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    元光GENJI・内海光司の現在が激ヤセ?結婚や病気についてご紹介!

    元光GENJIで現在もジャニーズ事務所に所属している内海光司さんの現在が激ヤセでやばいと話題です。現在51歳の内海光司さんには彼女はいるのでしょうか。また、結婚しているのでしょうか?さらに、激ヤセの理由だと言われている病気の真相についてをご紹介します!

    かつてトップアイドルに君臨した内海光司

    トップアイドルグループ「光GENJI」のメンバーとして一世を風靡した内海光司さん。光GENJIが解散してからはそれまでの活動が無かったかのようにテレビでの露出が減ってしまいました。

    現在51歳になられる内海光司さんですが、テレビのバラエティ番組に久しぶりに出演したところ、激ヤセした?と話題に。内海光司さんの激ヤセの真相は?また、結婚や病気の噂は?現在の内海光司さんについてご紹介します。

    内海光司のプロフィール

    アイドルグループ「光GENJI」のメンバーとして一世を風靡した内海光司さん。ローラースケートで踊る姿は可憐で、光GENJIの中でもスタイルが良く、数多くの女性ファンを魅了してきました。まずは、プロフィールのご紹介です。

     

    ・本名(ふりがな/愛称):内海 光司(うちうみ こうじ/キノッピー)
    ・所属事務所:ジャニーズ事務所
    ・生年月日:1968年1月11日
    ・現在年齢:51歳
    ・出身地:東京都
    ・血液型:A型
    ・身長:178㎝
    ・体重:57kg(2018年)
    ・活動内容:俳優 元アイドル
    ・所属グループ:元光GENJI 元イーグルス 
    ・家族構成:父・母・兄

    中学2年生の時にスカウトでジャニーズに入所!

    内海光司さんは1981年9月の中学2年生の時に、友人とジャニーズファミリークラブに遊びに行った際にスカウトされたことからジャニーズ事務所に所属することが決まりました。

    ジャニーズ事務所では、一般的にオーディションを受けて合格した人だけが事務所に入ることができますが、内海光司さんの場合、特に正式なオーディションを受ける事なく事務所に入所されています。いわば、ジャニーズ事務所の特待生の立場です。

    1983年イーグルスとしてレコードデビュー

    内海光司さんは、ジャニーズ事務所に入所後の1983年3月25日、アイドルグループ「イーグルス」としてロサンゼルスオリンピックのマスコットキャラクターを主人公とするアニメ「イーグルサム」の主題歌でレコードデビューしました。内海光司さんの他のメンバーは、大沢樹生さん、中村繁之さん(現在俳優として活躍)、宇治正高さん(現在は引退)でした。

    内海光司さんを含め4人で結成された「イーグルス」は「ジャニーズ幼年隊」、「ジャニーズ少年隊ジュニア」 、「少年隊ジュニア」とグループ名が変化していき、1982年に正式に改名。『ジャニーズ事務所の秘蔵っ子』のキャッチフレーズのもと、平均年齢14.4歳でデビューしました。

    人気アイドルのバックダンサーを努めた

    内海光司さんが所属していた「イーグルス」は、レコードデビューを果たした後も近藤真彦さんやシブがき隊、少年隊のバックダンサーを務め、1983年12月31日には第34回NHK紅白歌合戦に、近藤真彦さんの『ためいきロ・カ・ビ・リー』のバックダンサーとして出場しました。

    光GENJI時代の内海光司

    内海光司さんは、所属していた「イーグルス」が、一番人気だった中村繁之さんがソロで番組に出演するようになり自然消滅したことから、大沢樹生さんと違うグループでデビューすることになりました。それが、デビュー後「最後のスーパーアイドル」などと称されるほどの人気グループとなった「光GENJI」です。

    光GENJIのメンバーであった当時の内海光司さんを振り返ってみましょう。

    「GENJI」に「光」が合体して結成

    「光GENJI」は、もともと3ヶ月前から「GENJI」として活動していた諸星和己さん、佐藤寛之さん、山本淳一さん、赤坂晃さん、佐藤敦啓さんらに「光」 として内海光司さんと大沢樹生さんが加入し、7人グループとして活動を始めました。

    光GENJIの中でもトップレベルのパフォーマンス力を持つ

    光GENJIは、ローラースケートを履いて踊るという斬新なパフォーマンスで世間を驚かせましたが、光GENJI時代の内海光司さんは、ダンスやアクロバットが得意でメンバーの中でもトップレベルのバフォーマンス力を発揮されていました。

