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ゴールデンカムイの脱獄王のモデル?「昭和の脱獄王」白鳥由枝栄とは?

脱獄王はフィクションの世界にしか存在しないと思いきや、実は日本に白鳥由栄という名の脱獄王が実在していました。そして、白鳥由栄は人気漫画「ゴールデンカムイ」に登場するキャラクターのモデルにもなっているのです。白鳥由栄の人生や、驚きの脱獄方法についてまとめました。

ゴールデンカムイの脱獄王は白鳥由栄?

人気漫画のゴールデンカムイには、脱獄王と呼ばれるキャラクターが登場します。脱獄を得意とする犯罪者はフィクションの世界では珍しくありません。しかし、ゴールデンカムイの脱獄王には実在のモデルが存在します。実在の「脱獄王」白石由栄についてご紹介します。

ゴールデンカムイとは?

ゴールデンカムイは、日露戦争終結間もないころの樺太を舞台にした野田サトル作のサバイバルバトル漫画です。主人公たちと新選組の土方歳三が率いる土方一派、陸軍第七師団がアイヌが秘蔵していた金塊を巡って激しく争います。

 

狩猟・グルメ要素、アイヌなどの民俗文化を紹介する側面もある漫画で、アイヌ文化を丁寧に描いていることでも高い評価を受けています。実在の人物も登場しますが、実在の人物をモデルにした強烈な性格のキャラクターも作品の魅力です。

 

2020年2月現在ヤングジャンプで連載中で、テレビアニメ化もされています。

「ゴールデンカムイ」に登場する脱獄王

ゴールデンカムイには、白石由竹という脱獄に天才的な才能を発揮するキャラクターが登場します。白石由竹は、関節を脱臼させて狭い場所を通り抜ける能力や施設の特徴や弱点を見抜く洞察力などを駆使して脱獄を繰り返す通称「脱獄王」です。

 

何度も脱獄を繰り返したせいで、服役期間が延びて人生の大半を監獄で過ごしています。ただし凶悪犯というわけではなく、間の抜けたところのある憎めない性格で「愛され脱獄王」というキャッチフレーズがついています。

 

主人公の仲間となって潜入役などで活躍しますが、戦闘能力はほとんどありません。バトルの多い作品なこともあり、時々役立たず扱いされてしまいます。

白石由竹の実在モデルは白鳥由栄!

白石由竹は、関節を自由に脱臼させる特異体質を活かして脱獄を繰り返しています。こんなキャラクターですが、なんと白石由竹には実在のモデルがいます。モデルになった人物は白鳥由栄という名前で、現実の世界で昭和の脱獄王と呼ばれています

 

白鳥由栄は、原作者が白鳥のモデルにした人物で本当に関節を外して脱獄に成功しています。ただし、安物の手錠なら破壊してしまう怪力の持ち主だったと言われています。戦闘能力皆無の白石由竹とは違い戦ったらかなり強そうです。

 

性格的にも、憎めない感じの白石由竹とはだいぶイメージが異なります。

白鳥由栄は「アンビリバボー」でも取り上げられた

白鳥由栄はフジテレビのテレビ番組「奇跡体験!アンビリバボー」でも特集されたことがあり、脱獄方法なども細かく取り上げられました。吉村昭は白鳥由栄をモデルにした小説破獄を出版しており、2度にわたってテレビドラマ化もされています。

 

博物館網走監獄では、白鳥由栄が脱獄する様子を再現したマネキンも展示されています。他にも白鳥由栄が脱獄するために利用した方法は、フィクションで犯罪者が脱獄する際に使われることもあります。

「昭和の脱獄王」白鳥由栄の人生

昭和の脱獄王と呼ばれた白石由栄は何度も脱獄し、逃亡生活と収監生活を繰り返しました。しかし、最後は模範囚となり、社会復帰も果たしています。白石由栄の人生についてまとめました。

