と聞いて安心して活動していたそうです。しかしそれは、坂口杏里が芸能活動に集中できるようにと坂口良子と尾崎健夫が決めた嘘でした。
坂口良子が亡くなる二日前、母が危篤状態になったと聞いた坂口杏里はすぐに病院に向かうと、すでに父親・尾崎健夫が居ました。全てを知って隠していた事に気付いた坂口杏里は「母を取られた」と感じ激怒したそうです。
大激怒した坂口杏里は父親を蹴っ飛ばすなど、病院で暴れました。この「母親をとられた」という感情は親子の大きな溝になってしまいました。
尾崎健夫を恨んでいた坂口杏里の気持ちの変化とは?
母親を取られたという気持ちから父親の尾崎健夫を嫌うようになった坂口杏里ですが、その時の気持ちを次のように言っています。
「おじさんが来てからママを取られ、亡くなるときもおじさんにママを取られた。最後まで世界で1番好きなママが取られた」と腹を立て、「本気で一生恨んでやる」とまで考えた
しかし坂口良子の「子供をお願いします」という願いを守るため、坂口杏里に嫌われてどう対応していいか悩みながらも父親として向き合い、テレビ番組で坂口杏里に向けた手紙を書いています。
父親尾崎健夫は坂口杏里を食事に誘い、共に悲しみを分かち合ったそうです。そうした父親を見て、坂口杏里も次第に理解を示すようになりました。
実の父親とは20年近く会ってなかったそうですが、坂口良子が亡くなってから事務所から実の父親もガンを患ったと連絡を受けたそうです。
母を苦しめた父親を恨んでいた坂口杏里でしたが、母親が戦っていた同じ病と闘っていると聞いて実の父親に会いに行ったそうです。
実の父親と再会した時は、闘病していた母と実の父親が被り手を握ったそうです。後悔しないように今後も実の父親に会いに行くと語ったそうです。
実の父親もガンを患っていた坂口杏里の心境を考えると、胸が苦しくなりますね。しかし彼女の周りには坂口杏里を支えてくれるたくさんの人が居ることは母の残した愛情でしょう。
父親・尾崎健夫とは今でも月に一度は食事をして話をする仲だということです。
坂口良子も安心しているのではないでしょうか?
坂口杏里と父親・尾崎健夫の間には同じ悲しみを乗り越えた強い絆が出来ていることでしょう。
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