    「パラダイス銀河」では日本レコード大賞を受賞

    パラダイス銀河 光GENJI 1988年(昭和63年)第30回大賞

    1987年8月19日、ASKAさんが楽曲提供した「STAR LIGHT」でレコードデビューを果たした光GENJIは、瞬く間に人気が上昇。光GENJIがパフォーマンスで身に着けているローラースケートは爆発的な売れ行きを見せ、メディアでは社会現象としても取り上げられています。

    そして1988年12月31日、3rdシングル「パラダイス銀河」では見事、第30回日本レコード大賞を受賞。同年のオリコン年間シングル売上では第1位から第3位までを光GENJIが独占するほどの人気ぶりでした。

    国民的アイドルグループの道へ

    光GENJIは、1990年代に入ってからも爆発的な人気は続き、1992年にはJOC日本オリンピック委員会広報アドバイザーに任命され、バルセロナオリンピックの応援ソングである「リラの咲くころバルセロナへ」をリリースしました。さらに、1994年1月には、リレハンメルオリンピックの応援ソング「BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜」をリリースし、国民的アイドルへと成長しつつありました。

    光GENJIの解散理由は不仲?

    爆発的な人気を博し、日本では知らない人がいないほどだった光GENJIですが、活動期間は1987年6月25日から1995年9月3日までの8年間と短く、多くのファンに惜しまれながら解散となりました。

    解散当時はわかり得なかった解散理由ですが、後にメンバーからの告白により明らかになっています。

    先に大沢樹生、佐藤寛之が脱退

    7人グループとして活動されていた光GENJIでしたが、1994年にまず、光GENJIの「光」であった大沢樹生さんと「GENJI」であった佐藤寛之さんが脱退。「光GENJI」は「光GENJI SUPER 5」として再スタートを切りました。

    大沢樹生さんと佐藤寛之さんは、光GENJI脱退後にジャニーズ事務所も退社し、個人事務所を立ち上げソロデビューされています。

    人気絶頂の中1995年に解散

    光GENJIが解散したのは1995年9月。解散コンサートの2日前にはレギュラー出演していた『ミュージックステーション』のスタジオにファン数百人を入れ、歴代のシングルメドレーを披露。最後に「Graduation」を熱唱した後、メンバー全員がローラースケートを脱いで、ステージ中央に置いてステージを去り、話題になりました。

    その後、光GENJIは9月3日の名古屋市総合体育館・レインボーホールのコンサートを最後に解散。人気絶頂の中の解散は、前年に大沢樹生さんと佐藤寛之さんの脱退が原因なのではないかと噂されました。

    解散後、諸星が不仲を告白

    人気アイドルグループ「光GENJI」が惜しまれながら解散したことで、その理由については多くの憶測が飛び交いましたが、後にメンバーであった諸星和己さんの口から不仲であったことが告白されています。その不仲エピソードがこちらです。

    ・諸星和己さんは大沢樹生さんの顔が嫌いだったとかミンクアウト。性格も水と油
    ・ジャニーズ歴の長い佐藤寛之さんを軸に光GENJIが結成されたがセンターは諸星和己さんとなり、諸星さんがやんちゃな行動をすれば、佐藤寛之さんが呼び出しを受けて不満を持っていた
    ・光GENJIは年齢で上下関係があり、GENJIにとって光は目の上のたんこぷ的存在だった
    ・友情などは無く関係性も気薄だった

    解散を言い出したのは諸星和己

    光GENJIを脱退したのは大沢樹生さんと佐藤寛之さんが最初ではありますが、一番初めに解散を意識したのは諸星和己さんでした。それは、いつもまっ先にステーキの左から3番目の肉を食べる大沢樹生さんが、にんじんから先に手をつけた瞬間だったといいます。

    当時、諸星和己さんは、メンバーは疲れ切っていて別々の人生を歩みたがっていると感じていたそうですが、いつもパワーをつけるために食事をしていた大沢樹生さんがにんじんを食べたことで、このグループはもうダメだと思い知らされていました。そこで、大沢樹生さんと佐藤寛之さんが脱退した翌年にメンバーに解散を宣言。メンバーも解散に同意したといいます。

    光GENJI解散後はソロ活動!