最初の犯罪は1933年

白鳥由栄は、1933年に起きた強盗殺人事件の犯人の1人として逮捕されています。余罪があるとも言われていますが、この時が最初の犯罪とされることが多いです。白鳥由栄は、殺したのは仲間で自分は殺人に関わっていないと主張したとされています。

 

しかし、この主張が受け入れられることはなく、強盗殺人犯として青森刑務所に服役することになりました。ここから、白鳥由栄は脱獄を繰り返すことになります。

脱獄と収監を繰り返す生活

青森刑務所に収監された白鳥由栄ですが、1936年から1948年まで脱獄を繰り返す生活を送ります。収監された刑務所は青森刑務所に始まり、秋田刑務所、網走刑務所、札幌刑務所、府中刑務所と5ヵ所にもなりました。

 

脱獄中に畑泥棒と誤解されて農家に袋叩きにあい、相手を殺害してしまいます。正当防衛を主張しますが、過剰防衛として傷害致死事件で死刑判決を受けました。脱獄を繰り返したのは、刑務所で人間な扱いをされなかったことへの抗議といわれています。

 

人間的な扱いを受けると全く反抗しなかったとも言われています。脱獄中にまともな扱いをしてくれた警察官に自首したこともありました。

府中刑務所出所後に病死

府中刑務所に収監された白石由栄はこれまでの刑務所の過酷な待遇とは異なり、一般の受刑者と同じ扱いを受けます。人間的な扱いを受けたことで態度を改めた白石由栄は、絶対に逃げないと約束し模範囚になっていきます。

 

入所から14年後の1961年には仮出所が認められます。出所後は体力を活かせる建設現場での仕事を見つけ、社会復帰を果たしました。この時、54歳でした。出所から12年後の1966年に心臓病を患い、働けない体になります。

 

入退院を繰り返しますが、1979年に三井記念病院で亡くなりました。

白鳥由栄の奇想天外な脱獄方法

白鳥由栄は、さまざまな方法で脱獄を繰り返しています。身近なものを利用した脱獄方法は、小説・映画・漫画などでも参考にされています。白鳥由栄の奇想天外な脱獄方法をまとめました。

手製の合鍵で脱獄

白鳥由栄が青森刑務所を最初に脱獄した方法が、手製の合鍵で脱獄するというものです。白鳥由栄は外出時に拾った針金を汚物入れに隠して、独房に持ち込むことに成功します。簡単に合鍵が作れたわけではありません。

 

独房の鍵穴に手が届くことを確認した白鳥由栄は手を押し付けて型を取ります。風呂場のコンクリートで少しずつ針金を削って鍵を作ったそうです。脱出前に鍵が使えることを確認した下鳥由栄は、看守が目を離した隙に鍵を開けて素早く脱獄しました。

手製のノコギリで鉄格子を外して脱獄

白鳥由栄は、手製のノコギリで鉄格子を使用して秋田刑務所の鉄格子を外して脱獄しています。脱獄のために独房の中を調べていると、鉄格子の周りが腐りかけていることを見つけました。白鳥由栄はブリキのかけらと釘を使い、板を加工してノコギリを作成ます。

 

看守の交代時間の10分の間は、監視に隙ができます。白鳥由栄は、暴風の日に監視の隙をついて鉄格子を切り取り、脱獄に成功します。手製のノコギリは、4度目の札幌刑務所脱獄でも使われました。

味噌汁で釘を錆びさせ脱獄

3度目の脱獄となる網走刑務所では、何度も脱獄した白鳥由栄のために特製の手錠が用意され簡単には外せませんでした。白鳥は手錠を床に叩きつけ、口を使って少しずつ緩めていきました。歯が取れることも、珍しくなかったといいます。

 

頑丈な鉄格子には味噌汁を吹き付けることで徐々に腐食させ、鉄格子を外すことに成功します。鉄格子を外しても逃げるための視察孔は狭かったですが、白鳥由栄は関節を外すことで小さな隙間から脱出すること成功します。