    光GENJIのメンバーたちは、解散後ソロで活動し、それぞれの明暗が分かれています。内海光司さん、大沢樹生さん、佐藤敦啓さんは俳優として活動、佐藤寛之さんはソロでライブやイベントで活動、諸星和己さんはニューヨークに移住して時々帰国して日本のテレビに出演されています。

    また、山本淳一さんは借金問題と女性トラブルが報じられ活動休止。赤坂明さんは薬物で逮捕後にバーを経営し、復帰は考えていないようです。

    内海光司はジャニーズ事務所に残る

    光GENJI解散後、ほとんどのメンバーがジャニーズ事務所を退社したものの、内海光司さんは佐藤敦啓さんと共にジャニーズ事務所に残りました。しかし、内海光司さんはソロ活動を開始しましたが、佐藤敦啓さんが『ジャニーズカウントダウンライブ』に出演するなどの活躍ぶりとは違い、一線を画した活動をされているようです。

    2011年4月に東京・代々木第一体育館前広場での開催された東日本大震災支援プロジェクトMarching Jの募金活動には参加されています。

    ドラマ、舞台で演技力を磨く

    ソロ活動を開始した内海光司さんは、アイドルを脱皮して本格派俳優として演技力を磨いてきました。内海光司さんの光GENJI解散後の主な出演作品は以下のとおりです。

    テレビドラマ

    ・TBSドラマ「もういちど家族」
    ・TBS月曜ドラマスペシャル「ダンスパートナー連続殺人 社交ダンス界に渦まく欲望と嫉妬」
    ・テレビ東京「炎の奉行 大岡越前守」
    ・テレビ朝日「はぐれ刑事純情派」

    舞台・ミュージカル

    ・大阪新歌舞伎座「出雲阿国」
    ・銀座博品館劇場、THEATRE1010 他「 名探偵ポワロ ブラックコーヒー」
    ・青山円形劇場 他「4フィール -four feel-」

    元タカラジェンヌ・北嶋マミと結婚?

    現在51歳になられた内海光司さんは、これまで熱愛の噂もほとんど無く独身を貫かれています。光GENJI時代から女性との噂が無かったため、実は女性が好きではないのではないか?という疑惑も出ていたほどです。しかし、内海光司さんにも貴重な熱愛の報道がありました。

    2017年に北嶋マミとの熱愛が報道される

    内海光司さんの熱愛報道があったのは2017年2月のことでした。お相手は元宝ジェンヌの北嶋マミさんという方で、お2人が熱愛の噂に発展したのは内海光司さんがJohnny’s webで連載されている「HAPPY LUCKY KINOPPY」内での投稿がきっかけでした。

    北嶋マミとは?

    北嶋マミさんとは、元宝塚歌劇団で現在女優をされている方です。簡単なプロフィールをご紹介します。

    北嶋マミ
    ・本名(ふりがな/愛称):北嶋 麻実(きたじま まみ/まちお、マッチ)
    ・所属事務所:町田英子事務所
    ・生年月日:1970年4月10日
    ・現在年齢:49歳
    ・出身地:神奈川県横浜市

    1989年に宝塚音楽学校に入学し、2008年7月6日に宝塚を退団後は舞台を中心に活動されています。

    ブログで交際疑惑が浮上

    内海光司さんは2017年3月14日のホワイトデーにハートのラテアートの写真を「ボク一人なので…ハートにしなくてもいいです」というコメントと共に掲載。さらに翌日には、続きの記事でデザートについて書かれていましたが、その写真が、北嶋マミさんが数日前に自身のブログで紹介していた写真と似ていたことから交際疑惑が浮上しました。

    「この写真は、熱心な内海ファンがかねてより親密関係を疑っていた女優・北嶋マミのブログに掲載されたカットに似ているんです。北嶋のブログは10日付なので、内海の方が後に写真を掲載したことになり、内海ファンからは『いちごの写真が同じ。やっぱり付き合ってる』と、驚きの声が出ていました。北嶋は宝塚歌劇団出身で舞台を中心に活動しており、内海とも舞台で共演経験があります。今回の一件で彼女の存在に安堵するファンもいれば、スポーツ紙でスクープされてしまうのではないかと警戒するファンも。

    出典:https://newsmatomedia.com

    しかし、結婚の事実はなし

    内海光司さんと北嶋マミさんは、年齢が近いことや同じ舞台俳優であることなどから交際している確立が高いと噂されていましたが、報道から2年が経過した現在も結婚の事実はありません。

    内海光司が激ヤセでやばい?

    現在は舞台を中心に活動しているため、あまりテレビでは見かけなくなった内海光司さんですが、バラエティ番組に出演した際のあまにも痩せた姿に視聴者からは心配の声が寄せられました。

    2013年「ウチくる?」出演で激ヤセが話題に

    内海光司さんの激ヤセした姿が話題となったのは、2013年6月23日に放送された『ウチくる?』。ドラクエ大好きな淡路恵子さんのサプライズゲストとして登場したのが内海光司さんは饒舌にドラクエの裏ワザなどについて話しましたが、内海光司さんの体の細さに目を奪われた人も多数でした。

    激ヤセは精神的疲労が原因?

    内海光司さんが激ヤセしたのは、仕事が激減したことによる精神的疲労が原因ではないか?と噂されています。内海光司さんはジャニーズ事務所に所属してるいものの現在の仕事ぶりは、舞台のみ。さらに、出演は年に1度と少数のため心配の声が上がったようです。

    内海光司がリストラの危機?

    2018年、ジャニーズ事務所では「リストラ」が噂されていました。それは、売れないジャニーズJr.のメンバーを辞めさせるというもの。事務所としてはなかなか利益の出ないメンバーを所属させてまで運営の費用をかれられないということです。しかし、そのリストラはジャニーズJr.以でけだなく、仕事が少ない高齢のジャニーズも対象になる可能性が出てきたといわれていました。

    ジャニーズ事務所のリストラ問題が原因で、内海光司さんの心労が祟り激ヤセしたのではないかという憶測もありましたが、現在、内海光司さんがリストラ対象であるという確たる情報はありません。

    内海光司が病気?

    内海光司さんは現在51歳になられますが、テレビでその姿を見た視聴者からは「病気なのではないか?」という心配の声が上がっています。頬はこけたように見え、顔色もすぐれないように見えた視聴者もいるようです。

    激ヤセで病気が疑われる

    内海光司さんは、激ヤセが噂された『ウチくる?』の出演以降も舞台に出演されていますが、舞台上でも痩せすぎともとれる体系から病気が疑われています。光GENJIの頃にも体の線は細かった内海光司さんですが、2018年の舞台『明日の幸福』の様子はそれにも増して細くなっているため、病気を抱えながら舞台で活動しているのでは?という憶測も飛び交うほどです。

    健康のための体型維持ということが判明!

    激ヤセが心配された内海光司さんですが、インタビューでは「体型はアイドル時代とほとんど変わりありません」と話すように、健康のためにも体型維持には気をつけているようです。また、舞台では走り回ることもあるため、体力維持も意識されていて体を鍛えて食事にも気を遣い、体脂肪は8~9%に保つようにしているようです。

    アスリート並みの体脂肪を誇る内海光司さんは、現在もストイックな生活をされていることから激ヤセが心配されましたが、体力、健康共に心配はないようですね。

    内海光司の現在の活動は?

    現在はアイドルを脱皮し、舞台を中心に本格派俳優として活動されている内海光司さん。光GENJI時代にも舞台に出演されていますが、もともと真面目な性格であり、舞台の一役一役に進撃に向き合っているようです。

    現在もジャニーズ事務所に所属

    現在も内海光司さんは引き続き、ジャニーズ事務所に所属されています。しかし、テレビやイベントでは目立った活動がないため、ファンの方はもっと活動を増やしてほしいと願っているようです。内海光司さんの最近の様子は、ジャニーズ事務所の携帯サイト「HAPPY LUCKY KINOPPY」の連載で知ることができるようになっています。

    舞台を中心に活動

    内海光司さんの代表作は、アガサ・クリスティの小説が原作の「マウストラップ」です。この舞台では主演を努めた内海光司さんですが、観客に楽しんでもらうために、日々芝居を修正したり変化をつけたりと努力させているようです。過去5年以内の内海光司の出演作品はこちらです。

    ・2016年5月 日本特殊陶業市民会館、国立文楽劇場 他「愛のお荷物」
    ・2016年9月 天王洲銀河劇場、森ノ宮ピロティホール、北九州芸術劇場 大ホール「瞑るおおかみ黒き鴨」
    ・2017年2月 俳優座劇場「記憶のパズル」
    ・2018年5月 日本特殊陶業市民会館、国立文楽劇場 他「明日の幸福」

    現在は舞台に精進している内海光司

    光GENJIのメンバーとして輝かしい時代を築き上げた内海光司さん。テレビ出演では激ヤセが心配されたことがありましたが、それはストイックな性格で仕事熱心であるためのようです。ファンの方は舞台での活躍の他、テレビ出演なども期待しているのではないでしょうか。内海光司さんの今後の活躍に注目です。

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