 

味噌汁で金属を腐食させる脱獄方法は有名になり、フィクションの世界でも利用されるようになっています。

トンネルを掘って脱獄

最後の札幌刑務所では手製のノコギリとトンネルを掘って脱獄に成功しています。白鳥由栄は取り調べの時に釘を手に入れ、桶のタガも使ってノコギリを作りました。少しずつ床を切り進め、床に穴が開いたら食器と手を使ってトンネルを掘り進めます。

 

2メートルほどトンネルを掘ると外に出ることができました。外は雪が積もっていたため、簡単に壁を乗り越えて脱獄に成功します。

白鳥由栄の名言や子孫は?

白石由栄はすでに亡くなっていますが、その子孫は今でも生きていると言われています。また、白鳥由栄の発言は名言として語り継がれているものもあります。白鳥由栄の名言や子孫に関する情報をまとめました。

白鳥由栄が残した名言

脱獄王と呼ばれた白石由栄には脱獄の美学があり、脱獄に人を巻き込んだり、人を傷つけることはありませんでした。非人間的な扱いをする刑務所や刑務官への報復で脱獄をするという信念があったようです。そんな彼の発言には、名言として残っているものもあります。

人間のつくった房ですから、人間がやぶれぬはずがありませんよ

脱獄不可能と思われた独房をどうやって破ったか聞かれた時の発言です。脱獄するには相当の時間と労力が必要で、脱獄するための執念が感じられます。

ヤモリを考えてもらえばいい

高さ3メートルの天窓から逃げた時のことを聞かれた時の言葉です。壁を背にして両手を突っ張って登ったそうですが、並の人間にできることではありません。

毛布をもう一枚下さい。さもないと脱獄します

刑務官に毛布を要求した時の言葉です。脱獄されたら、刑務官は減俸や懲戒免職につながります。高圧的な刑務官には容赦がなかったようです。

実は自分は白鳥由栄です。貴方が逮捕して手柄にして下さい

脱獄中に職務質問をした警察官に言ったとされる言葉です。タバコをくれるなどまともに扱ってくれた警察官に対して、身分を明かして自分から逮捕されています。

白鳥由栄には子供と姉がいた

白鳥由栄には3つ年上の姉がおり、妻との間に長女がいたことが分かっています。白鳥由栄と姉は、一緒に叔母夫婦の養子になっています。しかし、白鳥由栄が逮捕されてから再会することはなかったそうです。

 

白鳥は青森にいる子供に会いに行ったこともあったようですが、洗濯物を干しているのを遠くから見るだけで声をかけることはできませんでした。白鳥由栄が亡くなったとき、遺骨の引き取り手が現れなかったということで姉や子供とは絶縁状態だったようです。

 

白鳥由栄の姉と子供のその後については、よくわかっていません。姉は年齢的に亡くなっているでしょう。ただ、姉の子供と白鳥由栄の子供は、2人とも青森にいるという噂があります。

白鳥由栄の墓の場所は?

白鳥由栄の遺骨は引き取り手がなかったため、無縁仏として埋葬されになります。しかし、仮出所中に親しくしていた女性が遺体を引き取り、遺骨はその女性の家のお墓に納骨されたと言われています。

 

女性は白鳥由栄が荒川区のアパートに住んでいた時、隣部屋にいた娘さんだったそうです。墓地の場所は正確にわかっていません。ただ、日暮里や富士山が見える場所にお墓があるという情報があります

白鳥由栄の伝説は今後も語り継がれる

ゴールデンカムイの脱獄王白石由竹のモデルになった白鳥由栄についてご紹介しました。脱獄は褒められたものではありませんが彼なりに信念があったこともあり、その人生に魅力を感じる人は少なくありません。今後も白鳥由栄の伝説は語り継がれていく可能性が高いでしょう。

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